第2話 進まぬ関係、進むとき

小鳥のさえずりとともに、目を覚ます。今度こそは見覚えのある天井。昨日の疲れなど嘘だったかのような、良い目覚めだ。


(まあ。昨日、保健室であんなに暗くなるまで寝たんだから、寝足りないことはないよな)


カーテンを開け、陽の光を部屋とパジャマと私に差し込む。


そんな優雅な朝は、突然終わりを遂げる。


「水稀ー。起きなさーい。もう、学校に行く時間よー」


ママが一回から叫んだ。


ハッとする。


慌てて時計を見ると、もう8時を回っていた。優雅に朝を楽しむ時間など、残っていなかった。


(どんだけ寝るのよ、私)


自らへの怒りがこみ上げる中、急いでパジャマを脱ぎ、制服に着替える。


そこから、勢いよく階段を駆け下りて、洗面台の前に立つ。


歯磨きをしながら、寝癖を直していると、ママが話しかけてきた。


「昨日倒れたんでしょ。大丈夫なの?」


「もひほん、はいほうふ。(もちろん大丈夫)」


鏡越しの、ママは安堵の表情を浮かべている。


「そう。それならいいのだけど。今日も全然起きてこないから心配したのよ。もう時間ないでしょ。テーブルの上に、トーストおいておいたから、それだけでも食べながら、学校に行ってね」


ママの話と同時に寝癖を直し終え、口を濯ぐと、急いでトーストを口にくわえる。


歯磨き粉の苦さがまだ残る中、口にトーストを加えてしまったため、あまりいい味とは言えない。不味くて、少し立ち止まってしまった。でも味など気にしている暇はない。そう思いながら玄関へとかけていく。


ママが声をかけてきた。


「忘れ物ない?身体と安全に気をつけるのよ。行ってらっしゃい」


「わふへほほははいほ(忘れ物はないよ)」


靴を履き終えるとパンを手に持ち替える。そうして振り返り、


「いってきまーす」


と元気よく走り出していく。





そこそこのスピードで走ったので、思いのほか早く学校近くまでついた。


スピードを落とし、ゆっくり歩いていると、後ろから声をかけられた。


「よう、水稀。体調は大丈夫か?」


声をかけてきたのは、春樹だった。


「大丈夫だよ。ちょっと気が動転しちゃっただけだから。ていうかなんで、春樹は女子トイレになんて入ったの?」


春樹が私の心配をしてくれることが嬉しくなって、少し声が高くなってしまった。


ついでに、今一番気になっていることを聞いてみた。


「さあ、なんでだろうな。」


雑にはぐらかされ、少し、テンションが下がった。


「どうした、リスみたいに頬を膨らまして?」


表に不満を出していないつもりだったが、気づかぬうちに出てしまっていたらしい。


「なんでもないですよー。ていうか、あのあと、教室の雰囲気、大丈夫だったの?」


「まあ。謝ったし、大丈夫じゃね?まあなんとかなるっしょ。」


彼の脳天気な返事に、そんなに大事になってないんだとホッとする。


「身体に怪我はないの?顔の怪我は治ったの?」


「怪我は全然大丈夫。俺、受け身うまいし。顔の怪我は、気合で直そうとしたけど無理だったから、うまく隠した」


そんな事ができるんだと素直に驚いた。


(あっ。そういえば、今日化粧してくんの忘れたー)


頭の中で悶えるのでした。





彼と話しているうちの教室までついてしまった。


教室は、いつも通り賑やかなようだ。


安心して教室に入ると、みんながこちらを見た気がした。


すると、急に教室は静かになった。さっきまでの賑やかさが嘘のような、静寂に包まれる。


私がなにかしたのかと不安になって周りを見回すと、一部の女子達がこちらを睨んでくる。確か、彼女たちはクラスの陽キャ女子グループの人たちだ。一番殺意をこちらに向けている女子が確か、桃園エリカさんだっけ。私とは特別、関わりがなかったはずなのに、なぜ殺気立っているのだろう。


知らないうちに何か、やってしまったのか、


更に不安になってくる。


不安をいつものメンバーと話して解消しようとして、いつものメンバーを探す。


いつもは、春樹が、いようがいまいが春樹の机の周りに集まっていたのに、今日はなぜかクラスの脇の方に固まって、こちらに軽蔑の眼差しを送ってくる。


後ろから、少し荒い息遣いが聞こえ、振り返る。そこには、春樹が顔を真っ白にし、荒い息を吐いて立っていた。


そこでやっと、この視線が、私に向けられたものじゃないのだと気づいた。


流石に、こんな刺すような視線の中にいるのは耐えられないので、そっと春樹と距離を取る。


春樹は、顔をさらに白くした。絶望に染まったような顔をしている。


そして、こちらを捨てられた子犬のような目で見てくる。


(すまん春樹。私にはその視線が耐えられない。君を一人にさせてしまって申し訳ない。許してくれ)


