偽りの英雄王の末裔
珠福
第1話 いつかまた世界の終わりに①
さらさらと砂の降り注ぐ音が止むと、乾いた大地にようやく陽の光が落ちてきた。辺りを覆いつくしていた厄災の砂嵐はすっかりと消え果て、後に残ったのは広大な砂地だった。円錐形の砂の丘が不自然に、まるで巨大な砂時計の砂が天から降り注いだかのようにこんもりと積まれ、その裾野から先は唐突に深く色の濃い森林が始まっている。正確には、元々深く暗くじっとりと湿った森のただ中にあった険しい岩山だったものが、すっかり抉り取られ、広大な砂地の丘に変わったのだが、その変わりゆく様を目にすることができた生命はいない。
新たにできた灰色の砂の丘の頂上が、鈍い動きで内側からぐぐっと持ち上がった。水のように滑らかに砂が流れ落ちると、大きな金属板が押し出されてきた。傷だらけの大きな盾だ。砂の重みが無くなり軽くなった勢いで、盾はバタンと砂の丘に投げ出された。続いて砂に埋もれつくした大きな塊がもぞりと這い出し、ぶはっと豪快に息を吐いた。
「やったかッ!? おいっお日様だぞ!!!!」
その大きさに違わず大きな声を上げると、盾を押し出した方とは別の腕に抱え込んでいた塊を砂地の中から引っ張り出した。
「しっかりしろッッッまだくたばるんじゃねぇぞ!!」
引っ張り出した塊を小脇に抱えたまま、乱暴に、それでもいくらかは手加減しているらしくパタパタと砂を叩くと、少しの間の後にゲホゲホと咳き込む音が漏れ、それがヒトであるとわかった。
「痛ッ……ゲホッま、、、待てっ…」
咳き込みながらもぞもぞと身動ぎしても、大男が小脇に抱えたまま叩くものだから体の自由が利かない。制止の声すら叩き落とすように、抱えた方の大男はパタパタというかバタバタと続けた。
「生きてるか!? 息をしろっ息を! 落ち着いて、しんこきゅ…」
「してるわッ息! 止める気かッ息!! 叩くなっ離せっ!!!!」
息を深く吸い込み酸素が行き届いてようやく出てきた抗議の声を「よし! 無事だな!!」と、かなりポジティブに解釈してから、大男は砂の上に、できるだけ丁寧にそれ、おそらくローブのようなものに包まれたヒト、声からすると少年のような塊をを下した。
そうしながら、あたりの様子に油断なく目を走らせ、一瞬後に「おいおいおい……なんだこりゃ?」と間の抜けた声を上げずにはいられなかった。あたりは大男の知っている風景とは一変していた。
深く暗い森に囲まれ天を貫くかのように聳え立つ険しい岩山には、魔物の放つ瘴気に阻まれ陽の光は届かない。淀んだ瘴気を掻き分け道なき道を進まねばならなかった、呼吸をするだけで肺まで穢されていくような重苦しく鬱蒼とした大森林。それが、今はもう無い。生命を拒む切り立った崖も、岩山への侵入を阻み囂々と唸りを上げ渦巻いていた異臭を放つ風も吹いていない。
魔物が嫌うという陽の光に照らし出されたそこはただ、さらさらと灰色がかった砂でできた小高い丘でしかなくなっていた。砂山の裾野の端から名残りのように森が茂り地平の先へと広がっているが、少し前まであったような暗く息詰まる重さは遠目にも感じられない。瘴気が渦巻く岩山が無くなってみれば、遥か彼方にうっすらと山々の連なるのまで見ることができた。言うなればそこは、ひどく健全で穢れのない、陽の光が差し込む砂漠だった。
呆然と四方を見渡した後で大男は、不意に自分が剣も帯びていないことに気づき、咄嗟にあたりの砂地に手を突っ込んだ。本能的な、恐怖と焦燥に駆られた動きだった。なりふり構わず砂を掻き分けようとするその無骨な手をそれよりもずっと華奢な手が静かに抑えた。
大男がはっとして顔を上げると、すっかり見慣れたはずのアイスブルーの瞳が、今まで見たこともない穏やかな光を湛え、じっと見つめていた。
「終わった」
短く言う声も初めて聞く穏やかさだ。
大男は砂地に突っ込んでいた手をゆっくりと戻し、ぱたぱたと砂を落とした。そうしてから、目の前に膝をついている小柄なローブ姿から、目深に被っているフードを両手で丁寧に、ゆっくりと外した。
陽の光の中に、さらりとした黒髪が現れた。光に透けるとそれがただ黒ではなく深い水底の蒼を思わせるのが不思議だった。まだ砂の残る、その蒼みがかった髪に武骨な指を差し入れ梳いてやり、ぱらぱらと砂を落とした。自分でもよく分からない衝動で、大男はただ黙って、額、鼻先、頬から顎、耳と砂を落としてやった。今までそんな風に、この少年に触れたことはなかった。少年も驚いているのか、アイスブルーの瞳を見開いたまま、じっとしていた。瞳はただ、大男の顔を見つめている。
武骨な手にひとしきり顔をなでられ砂を落とされてから、「ファリス」と大男の名を呼んだ。
「大丈夫だよ、ファリス。私は大丈夫」
「うん、うん」
武骨な手は少年の肩に移動し、今度はローブの砂を落とし始めた。そこで大男ファリスはふと、「俺は今、どんな顔をしているんだ」と思い至った。じっと見つめてくるアイスブルーの瞳を戸惑わせているのは何故だ。
剣など握らない華奢な手が、ファリスの手を止めた。
「終わった。終わったんだよ」
「うん、うん」
「私も君も、生きている」
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