共有できる夜はつまらない

五郎

キリン

 わたしに覆いかぶさり、もぞもぞと腰を動かす男を眺める。その顔は必死だ。まるで何かに襲われ、逃げているかのように。


 いや、この場合、襲われているのはわたしか。


 そんなことが脳裏をよぎる。どうでもいいことだが、わたしを堪能している男の存在よりは面白かった。

 男の名前は知らない。話しかけられた時に聞いた気もするが、周りも、男自身もうるさかったせいで忘れてしまった。もはや聞く機会も逃してしまったし、連絡先を交換するほどの執着は持てないので、もはや知る由はない。この男が、ピロートークで自己紹介から入るようなことをしない限りは。


 男が何かを言っている。全部は聞き取れなかったが、反応の薄いわたしに興奮しているようだ。物好きなことで。男はわたしに抱きつき、耳元で何やら囁いてくる。やれ好きだの、俺のものになってくれだの、まさに独りよがりだ。


 暇だったので、男を刺激してみることにした。顔を横に向け、耳を甘噛みする。ピアスが邪魔だ。

 男は息を荒げ、わたしを強く抱き締めた。苦しいし、何より暑い。熱帯夜だというのに、なぜエアコンもつけずに情事にふけっているのか、自分でもわけがわからない。余計なことをしてしまった、と反省する。男は興奮しっぱなしのようで、脂汗をわたしに垂らしている。終わったらまずエアコンをつけて、シャワーを浴びよう。湯上がりに涼しい風を浴びるのは、この世で最高の瞬間の一つである。


 気付くと、男が静かに痙攣していた。どうやら終わったようだ。

 荒い息が、実家で飼っているポメラニアンのショコラのようだと思ったが、ショコラはメスだ。例には適さない。考え直すこととしよう。雄牛……が近いのだろうか。実際に目にしたことはないので、想像することしかできないが。しかし、執拗にわたしの唇を割って舌を絡めてくる姿は、キリンのようだとも思った。キリンの長い舌。紫色で、触手のようにうねっている。目の前の男は面長で、キリンそっくりだ。今後はキリンと呼ぼう。


 キリンは名残惜しそうに顔を離すと、局部のゴムを捨てながらわたしに感想を求めてきた。避妊をしていたとは、キリンにしては知性があるではないか。わたしは、緊張して声を上げられなかった、といつもの台詞を吐いた。キリンは満足したようで、どさりとベッドに寝転がった。なんと無防備な姿か。これではサバンナで生き残れないぞ。あるいは、動物園育ちなのかもしれないが。


 キリンが寝静まったのを見計らって、浴室へ入る。こういう時は、事後すぐにシャワーを浴びると嫌な顔をされるのだ。男が落ち着いて、寝るか、冷静になるかした後でないと面倒なことになる。

 シャワーで、全身をくまなく洗う。知らない男と寝ているくらいなので、自分では潔癖ではないと思うが、一汗かいたあとのシャワーは気分がいい。しかし、なぜか男は事後もシャワーを浴びないことが極端に多い。汗だくでベッドに寝転がり、いつの間にか寝ている。気持ち悪くないのだろうか。あるいは、精神が野生に還っているからなのだろうか。

 備え付けの浴衣というか、バスローブというか、とにかく部屋着の何かを羽織ってベッドルームに戻る。これはバスローブに近いが、それにしては生地が薄い。安物だろうか。


 やけに広いソファであぐらをかいていると、稔のことを思い出してしまう。

 稔。笹倉稔。交際経験の少ないわたしの、初めてできた彼氏。大学時代の同期で、趣味が合ったからぼんやり話しているうちに、ぼんやり付き合うことになった。稔のアパートは大学から近く、翌日の一限に授業がある日は、彼の家に泊まることが多かった。彼との思い出は少ない。わたしが忘れっぽいのはあるが、それにしても、一緒にどこかへ行ったりすること自体が少なかった気がする。わたしが面倒臭がりで、彼がインドア派だったからだろうか。


 特に理由もなく、稔とは別れた。

 付き合っている意識が希薄だったので、特に気にしてはいない。しかし、彼が別れを告げた時、声がしきりに震えていたのははっきりと覚えている。これは彼への恋心の残滓なのだろうか。執着なのだろうか。それとも、嫌悪なのだろうか。


 稔と別れてから、わたしはバーで飲み歩きをするようになった。

 わたしの顔は男性にとって“ちょうどいい”らしく、一人で飲んでいるとよく声をかけられた。くだらないナンパだが、わたしはそれに乗ることが多かった。奔放というより、人をもっと知るべきだと思ったからだ。当時のわたしは、父を除けば、稔しか男を知らなかった。わたしは見知らぬ男と、夜を過ごすことが多々あった。


 それで気付いたことがある。簡単に共有できる夜はつまらない。

 カタルシスがないのだ。恋愛ゲームのように、何かの過程を積み重ねて至るわけでもないし、RPGのように、経験値を稼いでレベルを上げる達成感もない。出会い、抱かれ、別れる。それになんの感動があろうか。

 キリンのような男性はそれで満足なのかもしれないが、わたしにとって情事とは、もっとこう、何かの積み重ねの結果にあるものだと思っている。

 愛か。わたしは愛を知らない。いや、感じてはいるのだろうが、実感が湧かない。両親から感じるのは庇護欲だし、友達から感じるのは連帯感だ。稔から感じていたのは……なんだろう。わからない。稔からは、確かにわたしには無いものを感じた。単なる友情ではなく、わたしを慮るというか、わたしを“見ていた”というか。


 あるいは、それが愛だったのだろうか。

 今となっては、それを確かめるすべはない。

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