この気持ちの名前にならもう気付いてる筈だった

遊。

プロローグ

家から数歩程の場所にある寺で、その葬儀は行われていた。


「あんなに良いお母さんだったのにねぇ…。」


「本当に…何を考えてるのか分からんな。」


「天国にいる彼女が可哀想だわ…。」


聞こえてくる親戚達の遠慮ない陰口に、耳を貸すつもりなんて最初からなかった。


ただじっと、死んだ母さんの遺影を見つめる。


「あんなに優しいお母さんだったのに涙一つ流さないなんて…。


本当に鬼の子なんじゃないかしら…。」


「母さん…。」


元々病弱だった母さんが突然長期入院となったのは数ヶ月前。


日に日に弱って行く姿を見ているのは、子供ながらに身を引き裂かれるような思いだった事をよく覚えている。


「なんだか不気味よね…。


何も感じないのかしら…。」


そんな訳がない。


俺だって今まさに悲しんでいる。


そんな俺の真意なんて考えもせず、大人達は好き勝手に陰口を言い続ける。


そんな大人達も、一度睨み付けると怯えるように一瞬黙る。


「ほ、本当に末恐ろしい子だよ…。


お友達の春樹君の方がまだ可愛いらしいよ。」


が、すぐに声のトーンを落としてまた陰口を言い始める。


言われて隣を見る。


「う、うわぁぁぁん!」


俺の隣では、来て早々に春樹が大号泣していた。


「なんで実の息子の俺が泣いてないのにお前がそんなに泣いてんだよ…。」


「だって…だって!お前の母さん超良い人だったじゃん!


俺悲しくて…。」


「まぁ…確かに良い人ではあったけどさ…。」


実際母さんは凄く優しかった。


自分だって病弱な癖にいつも俺の事を心配して、本当に大切に、愛情を持って育ててくれた。


実際俺は直接口にさえ出さなかった物のそんな母さんの事が大好きだった。


「あの人らも言ってんじゃん…。


なんでお前泣かないんだよ…?」


そりゃ目の前に自分より盛大に悲しみを表現してるやつがいたらな…とも思うが、実際それはあんまり関係なかった。


「泣ける訳ないだろ。


絶対に。」


そう。


親戚になんと言われたって思われたって関係ない。


俺はもう絶対に泣かないと決めたから。


と、そこで目が覚める。


「夢、か。」


随分と懐かしい夢を見た気がする。


「今更こんな夢を見るなんてな。」


俺の名前は中川泰幸。


高三。


まだ眠い目を擦りながら、大きく伸びをする。


「おーい、お前ら席に付けよ!」


しばらくして担任が入って来ると、一斉に自分の席に戻って行くクラスメイト。


今から始まる授業は現代文。


正直二度寝も考えたくなる授業だ。


「いきなりだが今日はお前らに宿題を出したいと思う。」


「えー!マジかよ!」


当然クラス中からブーイングの嵐。


「えーい、黙って聞け。


今日から、お前達には自分史を描いて貰いたいんだ!」


自分史、ね。


言われて考える。


確かにこれまで色んな事があった。


実際夢に出てきたあの思い出だって、今でも忘れられずにずっと残っている。


どうすっかな。


実際こう言う場で自分の内情を大っぴらにするのは抵抗がある。


母さんが死んだ後、それを知ったクラスメイトや教師、周りの人間に随分と気を遣われた時の息苦しさが今も忘れられないからだ。


だから自分からその話を口に出すのはやめた。


こんな話、聞きたくて聞くやつもいないだろう。


そんな物好きは…いや、一人居たか。


そう考えながら思い浮かぶのは、アイツの顔。


今でこそ俺の事を敵だなんだ言ってやがるが、今までの奴らと違って同情なんかじゃなくて一人でもちゃんとやれてるから純粋に尊敬すると言ってくれたアイツ。


でも俺はアイツと出会うまで、そんな言葉をかけられた事もなければ、尊敬なんて言葉を使われる事もなかった。


自分がそんな物を持たれるような人間だとは思えない。


でもアイツはあの日そんな純粋な思いを精一杯伝えてくれたんだ。


思えばアイツと出会ってからか。


こうも母さんの事を思い出してまた考えるようになったりだとか。


今までの自分とは違う生き方をしてみようと思えた事だとか。


「わかんねぇもんだな。」


それまでは自分がこうも変わるだなんて思わなかった。


まだ小さかった頃のような熱意はもう無い。


でも根っこの部分は変わらずになんだかんだ高校を卒業して、働きに出て。


淡々と変わらない毎日を過ごしていくのだろうと思っていた。


「そんな俺が自分史、ね。」


まだ抵抗はある。


でもまぁ。


「描くか。」


母さんが亡くなって泣かないと決意した事。


そしてそんな母さんを死の間際に泣かせてしまった事。


あの時の母さんの気持ちも、乗り越えようとして必死に大人になろうとしていた本当の自分の気持ちの名前になら気付いているはずだったんだ。

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