【七十四.ほころび】

「うわあーっ!」


 わたしは、飛び起きる。隣では、かいちゃんがすーすーと寝息を立てている。

 夢だ。いつもの、あのくるまの中の……でも……でも、何か、変だ。いつもと違う。何かが違う。なんだろう。わたしが知らないわたしの、記憶……まだ、まだ何か忘れてるっていうの? わたしは、わたしは何を忘れているの……?

 ……スマホを見る。

 令和七年。一月十七日。金曜日。午後十時五十一分。わたし、十七歳。

 今も心臓がどきどきと痛む。ほっぺたが濡れていて、泣いていたのだと今気がついた。……お母さんが、お母さんが恋しい。わたしは、かおりさんとこうせいさんのところに行くことにした。


 ……


 塩谷夫婦の寝室の前に立つ。お母さん、お母さん。怖い夢見ちゃった……ねえ……お母さん。たすけて。ねえ。

 そして寝室のドアをノックしようとした時。


「あっ……あ……あ……あんっ」


 びくん。身体が強ばる。お母さんのあの時の言葉がよみがえる。


『何見てんのよ』

『ゆきひこ叔父ちゃんと……なに……してるの……?』

『なんでもいいじゃない。……そうだなぎさ、あんたみたいな要らない子は、こうするといいのよ。欲しいものは、こうやって盗るのよ』


 いや……いやだ……わたし、もう、何も盗りたくなんかない……

 わたしは、廊下のすみで、必死で吐き気を堪えながら、膝を抱えて、泣いた。


 ……


 しばらくして、声は止んだ。代わりに、わたしの名前が聞こえた。


「……なぎさちゃんなんだけどさ……」


 わたしは、何かとてもざわざわして、そっと、扉に耳を当てた。


「……もう、ひと月よ……はじめは庭で、ずっとずーっと窓から中を覗いてて。あんまり気味悪いから……入れてあげたら、そしたらずっとうちに入り浸って……施設には帰らないつもりかしら……」

「……色々わけありな子なんだよ。もう少しそっとしておいてあげよう。あんな可愛い子を外に放り出すわけにはいかないだろ?」

「……あなた……まさか気移りしてんじゃないでしょうね……? 高校生よ、まだ子供よ? わかってる?」

「わかってるわかってる。俺はかおりがいちばんさ」

「……あなたは、それでいいかもしれないけれどね。最近はかいとに女の子の服を着せて、髪も結んで、かいちゃんかいちゃんって着せ替え人形みたいにするのよ……ごめん、正直そろそろ限界だ、あたし……」

「まあまあ、あんまり深く気にするなって。な? それよりさっきの続き……」

「ちょっとまだお話が……あっ……あんっ」


 わたしは、そっと耳を離した。ぽたぽた。目から自然と涙が溢れた。


「おねえちゃん?」


 いつの間にか起きたわたしのかいちゃんが、下からちっちゃな目をくりくりさせて、不思議そうに見つめてる。


「ねえ、かいちゃん、おねえちゃんと、いっしょに居たい? これからも、ずっと、ずっと」

「……うん」


 そう答えたちっちゃなかいちゃんを、わたしはぎゅうっと抱きしめた。


 ……


『あんたみたいな要らない子は、こうするといいのよ。欲しいものは、こうやって盗るのよ』


 またお母さんの声が聞こえてくるのを、必死で抑えながら。

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