第29話 それはこっちの台詞だ

 その日、俺は吉祥寺にある井の頭に来ていた。


 かつては大勢の人が訪れる自然豊かな公園だったが、現在ここは完全に立ち入りが禁止されている。

 というのも、井の頭池の中心に向かって迫り出す半島のような場所に、ダンジョンの入り口が出現してしまったせいだ。


 しかもそのクラスは6。

 深層まで存在している、高難度のダンジョンだった。


 立川からは中央線一本で行けるため、非常にアクセスのいい場所ではあるが、貴重な休日を返上して訪れたのは他でもない。

 Sランク探索者への昇格試験を受けるためだ。


 かわいい姪っ子のお願いを聞く形でSランクへの昇格を受諾したすぐ翌日には、水沢氏が再び店に訪れ、管理庁長官権限によって一気にFランクからAランクへの昇格が決定したとの報告を受けた。


 水沢氏は更新された資格証を差し出しつつ、告げた。


『西田様の実力がSランク相当、いえ、それ以上のものであることに疑いの余地はございません。ただ、一応規則ということで、Sランクへの昇格試験をお受けいただく必要があるのです』


 その試験が本日、この井の頭ダンジョンで行われるというわけである。


 ちなみにSランク探索者への昇格試験ともなると、年に数回しか行われないらしい。

 水沢氏が俺の説得のために足しげく通ってきたのは、直近の試験日が迫ってきていたのもあるようだった。


「集合時間になりました。全員お集りのよう……ではありませんね。まだ一名いらっしゃっていないようですので、もう少しお待ちください」


 ダンジョン入り口を封鎖するために設けられた建物の前で、管理庁の職員が告げる。

 俺を含め、だいたい20人くらい受験者がいると思う。


 Sランクの昇格試験は東京、大阪、福岡の三か所でしか行われないそうなので、地方からわざわざ出てきた人も少なくないようだ。


「おい、あの人」

「まさか、噂の」

「彼もこの試験を受けるのか」

「まだFランクだって話じゃないのか?」

「Sランクの天童奈々を圧倒したほどの実力者だ。飛び級が認められたんだろう」


 ひそひそとそんな声が周りから聞こえてくる。

 ……俺のことを知っている人たちもいるらしい。


「あの、ケンちゃんネルの方ですよね?」


 そんな中、俺に声をかけてきたのは二十代半ばほどの女性だった。


 なんというか、キャバクラ嬢のような女性だ。

 今からダンジョンに潜るというのに露出度の高い華美なドレスを身に着け、ばっちりメイクにネイル。


 正直、苦手なタイプである。


「そ、そうだが」

「すごい! まさかご本人にこんなところでお会いできるなんて。実はあたし、ニシダさんの大ファンで。いつも配信、楽しく拝見させてもらってます」


 目をキラキラさせながら訴えてくる。

 それだけならいいのだが、やたら身体を密着させてきて、しかも顔まで近づけてくる。


「……ありがとう」

「あたし、清水雫っていうの。名前、覚えてくれたら嬉しいな?」


 艶めかしくウインクしてから、ようやく身体を放してくれたのだった。


「ふふふ、試験、頑張りましょ」

「ああ、お互い頑張ろう」

「(うーん、さすがねぇ。私の魅了がまったく通じないなんて)」


 俺に声をかけてきたのは彼女だけではなかった。


「お、お前はニシダ!? まさか、昇格試験を受けるわけではないだろうな!?」

「いや、当然そのためにここにいるんだが」


 なぜか驚いているのは、二十代後半くらいと思われる青年だ。


「い、今からでも遅くはない! 受験を取りやめてくれないか!?」

「なぜだ? ていうか、誰だ?」

「僕の名は高橋竜牙! 登録者数200万人、ドラゴンチャンネルを運営している配信者だ! Aランク探索者で配信をやっているのは僕だけ! 今回の試験でSランクに昇格できれば、さらに唯一無二の存在になることができる! なのにっ……君までSランクになってしまったら、その希少性が薄れてしまうじゃないかあああああああああっ!!」

「そんなこと言われてもな……」

「頼む! お願いだ! この通り!」

「いや頭下げられても」

「くっ……ここまで真摯に頼んでも応じてくれないなんてっ……君の人間性を疑うぞ!?」

「それはこっちの台詞だ」


 あまりに理不尽な要求なので無視することにした。


「ハッ、てめぇがニシダか! ヒャハハハッ、マジでおっさんじゃねぇか!」

「また失礼なやつが」


 今度は頬に刺青のある青年がこちらを嘲笑してきた。


 年齢はまだ二十歳くらいだろうか。

 頭は銀色に染め、耳と唇にはピアスがぶら下がっている。


「見たぜ、てめぇがあの天童奈々をぶっ倒した動画をよぉっ! ヒャハハハッ、Sランクが負けるとはマジで情けねぇ話だぜ!」

「……」

「ところでよぉっ、ニシダのおっさん! ここにサインを書いてくれねぇか? 田中正憲くんへって宛名付きで」

「ファンなのかよ。しかもめちゃくちゃ真面目な名前」

「ありがてぇ! 家宝にさせてもらうぜ!」


 仕方ないのでサインしてやると、嬉しそうに去っていった。


「がははははっ! やはり皆、ニシダ師匠のことが気になっている様子であるな!」

「ええと……君は?」

「吾輩の名は山口権蔵! 生粋の群馬県民である! 昇格試験のため、二十年ぶりに東京へ参った!」


 身長二メートル近い髭もじゃの巨漢だ。

 年齢は三十歳くらいか。


「師匠というのは?」

「うむ! 貴殿の配信を見て、その強さに惚れ込んだ! 以来、勝手に師匠と呼ばせてもらっておる!」

「……そうか」


 勝手に呼んでいるという自覚があるようだし、無理にやめさせる必要もないだろう。


「なんていうか……変わったやつが多いな」

「がははははっ! さすがに師匠には敵わぬ!」

「え?」


 聞き捨てならないな。

 俺は至って普通の人間だと思うのだが。

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