【二十九.白鷺みそら・三】

 六月十日。月曜日。午前十一時二十六分。わたし、十六歳。


「はっ!」


 いけない、病室の椅子でうとうととしてしまっていた。白鷺みそらさんは相変わらず、すうすうと静かに寝息を立てている。わたしは、右手を擦った。……怖かった。とてつもなく生々しい夢だった。掴まれた感覚も、尋常じゃない力で握り締められた彼女の手の跡も、今もこの手首に残っているかのよう。

 ……あ、今、何時だろう。時計を見た。椅子に着いてから四十分程経っている。もう、行かなきゃ。すぐにこの子の家族が来るだろう。席を立って、彼女に背を向けたその時。


「かい……り……」


 消え入りそうな声で、彼女はまた、その名前を口にした。確かに再び、そう言ったのだ。


「ねえ」


 わたしはそっと、呼びかけてみることにした。


「どうしてわたしのおとうとを知っているの? おとうととはどんな関係なの? 死んじゃったおとうとの、何を知っているの?」


 でも結局。この日、わたしのいる時間に彼女が意識を取り戻すことは、一度としてなかった。わたしは病室を後にすることにした。そっと、ドアを開けて廊下を見渡す。……誰もいない。早足でエレベーターホールへ急ぐ。

 ぱんぽん。ロビーに降りる為に呼んだエレベーターから、四十代くらいで割とふくよかな、夫婦らしきふたりが降りてきた。


「みそら、大丈夫かしら。ねえ、あなた。みそらに何かあったら……」


 どうやら、白鷺みそらさんのお父さんとお母さんのようだ。ご両親とニアミスして、わたしは病院の玄関を出た。


 ……


「荒浜が? 白鷺と? 意外だなあ」


 多摩センター行きのバスを待つ間。ふと、体育の柴田先生の言葉がよみがえる。

 はて。

 意外だなあ、とは。

 わたしはあの時、親友を装った。それはもちろん、白鷺みそらさんに会いにいくための口実だ。柴田先生も、それを疑っていなかった。その上で出た「意外だ」のひと言。

 ……もしかしたら、彼女はわたしの知らないところで、先生や友達に触れ回っているのかもしれない。死んでしまったかいちゃんの……本当の事実を。

 かいちゃんの自殺が……わたしの、せい?

 どうして彼女がそう思っているのかまるで分からない。かいちゃんには……一緒に暮らすことは出来なかったけど、最期の最期まで、お姉ちゃんらしく接した。もちろん愛していたし、最大限にそれを伝えてきた。それなのに、去年の六月八日。なんの前触れもなく、わたしのケータイに遺言を遺して。屋上から飛び降りて。植え込みのコンクリートに後頭部を強打して即死した。

 ……。

 わからない。なにもかもが。考えても考えても答えが出ない。わたしは愛してきた。守ってきた。それだけは自信を持って言える。なのに、わたしが知らない子が、わたしが殺したという。

 ……。

 ……これ以上考えても、埒が明かなさそうだ。ちょっと早いけど、お母さんのところに行こう。

 時間は十二時。お腹は減ったけど、バイトの給料日まであと五日。抜くことにして、多摩センター行きのバスに乗り込んだ。

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