1-4 母親の無関心

書斎に流れる重苦しい沈黙を破ったのは、ロバートの冷たい声だった。


「エリーナ、お前は我々を愚弄しているのか?」


エリーナは震える手を握りしめ、真っ直ぐに父の目を見つめた。


「いいえ、お父様。これが真実です」


ロバートの顔が怒りで歪んだ。


「馬鹿な! そんなはずはない!! お前には魔力がないと判断されていたはずだ!! だから私はようやく⋯⋯」


「ロバート」


カタリナが夫の腕に手を置いた。その声は冷静だったが、目には不安の色が浮かんでいた。


「落ち着いて下さい。この、状況をよく考える必要があります」


ロバートは深く息を吐き、妻に向き直った。


「そうだな。まずは⋯⋯」


「お父様!」


アリスが父親の言葉を遮るように急に叫んだ。


「お姉様を魔法学院に入れるべきではありません!」


ヴィクターも同意するように大きく頷いた。


「そうだ。あんな奴が魔法学院に入ったら、レイヴン家の名誉に関わる!」


エリーナは息を呑んだ。魔法学院に入学できる? そんな可能性があるとは思ってもみなかった。


だが、エリーナのそんな期待もむなしくロバートは冷笑し、否定した。


「魔法学院だと? 冗談ではない。エリーナには相応しくない」


「でも、お父様! 私にも学ぶ機会を⋯⋯!」


「黙れ!!」


ロバートの威圧するような大きな怒鳴り声が部屋中に響き渡った。


「お前に意見を求めた覚えはない!!」


びくっと体を揺らし、エリーナは萎縮してうつむいた。

カタリナはこの一部始終を無表情で見つめていた。そして、ようやく口を開いた。


「エリーナ」


その呼びかけに、エリーナは縋るような気持ちで顔を上げた。

だが、母の目には、何の感情も浮かんでいなかった。


「あなたは⋯⋯本当に魔法が使えるのね」


「はい、お母様」


エリーナは希望を持って答えた。

カタリナは一瞬目を閉じ、深呼吸をした。そして再び目を開けると、その瞳には冷たい光が宿っていた。


「そう。では、これからはもっと効率よく働きなさい」


カタリナの返答にエリーナの心が凍りついた。


「え⋯⋯?」


「掃除、洗濯、料理。全て魔法でこなせるのでしょう?」


カタリナの声には娘を思うような一切の温もりはなかった。


「今までの倍の仕事をこなしてもらいます」


「でも、お母様! 私も学びたいのです! 魔法を使えるんです⋯⋯!」


エリーナは震えた悲鳴を上げるような声で言うと、カタリナは冷たく鼻笑った。


「学ぶ? あなたに何を学ぶ資格があるというの?」


母親のその言葉は、エリーナの心に深く突き刺さった。


「カタリナ、よく言った」


ロバートが何度も満足げに頷いた。


「エリーナ、お前はこれまで通り、いや、それ以上に働くのだ。魔法が使えるなら、もっと多くの仕事をこなせるはずだ」


ヴィクターとアリスは、意地悪な笑みを浮かべていた。


エリーナは絶望的な気分で家族を見回した。そして、最後に母の目を見つめた。


「お母様⋯⋯」


カタリナは一瞬、何かを言いかけたように見えた。しかし、すぐにその表情は消え、再び無関心な顔に戻った。


「もう行きなさい、エリーナ。明日からの新しい仕事内容を書き出しておきます」


エリーナは震える足で書斎を出た。廊下に出ると、彼女は壁に寄りかかり、静かに涙を流した。


翌日から、エリーナの生活は更に過酷なものへと変化した。


朝は今まで以上に早く、夜は更に遅くまで働かされる。家中の掃除、大量の洗濯物、複雑な料理の準備。全てを魔法でこなすことを要求された。


「早く終わらせなさい。魔法が使えるのだから、もっと効率的にできるはずよ」


エリーナは必死に魔法を駆使して仕事をこなしていたが、まだ未熟な彼女の魔力では全てを完璧にこなすのは難しかった。


「何をぐずぐずしているの? こんなこともできないの?」


エリーナにわざと聞かせるように溜息を吐き、冷たく言い放った。


「申し訳ありません、お母様。もう少し練習すれば⋯⋯」


エリーナは必死に頭を下げるが、それを遮るように手を上げて首を振った。


「言い訳は聞きたくありません。結果が全てよ」


そう言うと、カタリナは背を向けて去っていった。


「お母様⋯⋯」


その背を見つめ、小さく呟いた。


幼い頃、母は一度だけ膝の上で本を読んでくれたことがあった。

そのことを未だに忘れることができなかった。


(お母様⋯⋯私のことを少しでも⋯⋯)


しかし、カタリナは振り返ることなく去っていった。


日々の過酷な労働の中でもエリーナは諦めることができず、時折、母の関心を引こうと試みていた。


ある日、エリーナは魔法で美しい花の装飾を作り、母の部屋に飾った。


「お母様、これはいかがでしょうか」


期待を込めて尋ねたが、カタリナの無表情が変わることはなかった。


「余計なことはしなくていいわ。仕事に集中しなさい」


別の日には、魔法で作った特別なケーキを母に贈った。


「お母様のために作りました」


カタリナはケーキを一瞥し、興味がないようにそっけなく言った。


「私は甘いものは好きではありません。台所に下げなさい」


そして、エリーナが魔法の練習の成果を見せようとしたとき反応は著しくなく。


「見せびらかすつもりなら、やめなさい。あなたの魔法なんて、私には何の意味もないわ」


その度に、エリーナの心は抉られていった。


ある晩、仕事を終えたエリーナは、母の部屋の前で立ち止まった。ノックをしようと手を上げたが、躊躇した。


(お母様⋯⋯どうして私を見てくれないの?)


扉の向こうから、カタリナの声が聞こえてきた。通信の魔法具で誰かと話しているようだ。


「ええ、アリスの魔法の才能は素晴らしいわ。きっと魔法学院でも優秀な成績を収めるでしょう。ヴィクターも騎士団で頭角を現していますし、本当に誇らしい限りです」


母の声には、子供たちに対する明らかな誇りが込められていた。

エリーナは静かに耳を澄ませた。自分の名前が出てくるのを待っていた。


けれど⋯⋯。


「ええ、私たちには二人の素晴らしい子供がいます」


カタリナの言葉に、冷や水を浴びたように全身が凍りついた。


(二人⋯⋯?)


エリーナはゆっくりと母の部屋から離れた。胸の中で何かが砕け散る音がした。


その夜、自室に戻ったエリーナは、窓際に座り、夜空を見上げた。


(お母様は⋯⋯もう私のことを自分の子供とすら思っていないのね)


深い悲しみに静かに涙が頬を伝った。

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