羽籠りのアンティメテル

奈月遥

【ソニ】:〔サンダーバード 〕

旅立ちの日

 今日はわたしの旅立ちの日。

 空はくも疾羽鳥はやはとりが舞っていて、高い位置に風がよく吹いていて旅立つにはいい天気だ。

 そのかぜはこの広い高原にまで届いている。

 この一年でよく発達した筋肉で翼を羽搏はばたかせてみる。

 うん、空気の重い感触がいい感じ。この空へと飛び立って何処までも遠くへと行ける自信しかない。

「おかあさん、まだ」

「まだ」

「まだー」

「おとうさま、きてない」

「きてない、きてない」

「きてないっ」

「きてないのぉ」

 おっと。翼で空気を打っていたら可愛い娘二人と孫五人に気が急いていると勘違いされてしまった。みんな、わたしの見送りに来てくれたんだもの、そんな急いでいなくなったりしないよ。

「わかってるよー。準備運動だよー」

「じゅんびうんどー」

「ぱたぱた」

「ばたばた」

 ふふ、口でも身振りでもすぐ真似したがるうちの孫達が可愛い。こないだ卵からかえったばかりだと思っていたのにもうちっちゃな翼をみっともなくばたつかせている。そんなんじゃお空は飛べないぞ。あと二年早いんだなぁ、これが。

 孫達のはしゃぐ姿も眼福だけど、ぺたんと尻餅ついて伸びて来たばかりの足羽あしばねを広げる娘達のくつろいだ姿も見ていてなごむ。まだ飛び立ってないのにもう名残惜しくなってる。

 ああ、でもずっと可愛い子供達と一緒にいたい気持ちと同じくらい、あの雲の薄く流れていく大空へと旅立って星のように小さな点になりたいって本能もむくむくと首をもたげている。

 気持ちが全然落ち着かなくて翼をバサバサしちゃう。飛翔ホルモンめ、わたしの気持ちをこんなにも操って許せない。

「ばば、ばたばた」

「とぶ? とぶ?」

 おっと、またわたしの翼の動きに反応して孫達の目を輝かせてしまった。期待を無暗に膨らませてばかりなのは申しわけない。

「まだ行かないよ」

 だから落ち着いて。飛びたい気持ち強いのはわたし達アンティメテルにとって当たり前だけど、そんなちっちゃな体で翼をばたつかせたら、ぱたんって眠っちゃうよ。

 ちゃんとお見送りはしてもらえないと、お祖母ちゃん悲しいんだから。

 もう一度空を見上げると、一人のアンティメテルが肩から伸びた翼を大きく広げ、鳥の尾羽のように伸びた足羽で舵を切って姿を小さく遠くへと送っていくのが見えた。

 あれはハルシオンだ。一応、卵の殻を割った僅差でわたしの姉。キラキラした湖のような透き通った碧の羽根が空の色にじるようでまぎれずに妙にくっきりと見えるのがいつも綺麗だ。

 どうやら彼女も無事に家族に見送られたようだ。

 それならはしゃいでいるうちの孫達が元気切れでばたんきゅーしちゃう前にわたしも旅立てるはず。

 そう思っていたら、バサバサと大袈裟に翼が空気を打つ音が聞こえてきた。

 そちらに目を向けるとわたしの娘達の父親であるブランテ様が高原の地面すれすれを不格好に滑空してくるのが見える。滑空しているというか翼で空気を打ちながら地面を蹴ってきてるというか……いや、それはもう滑空でいいか。

 ブランテ様ももう四十近いいい歳だ。寿命もあと数年だろうにまだ翼を動かせるだけすごい。

「ソニ、待たせた」

 どさりと重たい音を立ててブランテ様がわたしの前に降り立った。

「いえいえ。順番ですから」

「ですからー」

「からっ」

 お孫ちゃん達が次々に囃し立てるのにブランテ様も切れ込みの深いまなじりを細める。もう何人も子供を育ててきているのに、いやだからかな、ブランテ様は可愛い子供達が大好きだ。

「では二人共。風は気紛れだ。善き風がいつ途切れるやも分からん。始めなさい」

「はい」

「わかりました」

 ブランテ様の言葉に従って二人の娘達が膝でシャボン液の入ったコップを持ち上げてストローを咥える。

 二人息ぴったりに一斉にシャボン玉が放たれて風に乗って泳いで行く。

 母親の旅立ちに風がよく見えるようにと娘達がシャボン玉を吹くのがアンティメテルの伝統だ。

 ゆらゆらと閉じ込めた虹色をあやめかせて風の流れを教えてくれる小さくて無数のシャボン玉達は何処までも連なって何処とも知れない彼方かなたに消えていく。

 それが空の高さの何処まで連れ添ってくれるのか、実際に飛び立ってみないと分からない。

 それでも触れれば弾けてしまうその泡に背中を押されるのがとても嬉しく思えるんだって今日初めて知った。

 一昨年に旅立ったお母さんもこんな気持ちで飛び出してくれたのかもって思うとあの時シャボン玉を吹けて改めて嬉しく思える。

「サシャ、レイラ、ありがとう。行ってきます」

「おかあさん、ばいばい」

「さよなら」

 二人の娘がひらひらと振ってくれる翼が太陽の光で揺らいですごくきれい。

「ばいばーい」

「ばいー」

「さよならっ」

「ならっ」

「さよーならー」

 お孫ちゃん達も一斉にわたしにバイバイしてくれる。嬉しい。みんなに見送られるのってすごく勇気になる。

 さぁ、行こうか。

 娘達がまた噴き出してくれたシャボン玉を目で追って気合を入れて立ち上がる。

 足が細いからずっと立ってるのはしんどい。だからすぐに駆け出す。

 足羽が地面の石や草を擦れる感触が伝わってくる。

 足を回して、早く回して、飛び去っていくシャボン玉を追い駆ける。

 翼を打つ。空気が内側にぶつかる感触をしっかり掴む。

 一瞬体が浮いた。落ちる瞬間に足で地面を蹴る。痛い。なんでわたし達の足はこんなに弱いの。

 どうせなら力強く一蹴りで離陸できればいいのに。

 でも現実はそうじゃないから懸命に翼を打つ。三度地面を蹴ってやっと翼の羽根が空気をはらんで膨らんだ。

 体が下から持ち上がる。

 シャボン玉から目を離さない。離陸の間に追い抜いてしまった。

 左足だけを傾けて旋回する。足羽が風に押し付けられてぺたんとなってる感触がある。

 体はぐるりと回ってシャボン玉に向かう。

 一度通りすぎて円運動のそのままにシャボン玉の後ろの位置を取り戻す。

 風に乗って空へ上がっているシャボン玉に導かれて、上へ、雲へ、光の方へ。

 風に持ち上げられてた感覚も押し付けられていた感覚ももうない。風の隙間に体が挟まってするすると滑っていける。

 高く、高く、高くへと。

 ちらりと首を巡らせて地面を見下ろす。

 みんなが、家族が翼を振っている姿が見える。旗を振っているみたいに色鮮やかに翼が光を跳ね返して、そこにみんながいるってまだ知らせてくれる。

 いいんだ。

 いつか帰りたくなるかもしれない。

 明日には寂しくて泣いてしまうかもしれない。

 でも、今はこれでいいんだ。

 遠くへ。遠くへ。風と雲と光しかない空の中へ。

 何処までも、今は何処までも飛んで行きたい。

 行ってきます。

 さようなら。

 大好きなみんな。可愛い子供達。

 もう会えなくても、ずっと愛してる。

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