罪悪感と、もうあの視線を浴びたくないという拒否反応が、せめぎ合って、彼に近づくことができない。


少し経ち、春樹は諦めたように、とぼとぼと自分の席へ一人で歩いていった。


その姿を見送ったあと、ひっそりといつものメンバーの元へ行く。


すると、翼が話しかけてきた。


「いやー。春樹、完全にハブられてるね。昨日のトイレ掃除がちょうど、えりかたちだったのが運の尽きだね」


「やっぱり大事になってたんだ。春樹が朝、へらへらしてるから、もう終わったことになったのかと思ってたよ」


私が、少し落ち込みながら返すと、翼は、仕方ないというような表情を浮かべて話し始めた。


「昨日の放課後、春樹はちゃんとえりか達、三人組に謝ったんだよ。でも、それだけじゃエリカは納得しなかったみたいで、いろんなSNSで文句を言ってたらしいよ。だから、春樹的には終わったと思ってたのかも」


「えりか達に逆らおうっていう人たちはクラスにいないし、触らぬ神に祟りなしって感じで、誰も春樹に話しに行かないのか。ありがとう。バッチリ理解できた」


「理解力の高い、水稀っち最高」


ニコニコしながらそういう翼。


そこからいつものグループに合流し、昨日の私が寝てた間の話を聞いた。


最初は、春樹をいじるような流れだったとか。えりかのパンチがすごかったとか。春樹の耐久力がすごいとか。たくさんのことを話した。その中で、昨日のトイレ事件の経緯を、私と翼から説明した。その御蔭で、このグループのメンバーからの軽蔑の視線はなくなった。


彼の仲間ができて、ホッとした。


その頃には、クラスの騒がしさが少しずつ戻ってきていた。まだ、少人数でコソコソ話す程度だが、私が入ってきたときの静寂に比べれば全然マシだ。


相変わらずえりか達は、春樹を睨んでいた。


(よくやってられるなー。私なら、睨むほど嫌いな人の顔なんて、一瞬も見たくないから、すぐに目をそらすのに。暇なのかな?)


そこから他愛もない話をしているうちにチャイムが鳴り響いた。


荷物の用意が全く終わってなかったので、急いで準備をして席についた。


座ってすぐ、担任が教室に入ってきた。その後、いつもより少し暗く、ホームルームが始まった。


その間、春樹は黙々と用意をし、自分の席で静かに読書をしていた。そこには、明るく楽しい、かつてのクラスのムードメーカーの姿はなかった。人は一瞬にして、こうも変わってしまう者なのかと


驚いた。




一時間目の終わりに、春樹は保健室に駆け込んでいった。しばらくして、春樹は早退したと、知らされた。理由は、体調不良。誰とも話さない、あの空間で本当に体調を崩したのか、ただ教室にいることが耐えられなくなっての仮病かは、私にはわからない。でも、春樹は、とても辛そうにしていた。


午後には、みんな春樹のことを忘れたかのような、ハリボテの日常が戻ってきていた。


その日の授業はいつもよりもスムーズに進んだ。でも、ムードメーカーの春樹がいないため、なにか物足らなく感じた。





帰り、ふと思い立って、保健室に足を運んだ。


ドアを開けると、中から真希先生が顔を出した。


「どうしたの?また体調でも崩した?」


「いえ、体調は大丈夫です。保健室での、春樹の様子を聞きたくて」


少し声を震わせて、質問に答える。


真希先生は、少し考える素振りをする。こちらにギリギリ伝わる声量で、ブツブツと呟いた。


「確か、富田さん。彼の彼女だったわね。じゃあ伝えても大丈夫かしら」


真希先生は、軽く深呼吸をすると、静かに語りだした。


「彼は、ストレスで少し精神が参ってしまったの。受け答えも、昨日と違ってボソボソとしていたし、微妙に会話がすれ違っていたわ」


それを聞いて、驚きとともに、押しつぶされそうなほど罪悪感がのしかかってきた。


それからトボトボと帰路についた。


翼から遊びの誘いが来ていたけど、そんな気分になれず、断ってしまった。



次の日、春樹は登校時間ギリギリに来た。


一人で教室にいる時間を少しでも減らしたいのかもしれないと思った。


春樹が教室に入ると、静寂ではなく、ざわつきに包まれた。


春樹が坊主になっていた。マッシュが一夜にして坊主になったのだ。


髪型の変化だけでクラスがざわつくぐらいには、春樹はクラスの中心だったのだ。


誰かがぼそっと、


「きのこ狩り」


と呟いた。クラスのだれもが爆笑した。


春樹は、さあ突っ込んでと言わんばかりにこちらを見ている。でも、誰一人として彼に声をかけない。少しでも彼に近づいていくと、えりかに鬼の形相で睨まれてしまう。それが怖くて誰も近づけない。


誰もが、突っ込みたくて仕方なく、ウズウズしたままその一日を過ごした。私達もあまり波風を立たせないように極力、春樹との接触を避けた。それが、一番早くことを終わらせられると思ったからだ。春樹を助けたら、次は、自分がボッチになるというような、ミイラ取りがミイラになることも避けられた。


でも、こちらにすがるような目を春樹から向けられるたびに罪悪感が積もっていった。




その日から、遠巻きで春樹の悪口を言ってはクスクスと笑う奴らが増えた。


今まで楽しかった教室は陰湿な場所に変わってしまった。


いじめるほど関わらない。春樹の存在を否定するような空間は、その距離感はいじめよりも辛そうであった。
















あの事件から一週間が経った日、春樹は女子の制服で来た。


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