7.永遠を願う者

 いにしえの昔、『卵の間』と呼ばれた半球状の部屋に気を失って倒れたままの二人の姿があった。

 ニムとマッコイだ。

 そして対峙する少女と青年、メディとティルパ。

 二人の間には歪んだ空間があり、そこに檻に閉じこめられた赤いドレスの女性とニムの姿が映しだされていた。


「俺――いや、僕はずーっと、この時を待っていたんだ」


 ティルパは甘い口調でそう言いながら、大げさに両手を広げてみせる。


「君ともう一度会いたかった」


 次いで彼はややうつむいて眼を閉じ、両の手を胸に重ねた。


「君への想いがここに残っているんだ。みんなは大人になって忘れてしまった。だけど僕は君のことを忘れたくなかった。だから大人になることをこばんだ」


 ティルパが一歩、歩み出る。


「成長していく仲間たちを拒絶し、ただひたすらに君のことを想ったこの二十年。どれだけ辛かったか……」


 呼応するように後ずさりするメディ。


「あなたなんて知らない」


 おびえた声でそういうと首をふって彼の存在を否定した。


「何を言っているんだい、昔みんなで遊んだじゃないか?」


 ティルパの歩みが加速する。


「さぁ僕と行こう。一緒に物語の世界で暮らすんだ、永遠に! さぁ! 早く!」


 彼女のか細い手首を捕らえようとティルパの魔手ましゅがせまる。


「いや! 離して!」


 叫びと同時にまばゆい閃光が走り、衝撃で弾け飛んだティルパの体が宙に舞う。

 彼は文字通り吹き飛ばされて卵に背からぶつかり、そのまま床まですべり落ちて腰を強打した。


「うっ……」と小さなうめき声を上げる。


「痛い――。痛いじゃないかメディ」


 腰をさすりながら起きあがったティルパの顔面は、先ほどまでとは別人のように紅潮していた。

 甘い口調は一転し、声色にも深い怒りの色がにじみ出ている。

 彼女の手首をつかんでいた右腕から静かに、しかし規則的な間隔をもって鮮血が滴り落ちていた。

 その右腕が石の床から何かを拾いあげる。


「悪い子にはおしおきが必要だ。そうだよねメディ?」


 振り上げた手には鉈が握られていた。

 その矛先がゆっくりと巨大な卵にむけられる。


「大事な物なんだろ?」


 いやらしい笑みをうかべてメディの様子をうかがうティルパ。彼女の反応を楽しんでいるのは明らかだった。

 鉈の柄をつたう血液が床に落ちる音だけが、静まりかえった室内に響きわたる。


「さぁ、悪いことをした時はなんて謝るのかな?」


 ティルパが空いた手を顎の下に置いて左右に動かしながら、値踏みをつけるように問う。対して、メディは慄然きぜんとした態度で彼を睨みつけてこう言った。


「やればいいわ。それであの女も私も全部おしまいよ」

「なんだと?」


 予想外の少女の反応にティルパは一瞬、困惑の表情をうかべる。しかし次の瞬間、額の血管を浮きあがらせて憤怒の形相で怒鳴りつけた。


「このガキが! 大人を舐めがって!」


 ティルパは卵にむけて力いっぱい鉈を振りおろした。

 しかし、卵の殻は陽の光を浴びると中が透けて見えるほど薄いのにも関わらず、鉈の歯をまったく受けつけようとしない。

 二度、三度、力任せに振りおろすが、彼の力ではわずかな亀裂を入れるのが精一杯だった。


 メディは鉈が振りおろされる度に歯を食いしばり、自身の肩を抱いてじっと耐えた。

 声こそ上げなかったものの、両の腕に食いこんだ爪先には薄っすらと血がにじんでいる。


「クソッ! クソッ! クソッ!」


 肩で息を切らせながら振りかえり血走った目でメディを睨みつけるティルパ。


「あら、残念」


 メディは呼気の乱れを悟られまいとしつつも精一杯強がって彼に嘲笑の言葉を浴びせる。

 そのとき、ティルパの中で何かが音をたてて壊れた。

 視線をすばやく左右にふる。


 そして、彼の残虐に満ちた眼差しが別の獲物を捕らえた。

 彼の瞳にうつったそれは、床に体を横たえたまま微動だにしないニムの姿。

 ティルパは再び卵を振りかえると、先ほどの斬撃で出来た亀裂から中を覗きこむ。


「そこで大人しく見ていな、ニム」


 歪みに映しだされた映像には、天の裂目さけめから巨大な目が二人を覗きこむ様子が映しだされていた。


「やめて、なにをするの?」


 ティルパは答えない。そして無言のまま気を失ったニムの元に歩み寄ると、彼の上にかがみこんでメディを見あげる。

 不恰好ぶかっこうに片方の口元だけをゆがめて笑みを形作ると、持っていた鉈を静かに振りあげた。


「今すぐ、その人から離れなさい」


 告げおわるより早く、彼女は二本の指を胸元へそろえていた。

 先ほどと同じ、いや、それ以上にまばゆい閃光がその指先に集中し次第に光が大きくなっていく。


「やってみろよ」


 言うが早いか、ティルパは鉈を一気に振りおろした。




 言葉にならない叫びと共に顔を両手でおおって膝から崩れ落ちるメディ。

 発動寸前だった光の魔法はいくつかの小さな光の輪となって、順に弾けて消えていく。


 メディは自身の意に反してガタガタと震えつづける指の隙間から、伏せ目がちに鉈の振りおろされた先を確認する。

 故意か偶然か、鉈はニムの頭部をわずかにそれて石の床を砕くに留まっていた。


「はぁぁ……」


 肺の中の空気をすべて押しだすかのような重苦しい溜息が、メディの口から漏れた。

 同時に全身の力を使い果たしたかのように両手を投げだし、床に這いつくばる格好になる。


「次に砕けるのは、人間の頭だ――」


 今、ティルパは確実に目の前の魔女を凌駕りょうがする立場にあることを実感していた。

 高揚感が徐々に高まっていく。


「なんでも言う通りにするわ。だからその人だけはだめ」


 彼女は視線をニムから離すことが出来ないでいる。

 全身が小刻みに震えていた。


「楽しいねぇ。獲物を袋小路に追いこんだ狩人かりうどの気分てのは、こういうのを言うのかねぇ?」


 腹をかかえて、やや大仰に高笑いをするティルパ。

 メディは再びティルパを睨みつけるが、鉈がニムの喉元に突きつけられているのに気づき視線をそらして下唇をかんだ。


「さぁ、俺をあそこへ連れて行け」


 ティルパは鉈を振りあげて卵を指ししめす。

 少女はただ黙ってうなづくことしかできなかった。

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