愛に生きる探偵~賢崎鋭志の事件簿~
世芳らん
第1話 花嫁失踪事件~自意識過剰探偵の登場~
「ふむふむ、それで。白昼どうどう花嫁を攫われたというわけですか」
我が上司、賢崎鋭志は目の前に座る男性の話を要約した。但し、依頼内容が内容なだけに、デリカシーのないこの問いは相手を軽く立腹させたようだ。本人はそのことに全く気付いていない。
「ええ、そうです。お恥ずかしい話ですが、僕は今の今まで響子にそのような男性がいることを知りませんでした。結婚式前日にその男が現れて彼女を連れ去るまで、僕だけが彼女を愛していると疑うことすらなかったのに。もちろん僕より以前にお付き合いしていた男性ぐらいはいたでしょうが。彼女自身が望んでついていくとは思いもよりませんでした」
早口で捲し立てた。
手のひらは固く握り締められ、太腿の上で微かに震えている。彼女を取り戻したいという感情よりは、裏切られたという思いのほうが強いように見受けられた。
「あの、ちょっと、よろしいでしょうか」
口を挟むと、二人の男の暗い視線がこちらに向けられる。依頼者はともかく、賢崎の場合は、お前ごときが黙っていろ、という脅しに違いない。私は構わず口にした。
「なぜ、響子さんが望んでついて行った、と?」
「?」
「だって結婚式当日に、某有名映画のように男が彼女を連れ去ったとかじゃないんですよね。あくまで前日に手紙一通だけを残して、彼女が姿を消した。お付き合いしていらっしゃるわけですから、彼女の筆跡に間違いないと確信されたのだと思います。ただ男に脅されて書いた、とか、全く別の理由であなたと結婚することが出来なくなって手紙だけ残して去ったとか、可能性は色々あるわけじゃないですか。なぜその一択なのかな、と」
「ふん」
賢崎はなるほど、とでもいうように、顎を右手の平でなぞってから男性を見つめた。視線の先の相手は
「そんなの決まってるじゃないですか。直感です」
「「直感」」
図らずも声が重なる。
賢崎は軽く咳払いをしてから、
「分かりますよ。直感はなかなか侮れない」
直感だけで突っ走っていつもぐだぐだになっている男が何を言う、とは思ったが、ここは上司を立てるためにあえて口を閉じておく。
「愛する女性を奪われた苛立ち、よく分かります。つまり当探偵事務所への依頼は、消えた福山響子さんを探すこと、でよろしいでしょうか」
「はい」
仄暗い男の瞳が一瞬だけ光ったような気がした。背筋に鳥肌が立つ。
「分かりました。お受けいたしましょう。ただし、うちは依頼は全て前金でいただいておりまして」
「これで足りますか」
男はテーブルの上に札束を転がした。少なくとも百万円はある。
単純なる賢崎はすぐさま依頼を引き受け、テーブルの上に足を載せて札束を数え始めた。が、急に思い出したように依頼人へ向き直った。
「依頼は受けるが、一つだけ言っておかなければならないことがある」
私は慌てて上司の口元を押さえた。
「何でもないです。本当気にしないでください」
「?」
「いや、本当に!」
それから出て行く男性の後を追って尋ねる
「あの」
「はい?」
「どうしてうちなんでしょう。ほら、近くには有名な伊達貴臣探偵の事務所もありますし」
「ああ」
相手は明らかに気まずそうな表情を浮かべた。
「伊達探偵はとても有名でお忙しそうですし、僕のような依頼は受けてくださりそうにないな、と思ったものですから。こんな理由で大変申し訳ありませんが」
「いえ、そんなことは。とても、とてもよく分かりました」
そりゃそうだ。そういった理由でなければとてもうちの事務所などへ依頼をするなど考えられない。
伊達貴臣とは、テレビ画面でもお見掛けするちょっとした有名人で数々の難事件を解決している腕利きの探偵なのである。ただしうちの賢崎探偵は伊達探偵のことを認めていない。
「そもそも探偵の仕事とは『不倫調査』か、『行方不明人を探す』の二択がメインといっても過言ではない。それを殺人事件の犯人を捕まえる?笑わせる。そんなに事件を解決したいなら、警察にでも鞍替えしろ」
テレビを見ながらいつもこんな台詞を吐いている。
事務所へ戻ると上機嫌の賢崎が札束で顔を扇いでいた。
「賢崎さん、いつもやめてくださいって言ってますよね」
「何のことだ」
「さっき言いかけたでしょう。依頼は引き受けるが」
「「対象者が俺のことを好きになってしまうかもしれない」」
対象者とは依頼人の探し求める相手、今回は響子さんのことだ。そもそも対象者と鉢合わせるということ自体、調査が失敗に終わっていることを意味するが、エゴイズム男にそんなことは関係ない。
