【二十.追跡・一】

 六月八日。土曜日。午後六時四十二分。わたし、十六歳。かいちゃんの命日。

 その子は、四歳くらいに見える。けれど、信じられないくらい足が速い。そしてわたしは、体育は得意じゃないし、お腹が妙に重たくて早くは走れない。それでも、必死にその子を追った。

 ロングのウルフカットの可愛いあたま。上にはわたしのお下がりのピンクのくまのシャツ。ワンピースみたいに着て下は履いてないから、時々かわいいぱんつが見える。鼻血でもついたのか、裾は血で汚れている。ちっちゃな足には透明なサンダル。あれもわたしのだった物だ。

 ……間違いない。かいちゃんだ。どうしてかわからないけれど、わたしはいま、四歳のかいちゃんを追いかけてる。かいちゃんは階段を駆け上がって、遊歩道に入って、それでも止まらずに南大沢駅に向かった。


「かいちゃんっ! 待って、かいちゃんっ!」


 何度も呼ぶけれど、かいちゃんは止まらない。土曜日だから南大沢の駅前は人でごった返していて溢れているけれど、かいちゃんは誰にもぶつからずに真っ直ぐ走った。わたしはと言うと、何度もぶつかりそうになりながら、人混みに紛れる小さな影を必死で追った。そして、止まっていた特急新宿行きのピンクの帯の古びた車両に滑り込んだ。わたしも慌てて階段を駆け下りて電車に飛び乗る。


「駆け込み乗車はご遠慮ください」


 車掌さんが迷惑そうにアナウンスした。


 ……


 特急電車の中で、わたしはかいちゃんを見失ってしまった。どこへ行ったんだろう。

 ……やっぱり見間違えだ。次の停車駅の京王多摩センターで降りようとすると……ぐい。誰かが手を引いた。

 え?振り返ると、降りようと席を立ったおじさんが、迷惑そうにわたしを避けた。……まだ、ここじゃないのかな。わたしは空いた座席についた。

 向かいの座席に、あの頃のかいちゃんと同じくらいの男の子とお母さんらしきひとが幸せそうに話してる。あの頃からずっと、かいちゃんはお母さんのものだった。いいなあ。かいちゃんはわたしが守らなきゃいけないのに。わたしだって、わたしだってかいちゃんを独り占めしたかった。ずっと、ずっと……要らない子なんて言われたくなかった。

 わたしはまた親指をくわえて、ちゅっちゅとしゃぶった。そうしてぼうっと過ごしていたら、視界の端でまたかいちゃんらしい子が電車から降りた。京王稲田堤。降りたホームにはそう書かれていた。道なりに追いかけて、バイト先の前を抜けて、駅舎が新しくなった稲田堤の階段を駆け上がった。そのまま立川方面のホームの階段を降りたところで見失った。探していると、立川行きの南武線が入線してきた。また、見えない手に引かれ、黄色い帯の電車に乗った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る