【第六章.迷子のいのち】

【五十六.小山内裏公園・四】

「思い、出しましたか」


 しゃわしゃわセミが鳴いている。だからたぶん夏なんだろうと思う。ちゃぽん。コイも元気に跳ねている。すいすい。カモも気持ち良さそうに泳いでる。

 でも……わたしはわからない。今令和何年? 何月何日? 何曜日? 今何時? わたし何歳だっけ?


 真昼の小山内裏公園おやまだいりこうえん。ちゅっちゅ。この歳になってもわたしは指しゃぶりが治らない。わたしは、白鷺みそらさんといっしょにベンチに座っている。


「先輩が命日だと思っていた日にはまだ、かいりは生きていた。命日なんかじゃない。かいりの……心が壊れた日だった。先輩が彼氏だと思っていた男の子は、かいりの想い人で、先輩から見たらただの。……セフレだった。そして先輩のお腹には……」


 彼女が視線をおろす。わたしのもう誰が見てもわかる大きく張り出したお腹を、見ている。

 わたしは嬉しくて嬉しくて、はしゃいだ。


「かいちゃん! かいちゃんがいるのよね?」

「いいえ、荒浜先輩。その子の父親は……」

「父親……ああ、かいちゃんの?」


 わたしは、人差し指を下唇につけて、考える。


「んー、そうねえ。……うん、お父さん! お父さんだよ!」

「……先輩」


 なにか、白鷺みそらさんは言いたげだ。


「森田りく君がだめだった。このままじゃかいちゃん、可哀想。だから少し不本意だけどぉ……」


 でも、わたしは構わず続ける。いま、わたしに大事なのはこのお腹の中のかいちゃんだけなのだから。


「かいちゃんのお父さんは、荒浜としひこ。わたしのお父さんにする! わたしたちきょうだいだしね、わたしのお父さんってことは、かいちゃんのお父さんでもある訳だしね。わたし、今度こそかいちゃんを幸せにするんだー。……ねえ、かいちゃん……? 早く出ておいでー? お姉ちゃんも、お父さんも待ってるからねぇー」


 わたしはお腹を優しくさすった。それはまるで、泣いているおとうとを……かいちゃんをなでるみたいに。


「はあ。……まあ、いいです。まだ全部は思い出してないんですね」


 なんだか冷たい調子だ。なんでかなあ。教えてよ。


「うれしくないの? かいちゃんが帰ってきてくれること」

「嬉しいですよ。私だって、かいりが大好きですから」


 彼女はそう告げて、ベンチを立った。


「それでは。また来ます」


 そしてわたしに背を向けると、小山内裏公園を後にした。

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