第2話 いつかまた世界の終わりに②

「うん…う、ん、はは………は、ははは」


 不意にこみ上げてきた笑いを呑み込むように、ファリスは目の前の肩を腕の中に思いきり抱え込んだ。ローブの下にはなめし革の胴衣を着けているはずだが、それでもファリスより随分と細い体は腕に余ることもなくすっかりと胸の中に納まってしまった。今まで、顔をなでたことも無ければ、腕の中に抱きしめたことも無い。だが、そうせずにはいられなかった。

 笑いとも嗚咽ともわからない激しい何かが、常の彼らしくもなく腹の底から湧き上がってくる。湧き上がってくるのにそれは喉の奥に詰まり、外に吐き出すことができない。くぐもった妙な音になって無様にファリスの大きな体を揺らすだけだった。砂の丘の上で膝立ちの男が二人抱き合うなど、ファリスの人生には無かったことだ。これから先も、あるはずがない。頭のどこかで奇妙に冷静な自分がそう言っている気がしたが、ファリスは腕をほどけなかった。

 どれほどそうしていたのか。衝動が自分の奥深くにゆっくりと沈んでいくのと同時に、ひどく優しい力が背中から伝わってくるのに気が付いた。腕の中の少年の手が背中に回されている。ただ添えられただけのその掌の熱までは、分厚い鎧に阻まれて分からない。だが、その力の確かさだけは、はっきりと伝わっている。

 ファリスは不意に湧き上がった照れ臭さから、余韻も残さぬ唐突さで細い肩を掴み、さっと胸から引き離した。


「俺たちは世界を救ったのか?」


 アイスブルーの瞳を覗き込み、にっと笑うと少年がようやく、いつもの勝気な笑みを浮かべた。


「ああ、救ったな」


 そこで二人は声を上げて笑い合い、できたばかりの砂山の頂上に足を投げ出して並んで座った。


「これで俺は、英雄王だな」


「そうだ。英雄王ファリスは伝説となって後世まで語り継がれる」


「伝説かぁ……おっ、そうだ! じゃあ、この鎧なんざ伝説の鎧じゃねぇか。って、ああああ、やべぇ、ボロボロだぜ、おい。盾もひしゃげちまったし……そうだっ剣! 俺の剣! どっかいっちまった!!」


「いいんだよ、そんなものは。帰り道にどっかで誂えれば」


「よくねぇだろ。戦いでついた傷とか残ってないと、信憑性に欠けるだろうが」


「そんなの適当に擦り傷でもつけておけばいい。英雄王ファリスが纏った伝説の装備だぞ。そうそう簡単に壊れたりしないし、かっこよくないとダメだろ?」


「……そうだな。伝説だからな。揃いのをかっこよく誂えないとダメだよな?」


「剣も鎧も、その辺で具合のいいのを手に入れて使ってたから揃いじゃなかっただろ? 伝説となると、揃いだよ」


「まあ、値は張るが、世界を救ったんなら、そのくらいはいいか。お前はどうする? 精霊の王の装備って、どんなだ?」


「あー、剣士じゃないから装備はしょぼいな」


「そういや、魔法の杖も無いもんな」


「使うの魔法じゃないからな。杖いらないし。胴衣着けて、他はせいぜいローブくらいか」


「なあ、精霊って魔法じゃねぇの?」


「まだそれ言うかっ! 魔法じゃないって、前にも言っただろ」


「よくわかんねぇよ、そういうのは。杖もいらないんじゃ、伝説の装備はちょっと難しいな」


「そもそも、装備は別にどうでもいいんだよ。そういうので戦ったり守ったりするわけじゃないから」


「それがよくわかんなくて気持ち悪ぃんだよな。とりあえず、なんか持っとけば? いちいち御大層な精霊のなんたら使うの面倒なときに叩けるじゃねぇか、杖あれば」


「そんなことのために持ち歩くのが面倒なんだよ、杖。叩いたくらいでなんとかなるような奴とは戦わないし、偉大なる精霊の王の力は使うの面倒になったりしないんだよ。気持ち悪ぃとか言うな」


「わけわかんねぇのは気持ち悪ぃだろうが。それでもどういうわけか、この有様は精霊の力なんだろ?」


「正しくは、精霊の王の力だが。まぁ、これは、そうだな。私がやったことだ」


 そこで二人は改めて、すっかり様相の変わった辺りの風景に目を向けた。二人が終の決戦を戦い抜き、どうにか『邪悪なるものの門』を閉じた結果、瘴気の森に囲まれた暗澹たる始原の岩山は抉り取られ、後にはただ小高い砂山を中心とした砂漠が残された。


「ここまで変わっちまうとはな。門はどこへ行った? 消えたのか? 壊れたのか?」


「いや、消えていないし、壊せてもいない。この砂に埋まっているだけだ。岩山が分解され、巻き散らかされたのもあるだろうが大半はこうして砂になって積もったんだ。門のあった場所は地下深くだっただろう?」


「そうだった………散々あの足場もろくに無いクソ高い岩山登らせたくせに最後は死ぬほど地下だった……あの地下洞窟が全部砂に埋まったのか?」


「そうだな、たぶん」


「よく生きて出られたもんだ」


「まったくだ。単純に質量的なことだけでも、私ほどのものでなければ脱出はできなかっただろう」


「って、おい! なんだかよくわかんねぇまま、お前を抱えて砂掻き分けて引っ張り出したのは、この英雄王ファリス様だろうが!」


「いや、まさか、これだけの地形の変動の中、あの地下深くから君の筋肉だけで脱出できたわけ無いのくらいは理解しろ。精霊の王の力が不可侵の境界を生成し物理的干渉を」


「ああぁぁぁっまた始まったよ、ヒト語しゃべれねぇのかよ、精霊の王サマは!」


「しゃべってやってるだろ、ヒト語ッ………」


 少年がその先の言葉を続けられなかったのは、ファリスが並んで座っていた肩に腕を回し、力強く引き寄せたからだ。

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