第17話:ああ、素晴らしき妖生⑧


 「アロマ……? いや、攻撃性がなくともあの図体だ、近づくのは」

 「バルト殿、待ってほしい。――少しでも不穏な気配を感じたら、すぐ離れましょう。本性の馬力はご覧になったとおりゆえ」

 「はい!!」

 「旦那ッ」

 「いざという時は、我々で対処すれば問題ありますまい。……そうなる可能性は低い、と自分は思うが」

 焦るバルトに対して、ノルベルトはいたって落ち着いたものだった。条件付きとはいえすぐに許可を出してもらい、勢い込んだ理咲がわき目も振らず突っ走っていく。

 (実物持って来といてよかった! どんなもの作ってほしいか、見てもらった方が早いから!!)

 相変わらずご機嫌で寝そべっている猫妖精の、万が一急に動いても避けられそうなギリギリの距離で立ち止まって準備を開始する。普段着にしている簡素なドレスの袖をまくって、ポーチに突っ込んできた精油と、もう二回り大きな瓶を引っ張り出した。大きい方のふたを先に開けて、手のひらに取ったのは透明な液体だ。

 精油の多くは芳香を持つ植物から作られる。つまり百パーセント自然由来の成分だが、直接肌に使う時は希釈するのが大前提だ。高い濃度で有効成分が含まれているので、原液のままでは逆に悪影響を及ぼす危険がある。そこで、

 「よしよし、いい子にしててね。足の裏マッサージしてあげるからねー」

 《みゃ? ……ふなぁ》

 植物油に精油を数滴混ぜて、そーっと後ろ脚の裏を触る。淡いピンク色の肉球を撫でるようにマッサージしてやると、一瞬だけ力が入ったものの、大人しく寝そべったままで受けてくれた。柑橘類のいい香りを感じつつ、そのままぷにぷにと無心で施術すること、しばし。


 ふしゅうううううう……


 どこかから、空気の漏れるような音がした。きょろきょろ辺りを見渡すと、目を半分以上閉じてうとうとしている猫妖精の口から、何やら怪しげな色合いの煙が湧き出している。鈍い紫色のそれが吐き出されるほどに、黒い毛並みの身体がするすると縮んでいって――


 ……ぽふっ。


 「わっ、――あ、あれ? ひと!?」

 「……うー、ん」

 元の大きさの十分の一程度に縮んだところで、軽い音がしてぱっと白煙が上がった。思わず声を上げた理咲の、つい今しがたまで巨大な後ろ脚を置いていたひざの上で、いつの間にか横になっている人物がいる。長いオリーブグリーンの髪と、満月のような金の瞳を持った美しい女性だ。

 濃色で裾の長い、いかにも魔法使いが着ていそうな服装をした彼女は、呻きながら肘をついてよっこいしょ、と上半身を起こした。とっさに手を貸すと、たった今気づいたという風情で瞳を瞬かせてから、にっこり笑う。

 「あら、ありがと。助かるわ……って、あたしいつの間に外に出たっけ? なんか廊下がズタボロなんだけど」

 「あれだけのことをやっといて覚えてないのか、お嬢よ……」

 「まあまあ。リサ殿、お見事でした。そして無事で何よりだ、ラウラ殿」

 「……へっ!? あの、ノルベルトさん、このお姉さんもしかして」

 どこかで聞いたことのある名前を口に出した隊長殿に、あわてて訊き返す。すると、相手はこれまた今気づいた、という顔をして、やや申し訳なさそうに付け加えてくれたのである。

 「まだ正式な名をお教えしていなかったか、申し訳ない。こちらの女性が我が国の当代宮廷魔導師筆頭、ラ・カステヘルミ女史です」




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