神官長アンバー

第1話

「光の届かぬこの地の底の世界では、香りがすべてを導く」


 厳かな声と共に、祭壇の香炉に、ひと塊の乳香がくべられた。

 じじっ、と、かすかな音がして、乳香の表面が香炉内の高温に燻され溶かされる音がする。

 ここは、闇の統べる神殿。

 蜘蛛の巣模様が張り巡らされた黒い大理石の巨大な円柱が林立している神殿の大広間には神官たちがずらりと平伏している。


「香神よ、我の進むべき道を示したまえ」


 広間の奥の祭壇の前に闇の神殿に仕える神官の長が厳粛な佇まいを見せている。

 神官長アンバーは、口と鼻だけを出したハヤブサのマスクをかぶり、からだがすっぽりと隠れる白いマントで全身をおおっている。首には金、銀、青玉石、藍宝石の首飾りを何重にもしている。

 マントからのぞく手は重々しい声の響きとはうらはらに、若もののような張りがあった。


「シベット、ムスク、これへ」


 名を呼ばれた二人の従者はアンバーの前に進み出た。

 シベットは豹のような獣の仮面を、ムスクは鹿の角の付いたかぶりものを、目から下だけだ出して同じようにかぶっている。

 腰にはそれぞれの獣の皮をまとっている。

 むきだしの上半身の赤銅色の筋肉には、何か香りのする油を塗っているようで闇の中でも光っている。


「世界を平穏にするために、どうしても必要なものがある。それは何だかわかるか」


 シベットとムスクは、ぴくりとも動かずに立っている。

 まるで一対の像のようだ。


「世界を平穏にするには、わが国秘伝の術奏に使う時空渡りの香が必要なのだ。しかし、今、ここにあるそれは尽きようとしている」


 アンバーは、両手をあげた。

 右手に乳香を左手に没薬を捧げ持っている。


「人は二度死ぬ。一度目はこの世、つまり生者の世界での死」


 アンバーは没薬を、御影石の丸い台の上の大理石の乳鉢に入れた。


「そして、二度目は、死者の世界での死」


 アンバーは乳香を同じ乳鉢に入れた。そして同じ大理石のすりこぎで、ゆるゆるとすり合わせながら言葉を続ける。


「死者の世界で死んだものは、行き場を失い、永久に悪しきものとなってたださまようだけとなる」

 

 アンバーの語りに二人の従者は耳をじっとすませている。


「よいか。

 ここが肝要なところだ。

 一度目の死を自ら迎える王は死して世界を見守るというが、そうであろうか。

 見守るという名のもと、生者を死者のもとに支配しようともくろんでいるのではないか。

 実際、王は、死者の国への旅立ちにたくさんの供を必要とし連れていこうとしている。

 それは、死者の国に君臨するためではないか。

 死者の国に君臨し、その勢力を持って生者の国を攻めようとしているのではないか。

 国を預かるものとして、それは阻止せねばならない。

 王を諌め、やすらかに眠り続けていただかねばならない。

 その為に、時空香が必要なのだ」


 アンバーの言っていることはもっともらしく聞こえた。

 彼は首からさげた黄金の鎖に提げた人の心臓の形をした皮袋から一つまみの砂金をとりだし、それを乳鉢に振り入れた。


「王をかのようにそそのかした、王を継ぐものの居場所がわかった。それが目じるしだ。必ず生きたまま連れてもどるのだ」


 二人はひざまづくと一礼した。

 そのさげられた頭にアンバーは乳鉢で擦り合わせたものをまいた。

 と、次の瞬間に二人はもうその場にはいなかった。


「時空渡りの香を完成させる為一刻も早くつれもどさねば」


 二人が去ったあとアンバーは懐の皮袋を握り締めて呟いた。









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