ソーサリー 〜王者の天使〜

あーる

第1章 運命

彼方より来たるもの

第1話 天使を愛した男

 まさに人生の絶頂だった。

 TCG『sorcery-ソーサリー-』世界大会決勝。

 目の前に座るのは俺と同じく世界中の強者との戦いを勝ち上がって来た歴戦の豪傑。その傍には環境を荒らしまわった赤竜が威風堂々と鎮座し、一体の騎士がそれを護るように立ちはだかっている。

 対する俺の隣には、眩い金髪を二つ結びにした光の天使。幾多の戦いを共にしてきた俺の愛しいパートナーは、幼気な少女の顔に穏やかな笑みを浮かべている。

 不敵に笑う対戦相手の微表情の中に『今攻め込まれたら終わる』という焦りを見て、俺は勝利を確信した。相手は今、防御札を握っていない。

 天使が突撃する。効果でブロックを封じられた騎士は棒立ちだ。

 対戦相手は瞑目した。最早これまで。表情がそう言っている。それでも彼は赤竜によるブロックを選択した。天使が戦闘破壊され、自身の効果でライフに移動する。天使の効果でライフが増えたことにより置物の効果が発揮。相手のライフを削る。相手も当然、効果によるライフ破壊を対策していたが、その効果を発揮する置物は、こちらの魔法によって、このターンの間効果を発揮しなかった。

 一瞬の静寂の後、歓声が爆発した。


『決まったぁあああああ! sorcery-ソーサリー-の世界一を決める戦いが! 今! 決着ゥゥ────ッ! 天使が! 竜を! 打ち破りました!』


 実況の爆声を聞きながら対戦相手と握手を交わす。


「ありがとうございました。いいバトルでした」

「本当に。ナイスファイトでした」


 心地よい戦いだった。そう顔に書いてある。俺も同じ気持ちだ。今鏡があれば、きっと似たような表情の自分が見られるだろう。


『一体誰が予測できたでしょうか! まさに大番狂わせ! 今大会唯一の天使デッキを操る男が! 現環境トップ・大会使用率1位の太陽竜を抑え! 世界の頂点へと上り詰めました! まさに! 天使を愛し、天使に愛された男────ッ』


 全力で脳を使った疲労感。それを上回る達成感。糖分不足でふらつく頭で勝利の余韻を味わっていると、対戦相手だった男が俺の腕を掴み、天へと突き上げた。勝者を示すパフォーマンス。拍手と歓声を全身に浴びながらひとときの全能感に酔いしれる。

 この瞬間、間違いなく俺は人生の絶頂だった。


  ***


 それからのことはよく覚えていないが、大勝負に勝って浮ついた気持ちだったことは間違いない。気づいた時にはベッドの上で朝を迎えていた。

 頭を使いすぎたからだろうか、やけに体が重い。

「あ、起きた」

 耳元で声がした。寝ぼけた頭を傾ける。眩い金髪を二つ結びにした幼い女の子が制服姿で添い寝していた。

 少女はいそいそとベッドから抜け出すと、俺の毛布をひっぺがす。


「おーはーよー。ほら早く起きてー。もう朝ごはんできてるよー」


 添い寝していたやつの言葉か? これが……。

 …………。


 えっ誰?


 俺妹いたっけなどと一瞬考えたがもちろんそんなものはいない。両親は俺が幼い頃に離婚しているし、俺を引き取った母親がどこの誰のものとも知れない子種を仕込んできたような覚えもない。身の回りのことを自分でできる程度に大きい子供ができていればまず間違いなくわかる。ついでに義妹もいない。

 えっじゃあこの子本当に誰!? 誰なの!? 怖いよぉ!

 小さな体でいそいそと毛布を畳む知らない少女。

 知らない、はずだ。少なくとも会ったことはない。だけどどこかで見た覚えがある。俺の脳が既視感を訴えている。ついでに腹が空腹を訴えている。正直だな体!

 混乱して固まる俺がぼーっとしているように見えたのか、少女が唇を尖らせる。


「早く着替えないとご飯冷めちゃうよー。あ、それとも手伝ってほしいの?」

「そうだね」


 その瞬間理性と違和感の全てが屈服した。完全に目が覚めたね。

 この子がどこの誰かなんてもうどうでもいい。瞬間的な判断力が勝敗を分けるカードゲームの世界で生きてきた俺の脳髄がこれは最大の好機だと叫んでいる。

 少女の容姿はかなり幼い。それこそ中学……いや違うな、ふくらはぎから見てギリ小学生だ。しかしその顔にはすでに美しく成長する片鱗が見て取れる。端的に言うと今の時点ですでにかなりの美少女だ。

 そんな美少女が手ずから服を脱がせてくれるという。こんなチャンスをみすみす逃すようなやつを男とは呼べないだろう。

 刹那の間にそんな思考が駆ける。否、それは人類が太古から受け継いできた獣の雄の本能だった。

 一拍遅れて理性が追いついてくるが、時すでに遅し。

 からかったつもりらしい少女は俺の言葉にぽかんと口を開ける。


「ええ〜? 本気?」

「そっちが言い出したんじゃないか」

「それはそうだけどー」


 実のところすでに本能に負けた自己嫌悪が間欠泉の如く吹き出しているのだが、吐いた言葉はもはや飲み込めない。否定すればいいだけかもしれないが、今ここで「やっぱりなし」と言うのは間違いなくアド損だと、損得に敏感なカードゲーマーの冷徹な判断が理性的な思考を抑え込んでいた。