この自惚れ上司は必ず対象者が女性と分かるなり、依頼人を不穏にする暴言を発する。一度依頼人に殴られたこともあるくらいだ。そして何より尾行が下手くそなのである。尾行そのものがうまくないのではない。尾行の最中に異性をナンパするのだ。目立ちすぎてばれてしまう。
「この依頼受けて良かったんでしょうか」
「何を言っている」
「だってさっきの依頼人、彼女を探してほしいって言ったときの目がものすごく暗いというか、凍り付いているというか。私以前別の事務所で不倫調査の依頼に携わったことがあって、そのとき見つかった対象者が後で悲惨な目に遭った記憶が残っているんです。何だかとてつもなく嫌な予感がするんですが」
「ふん。こういう依頼の多くは、依頼している本人だけが気付いていなくて、実は彼女は男に愛想を尽かしていたというパターンが多い。教えなければ良いと判断すれば、伝えなければ良いだろう」
「そんな。お金を貰っておいてですか」
「金なんか腐るほどある」
(世の中には、ね)
全くどこからそんな自信が出てくるのか甚だ疑問だ。毎月の事務所の出費も私が副業から捻出しているというのに。
ま、そういうお金に頓着しないところが人間として尊敬できるのだが。その一点に限るが。
「とにかくこれからその結婚式場とやらに乗り込むぞ。本当に結婚式が執り行われる予定だったのか調べる必要がある」
「何ですか。賢崎さん、もしかしてあの依頼人が婚約者を探しているのではなくて、実は全く違う目的で女性を探していると思っていらっしゃるんですか」
「いや。この二人がどれくらい愛し合っていたのか、他の人間に供述を取るためだ」
(そうでしょうね)
賢崎鋭志の頭は春夏秋冬を問わず、お花畑で出来上がっている。斯くして私たちは結婚式場へ向かうこととなった。
「結婚式当日のキャンセルは返金できないことになっているんです」
ウエディングプランナーの女性は暗い表情で答えた。短く切った髪の下で動く眉がこの場合においても、彼女の感情を如術に物語っている。
「ということは式自体は中止になっているのに費用は全額支払いですか」
「まあ、そういうことになります」
それは依頼人が怒りに震えるのも無理はないだろう。結婚費用は軽く見積もって二百万程度はするはずだ。それを逃げた彼女の分まで支払うとなれば、心理面では二重の負債である。
「それでどうです?二人は間違いなく愛し合っているように見えましたか。どちらか一方が気乗りしていなかったなどということはないですか」
「そんなことはあり得ません!」
プランナーは頭を振って激しく否定した。
「どの打ち合わせの時もとても仲睦まじくて。二人の晴れ姿早く見たいなって思っていたんです。それなのに」
彼女はひどく心を痛めている様子だった。しかしそれも一瞬のことで、職業上なのか私たち二人を見つめると
「それで鷹取様のお知り合いとのことでしたが、お二人も式場を検討中でいらっしゃるんですか」
「え!」
「それはない」
動揺する私を完全に無視して賢崎は
「俺のようなパーフェクトな男がどうしてこんなちんちくりん女と結婚しなければならないんだ」
本当一度刺されてしまえ、と思う。敢えて嫌がる男の腕に自分の腕を絡めて
「彼、恥ずかしがり屋なんです!」
と満面の笑みを浮かべる。
「やめろ!」
「もう鋭ちゃんったら」
「仲がよろしいんですね」
「はい、とっても!!」
式場を後にした賢崎は引っ張られていた腕をまるでゴミでもついていたかのように払う。
こいつ本気でどついてやろうか。
こちらの心情などお構いなしに、賢崎は自信満々、
「これで一つ明確になった。二人は互いに愛し合っていたということだ」
「あの、この調査必要あります?」
「当然だろう。鷹取氏だけが乗り気で、実は響子さんはさほどでもなかったという可能性もある。その点を潰しておくことは必要だ」
「それよりも響子さんが住んでいたアパートの部屋を調べることのほうが重要な気がするのですが」
「お前という女はこれだから。『愛』の何たるかを知らないお尻の青い子どもは黙っておきなさい。ま、しかし、響子さんの部屋を確認する必要は確かにある」
「それには鷹取さんの協力がいりますね」
「俺の言おうとしていた台詞を取るな」
というわけで依頼人の鷹取氏に頼んで彼女の部屋を見せてもらえたのは翌日になってからだった。
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