白銀戦線、イコールゼロ

えるん

n話

「手を取れ。生きているなら」

 すがるように掴んだ手があまりに冷たくて小さくて現実感がないものだからうっかり此の世ならざる方を選んでしまったのではないかと不安になったのはつかの間のことで、思いのほか強い力で引っ張り上げられた先にいた白い髪、雪の結晶のようにきらめく髪質、尾っぽのようになびくお下げ髪。幼い容姿にそぐわない冷たいまなざし、引き結んだ唇、色素の薄い肌に視線が移るにいたって自分をすくいあげた相手が此岸、まぎれもなく現実だと思い知らされる。

 何故も何もなく白髪の少女、黒の国にあって軍服ならざる軍服、純白をまとい死屍累々たるこの戦場に立っていられるのはまったく一人しかありえない。

 シュテラ。シュテラ・ブリュンヒルト。たった一人で戦局を覆すと言われる戦乙女、理外の力が猛威を振るう超常の戦乱にあってなお異常と恐れられる彼女のいる場所が、生無き此岸であるはずがない。

 どこまでも続く白の雪原に囲われたチンケな町は真っ赤に燃え上がっていて遠くから見たならでっかい焚き火に見えたことだろう、やがて消えてただの煤になる儚い火種。住み始めて数年になるが移住を勧められる要素が皆無なシケた町なので燃えかすになったところで思い入れもないものの犬小屋のような住処と子供の使いのような駄賃を得る職場を失ったのは、おれのように戦うすべもない朴念仁には、しもやけよりも痛い。

 極寒の大地に住まう誰もが知る時代の梟雄は寒風になびくお下げを後ろに払って

「お前以外は全滅だ」

 抑揚もなく事実だけを述べた。

「狙われたのは私だ。私を仕留めるためだけに起こされた惨状だ」

 成果はなしゼロ、と続いた言葉は少し投げやりな調子、皮肉めいた物言いには感情が滲むが、表情は変わらず冷え切って動かない、だから何と応えたものか、ただでさえ有名な、ドのつくほどに有名な相手を前にぎしぎしと体を軋ませている状態が一向、緩まない。

 助けてくれてありがとう、と気安く言えたらいいのだが、そもそもが突然に日常をドカンと比喩でなく吹き飛ばされたことで頭は真っ白なのだ、当たり前のリアクションもひっくり返って心の隅でもがもがもがいてるような案配で、どうにもならない。

 何か言わないと――と気は焦る。だって、恐ろしい。次の瞬間には少女に食い殺されるのではないかとおれの心は本気で怯えて震えて軋んでいる。なぜなら、なぜなら、ああ――少女がおれを、見る。

「――――き、きれいな髪、ですね」

 少女の口は小さく開いた。まなざしは変わらない。唇以外に動いた箇所パーツはない。オーのようにゼロのように空いた口だけが彼女の感情表現。驚きか呆れか、あるいは怒号が飛び出すか。いずれにせよ爆発カウントゼロは訪れる。

 なぜならおれは敵だから。彼女にとって敵国の人間でしかないはずだからである。

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白銀戦線、イコールゼロ えるん @eln_novel_20240511

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