 少女はやれやれと首を振る。


「もう。今日だけだからねー?」


 すました顔で手招きする少女。お姉さんぶりたいお年頃というやつだろうか。もうどうにでもなれ。俺は全てを流れに委ねることにした。

 少女の前に立つ。目線が合う。


「……?」


 何かがおかしい。そんな気がした。いや起きてからここまでの状況も十分におかしいのだが、そうではなくもっと根本的な、何か大切なことを見落としているような。

 少女が俺のパジャマのボタンに手をかける。

 小さな手がボタンを一つ一つはずしていく。パジャマがはだけ肌が露出する。少女の頬がじわじわと赤みを増す。微かに震える指は時折素肌をくすぐり、ほのかな熱を俺に伝えてくる。

 チェックの布地が肩から落ちた。少女は熟れたりんごみたいに赤くなった顔で俺の裸の上半身を凝視している。

 おかしい。なんだ? 何を見落としている?


「ね、ねえ。これ以上は、その、やっぱり自分でやろう? ね?」

「え?」


 次第に強くなる違和感やヘルシェイク矢野のことを考えているところに声をかけられて顔を上げる。

 もはや耳まで真っ赤に染めた少女が、懇願するような上目遣いをこちらに向けていた。

 思わず漏れた声を否定的な感嘆符と受け取ったのか、両手をワタワタと振って言い募る。


「その、添い寝とかしておいてなんだけど、やっぱりこういうのよくないんじゃないかなって。だって、その、ほら、私たち────もう、6年生だしっ!」


「────は?」

 6年生? なんの? いや決まってる。この日本においてそんな単元を採用しているのは初等教育すなわち小学校くらいでそれに該当するのは当然小学生で、ああそうだおかしいのはそれだ、しゃがんでもいないのに小学生と目線の高さが揃っていたんだ。


「ひゃ!?」


 少女の肩をつかむ。やはり目線が揃う。なぜだ。いや決まっている。そんなの理由は一つしかない。俺の身長が縮んでいる!?


「あの、まって、こういうのは、もっとムードとか、こんないきなり、これから学校なのにぃ、そんな、だめぇ……」

「あ」


 真っ赤に茹で上がった少女が溶ける。歳の近い異性の素肌は刺激が強すぎたか。

 おかげで落ち着いた。混乱から立ち直るには、自分より混乱している人間を見ればいいというのは、なるほど事実だったらしい。

 そして気付く。


 天使だ。


 俺の腕の中でくたりととろける少女。眩い金の髪を二つ結びにした幼気な少女。どうりで見覚えがあるはずだ。俺はこの子を知っている。

 TCG『sorcery-ソーサリー-』世界大会で俺と共に最後まで戦い抜いた天使のカード。発売されてから今まで、一度もデッキから抜くことのなかった最愛のパートナーが今、実体となってそこにいた。


「エクセリア」


 そうだ、間違いない。俺が高校一年生の時に発売されて一目惚れした『煌めきの天使エクセリア』だ。どうしてさっきまで分からなかったんだろう。いや、カードのキャラクターが実体化して現実に現れるなんて荒唐無稽な話、少し前の俺でも一笑に付している。今こうして目の前にしていてもまだ信じられない気持ちが少しあるくらいだ。

 ……そもそもここは現実なのか? なんか体縮んでるし。でも部屋の中は見覚えがある。小学生の頃の俺の部屋だ。となると、ここは俺の実家、なのか?

 ……まあでも、ひとまずは、いいか。

 ずっと紙面越しに見つめるだけだったエクセリアと、まさか本当に会えるなんて。これ以上に大切なことがどこにあるというのだろう。

 俺はエクセリアの上体を起こし、力一杯抱きしめた。


「ひょえっ!?」

「エクセリア」

「ひゃい」

「会えて嬉しい」

「……どーしたの急に?」


 微かな笑い声と共に、小さな腕が背中に回るのを感じた。エクセリアが精一杯抱きしめ返してくれている。その事実が嬉しくて、ずっとこうしていたいと思ったけれど。状況が状況なので、流石にそういうわけにもいかなかった。


「っていうか、なんでさっきからフルネーム?」


 抱擁を解いたエクセリアが苦笑する。離れていく熱を名残惜しく思いつつ、冴えた頭が現在ありうる可能性を検討する。


「じゃあなんて呼ぼう?」

「いつもみたいにリアでいいよ」

「じゃあ、リア」


 検討したら、次は検証だ。気付かれないように息を整え、その言葉を告げる。


「俺の名前を呼んでほしい」

「今日は本当にどうしちゃったのさ。──聖くん」

「もう一回」

「……聖くん」

「……もう一回」

「もーなんなの! 聖くん! ひじりん! せーくん! あまつかひじり!」

「わぁありがとありがと。そこまででいいよ」


 ずっと想い続けていた相手に名前を呼ばれた事実に感動して繰り返し要求した結果、なんかニックネームまで言ってくれたが、おかげでよくわかった。

 実のところ、別人の体に入り込んでしまったり、気付かない間に生まれ変わってしまったりした可能性も考えていたのだ。

 だがそんなことはなかった。部屋の姿見で自分の顔を見て確信する。

 この『俺』は、正しく俺だ。

 ソーサリー今年度世界チャンピオン──では、今はないかもしれないが、少なくとも小学6年生の時分の天使 聖で違いない。

 状況も理由も分からないことだらけだが、少なくともそれだけは確かだった。


────────────────────

あとがきってここに書いていいんですかね


星とハートのやつがもらえると嬉しいです

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