ラムネ色の傷痕

夜賀千速

十五歳、浅葱

「藍、大好きー!」


 弾けるような笑みをきらめかせて、涼音は私に抱きついた。爽やかな香りが鼻先をくすぐり、私の胸を焦がしていく。裸足に纏わりつく海水と、細やかな砂。さざなみが、一定のリズムを保って打ち寄せる。好きだよ愛してるなんて、言えるわけがなかった。


 ねぇ、涼音。最後の思い出をつくるために海に行こうだなんて、らしくないこと言ったよね。思い出?思い出って何だろうね。いい思い出はさ、記憶が褪せないように、美化して心に残るものなんでしょう。涼音、夏は不思議なものだって言っていたよね。どんなことでも夏の魔法で美化されて、綺麗に記憶は残るんだって。夏という幻がかけたフィルターの中にいたのかな、私たち。それとも理想の夏を、ただ模倣していただけなのかな。私の感じた夏ときらめきは、どうなってしまうのかな。

 バス停バックに清涼飲料水を飲む涼音が本当に可愛くて、それでいて綺麗で。その中にきみがいるなら、煩い蝉時雨も倒れそうな暑さも、瓶に詰めて飾りたいと思ったの。きみの描く世界が、まるで炭酸の中にいるみたいに透けていたから。きみは本当に、ラムネみたいな人だった。

 




 涼音のことが好きだった。紛れもない恋だった。諦めたはずの恋だった。過去形にして小さく折りたたんで、胸の奥の引き出しにしまい込んで、いつか忘れなければならない恋だった。潮風が吹き抜ける中、きみのやわらかな肌が私の腕に当たった時、わずかに触れた体温。そこから、絶え間なく広がっていった感情の渦。脳裏に焼き付いて離れない、日川浜で望んだ夕暮れの色。いつまでも残しておくべきじゃない、早く棄てなければならない、痛切な恋心。いつか、もしかしたら伝わるかもしれないと、そう夢想していたはずの幻。そうと知っているのに、忘れられるわけがなかった。


 出逢って最初の頃、まだ桜も散っていなかった頃。あたし石内涼音っていうのよろしくねって、そう声をかけられた時。まだ気づいていなかった。自分が異性愛者ではないということ。いつか周りの友達みたいな素敵な恋ができると、何の疑いもなくそう信じていた。

 

 涼音、すずね。浅葱色の響きを持つその三文字は、私の心に深く刻まれた。でも、私は、知ってしまった。ガラスの瓶にしまわれた夏の水晶は、手に入れることなんて、不可能だということ。それはまさしく、きみの心だった。金槌で叩き割りもしなければ取り出すこともできない、どこまでも遠い水色。積もり積もった自分の想いを伝える、それだけのためにきみを壊すなんて、私にそんな勇気はなかった。



 涼音には何も告げず、ただ笑って別れるのが最善だと思った。静かにやってきた中学の卒業式、きみは泣いていた。あの時と同じように、私の肌にぴったりと触れて。

 きみの人生初の告白は、玉砕に終わった。その相手は、学ランが似合わないほどに大人びた男子生徒。謝られながら断られて、私の胸で涙を滲ませるきみ。その姿を見て、私は内心喜んだ。何それ。死ねばいいと思った。好きな人の不幸を喜んだ自分自身に包丁を突き刺して、早く常世に行きたかった。

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