君と輪舞曲を。

紅鳥つぐみ

第1話 私の城

 私の住む城へようこそ。



 ここは私の城である。床いっぱい…いや、まだ床はところどころ見えているので、汚部屋と呼ぶにはまだぎりぎりセーフだろう。


 薬袋(みない、と読まずにくすりぶくろと素直に読んでほしい)と、脱いだ服、洗濯済みの服がごちゃ混ぜになって、辺り一面に撒き散らしてある。


 そんな私の城であるが、ベットの上は辛うじてものは少ない。エアコンと照明のリモコンが無造作に置いてある。


 そして…人が見ればひいてしまうくらいに、沢山のぬいぐるみがベットの半分近くに占拠されている。いや、一緒に暮らしているに近いか…?

 

そうなのだ。私は城で、沢山のぬいぐるみたちと暮らしている。


(今日も暑いわあ…)


今年も、エアコンと室外機が悲鳴をあげるほどの猛暑だ。

 欠伸をしながら、「タブレット」を飲むために冷蔵庫からキンキンに冷えたお茶と、食べかけのヨーグルトを取り出し、今度は大きく伸びをする。


 ヨーグルトを無造作に口に運びながら、眠気と戦いつつ、薬の入ったピルケースに手を伸ばす。

 そうなのだ。「タブレット」とはおびただしい数の薬だ。これでも私には3箇所の不具合があるため、朝に飲むのは、全部で15錠、粉薬が2種類である。それはもうタブレットの域なので、私はそう呼んでいる。


 何回かに分けてお茶で飲み干す。いつもなら2回で服用できるのだが、今日はカプセル型の薬が喉に引っ付いた。

「うえっ!」思わず声が翻る。


 慌ててお茶を飲もうと思ったが、コップの中は既に空になっており、残りのお茶は冷蔵庫の中だ。

 何とか嘔吐は回避し、唾液だけで無理やり飲み込んだ。ふう。こんなところで窒息死などしてはいられない。

 警察官と、救急隊員は、私の城を見てどう思うのか。お察しである。


『だいじょうぶ?…あっ!』


「…え?」


 思わず両肩を竦める。誰、誰!?誰の声?

 ここは私の城だ。私だけの城のはずだ。


 私以外に誰かがいるというのか。玄関の鍵、窓の鍵は閉まっている。あまりの事に困惑し、もしかして、座敷わらしか?と本気で考える。いや、こんな散々とした部屋には居着かないであろう。

 恐る恐る辺りを見回す。特に異常は無いようだ。いつも通りの散らかり具合。うん、さすが私の城。

 などとどうでもいいことを思いながら、ベットの上を凝視する。


(なにか…「居る」…)


 確かに何か人気のような気配を感じる。いや、もしかしたら人ならず者かもしれない。虫だったら嫌だなあ、などと思いながら、もう一度確認する。


 ところで、私は全てのぬいぐるみに名前をつけ、並べる順番と、性格も設定している。

 この子同士は仲がいいから、隣に配置したり、手触りがいいから、と自分の手の届くところに置く。

 私なりのこだわりがあるのだ。

 そのうちのひとりの白い子犬を抱きしめながら、気を落ち着かせる。

 この子はモフモフで、太陽の匂いがする。なので、手が届くようにすぐ近くに置いている。

 その子を抱きしめながら、改めてぬいぐるみ達の方に目をやる。


「…んぅ?」

 その時、違和感を感じた。

 じーっと、見ているのだ、私を。

 ピンクの子うさぎのぬいぐるみと、目が合ったのだ。


 おかしい。この場所からは、彼女と目が合わないはずだ。彼女は自分より小さい、ピンクの、赤ちゃん子うさぎの方を向いているはずだ。


 まだ起床してから間もないため、私はメガネをかけていない裸眼で、じっと見つめる。

 その時ーーー


『あ、あの…わたし、』


 ーー喋ったァァァ!!

 なんとピンク色のうさぎのぬいぐるみが、声を発しているいのである。



『あっ、おどろかせてごめんなさい…』


 一瞬、自分の精神の病が酷くなったかと思いながら、私は口をあんぐり開けたまま、うさぎを見つめる。

 私はそっと抱いていた子犬のぬいぐるみを定位置に座らせてから、そっと、そして震えながら手を伸ばす。

「しいなちゃん、だよね、今喋ったの…」


 そう。この子は「しいな」と名付けたうさぎのぬいぐるみなのだ。

 4月17日に初めて出会い、日付から417(しいな)と名付けた。

 この子は電車に乗るのが超苦手な私にとっては、安定剤のような大事な存在となっている。

 巾着袋に入れ、いつもカバンに入れているのだ。そして、悲しい、苦しい夜にはいつも抱きしめて眠っている。


 その彼女が…

 目の前で喋っているのである。驚かないはずがない。

 しいなは小首を傾げながらこちらを見ている。


『あ…きこえちゃったか、ついに。あのね、』


 あまりに急な出来事だったので、私はそのまま後ろに倒れ込んだ。

 ベットの上だったので怪我はなかったが。


『おねえちゃん!おねえちゃん!』


 しいなが慌てて私の顔を覗き込む。

 ああ、ということは、しいなは動くことも出来るのか…。なんてことだ、と、一瞬考えつつも、腕を伸ばしてしいなを手に取る。


 とりあえず状況を確認しよう。

 簡単にまとめると、

「タブレット」を飲み損ねてむせた。その時どこかで声が聞こえた。声の主は、ぬいぐるみのしいなだった。

 といったところか。


 しいなは心配そうな顔をしながら、


『あのね、わたしたちがおはなしできるって、ほんとうは、ばれちゃいけないの』


『でも、おねえちゃんがくるしがってたし、しんぱいだったから、つい…』


「そうか、心配してくれたんだね、ありがとう、このことはみんなに内緒にしておくよ」


 しいなの顔が少し綻ぶ。


 私はほとんどの時間をベットの上で過ごす。いわゆるセルフネグレクトと言われる状態である。

 そんな時に私を癒してくれるのが、我が家のぬいぐるみ達だ。


 これなら警察官と救急(以下略)

 きっとしいながくわしく説明してくれるだろう。私のように後ろにひっくり返ると思うが。


 今日は病院へ行く日だ。電車に乗る。

 早速しいなに着いて来てくれるか、交渉する。


『いくよ!もちろんいくよ!

 おねえちゃんひとごみと、でんしゃのにおいとざわざわがだめだもんね。しいな、しってるよ。しいながいないとしんかんせんものれないもんね。』


 うう。その通りである…。


 私は恋人に会いに、一年に二~三回中距離の旅に出るのだが、在来線も新幹線も苦手である。

 キャリーカートにも先程の白い子犬達を入れるだけ詰め、そのせいで帰りのお土産を入れるスペースがない、というミスを何度もやらかしている。

 が、それだけ大事なものなのだ。


(いいかげんにそろそろ、部屋の片付けもしなくっちゃねえ。)


 私はしいなの体を持ち上げると、普段より優しく丁寧に、そっと抱きしめた。

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