【四十二.バイト・二】

 七月二十二日。月曜日。タイムカードを打刻する。午後六時二分。わたし、十六歳。


「いらっしゃいませーっ!」


 稲田堤駅の踏切そばの牛丼チェーン店。

 事務所から出たわたしは、エプロンの紐を後ろ手に結びながら、大きな声でカウンターに入った。


「二分オーバーだよ、荒浜ちゃん」


 シフトリーダーの川原さんだ。かっこよくて、爽やかで、イケメンだ。……でも、やたらと距離が近い。セクハラまがいな言葉使いなんて当たり前。肩揉むよとか言って胸を触られたこともあるし、この前なんてキスされそうになった。かっこいいけど、正直、苦手なひと。

 そんな彼に、遅刻を小さく注意される。お母さんの病院からの帰り。南武線が踏切内の安全確認で遅延していた。


「すいません、電車が遅れちゃってて」

「そういう時は予め店に電話して。オーケー?」


 はーい。

 わたしは忙しさにかまけるフリをして、粘着質な先輩を曖昧にやり過ごした。すぐに自動ドアが開いて、夕方に仕事の終わった建設関係の作業着の男性が三名入店した。


「いらっしゃいませー! 並盛ふたつに特盛ひとつですね……並二丁、特盛一丁!」


 さあ、週明けも忙しくなりそうだ……明日はバイト休み貰った。りっくんに会うんだ。頑張らなきゃ、わたし。

 ……と。


「うっ」


 牛丼の。肉の煮えるにおいが。この店に立ち込めるにおいが。

 急に、気持ち悪くなった。……吐きそう……しゃがみ込んでたら、川原さんが近付いてきた。


「荒浜ちゃん? どした?」

「すいませんっ」


 わたしはたまらず事務所横のトイレに駆け込んだ。そして、ドアも閉めずに便器に吐いた。


「うっ……げええっ……うぅっ」


 うち……うち……もうだめかもしんない。


「げっ……おええっ」


 ……お姉ちゃん、うちのこと、好き?


「ごほっ……ごほっ……ぺっ」


 それも忘れちゃったの? お姉ちゃん、本当に忘れんぼさんだね。


「おえええっ……げえっ……」


 ……


 じゃー。

 ……はあっ、はあっ……


「大丈夫? 荒浜ちゃん?」


 お腹の中から、

 


「ねえ、荒浜ちゃん? そのお腹ってさ、もしかして、さ」

「……しりません……わたし……なにも……」

「ねえ、今日はさ、 ってことだよね? 荒浜ちゃん」


 ユニフォームを乱して青くなるわたしの頭を便器に押し付けて、わたしのズボンを後ろからずり下ろした。


「ぃやっ」


 わたしの声は、彼が閉めたトイレのドアに塞がれて、誰の耳にも届かなかった。

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