あやかしあらずとも

岬 アイラ

あやかしあらずとも

 視線の先には、スーツに着られている少年がいた。なんとなく目を落とすと、着慣れないドレスが、お前も同じだよと嘲笑ってきた気がした。




「ああ、なんてきれいなの」


「これで我が家も安泰だな」


「何あの澄まし顔」


「きっと可愛い顔してみんな見下してるのよ」




 いろんな声が聞こえる。みんなして、私が良妻賢母であることを望んでいる。




 私は。




良妻賢母になんてならないし、なれない。




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 麗らかな春、一粒万倍日と天赦日が重なるこの日、許婚と出会った。




 相手は、柊誠治さん。十六歳で、少し貧乏ではあっても士族、柊家の次男。穏やかな人柄、武術にも長け、勉学にも励む、いわば良物件である。


 私は、芽吹ハル。街で成功を収めた医者の末娘で、十四歳。花嫁修業は順調だし、周りには優しく振る舞うし、自分で言うのもなんだが、良物件の部類だと思う。




 今日は初めての顔合わせ。桜の美しい日本庭園で、両家洋装なんて気取って、私たちは向き合い立っている。




「桜が美しいですね。晴れてよかった」




「ええ。こんな良い日に相まみえることができるなんて、仏様の御導きかもしれません」




 思ってもいないことを喋る。手に取るように【理解る】から。


 こちらを品定めするような、蔑んだ無遠慮な視線が。とてつもなく大きく重い、期待の気持ちが。


 こんなにくだらないことはない。こんなに嫌なことはない。




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「ねえ、良い人だったでしょう?」




 帰りの馬車、母を見て、なんとなく頷いた。確かに誠治さんの印象はよかった。しかし、両親や女中たちの反応はすこぶる悪かった。だから、良い人たちではなく、良い人と言ったのだろうか。




「兄様、姉様たちは伴侶を得て、残るはお前だけだ。しっかりやりなさい」




「…頑張ります」




 心のこもっていない父への返事が、馬車で響いた。




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「そっかあ、寂しくなるね。でも、優しそうな殿方だったんでしょ?」




 次の日の河川敷にて、私の話を聞いた親友、吉乃菊子は言った。


 菊子は、料亭「よし乃」の次女。私と同い年で、小さい頃からの付き合いだ。




「そうだけど、他の人の雰囲気が良くなかったの!」




「確かに、そういうときもあるねよえ」




 菊子はいつだって、私を【芽吹ハル】に当てはめずに話してくれる。…どこかの士族の次男坊より、よっぽど私に相応しい。




「ねえ、もし、逃げたかったらさ」




「私、そろそろ帰らなきゃ。また会おう」




 自分から語りだしたくせに、続きは聞くのが怖い。本当に行動に移してしまいそうだ。




「二日後!日暮れ直後に!ここで!」




 聞かなかったふりをして、家に駆け戻った。




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(結局準備してしまった…)




 二日後の夕方、目の前には、食料や服や裁縫道具の入った、大きな巾着があった。どのくらいかと言うと、まず片手で持つ大きさではないくらい。


 いや、これは冒険みたいなものだ。うん。一回、外に出てみるだけ。


 そーっと、戸を開けて…




(いや、やめよう)




 家のための結婚。姉さんも、兄さんも、やったこと。それなのに、私だけ逃げるなんて、わがままが過ぎる。


 ぱたんっと戸を閉めて、台所へ向かう。そろそろご飯作りを手伝わなくては。




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 わがままだからやめようと決意してから早二ヶ月。これからの日々に対して、嫌な予感しかしない。




 まず、正式に顔合わせをして結婚が決定してしまったことで、花嫁修業が一層厳しくなった。時間が長くなったのは当然、ほんの少し姿勢が悪かったり動きを間違えたりするだけで延々とお説教だ。


 好きでもない相手のために、確実に家に利益をもたらすのかもわからない段階で、ここまでする必要はあるのだろうか?




 そして、菊子も結婚が決まったらしい。こんな偶然、私からすれば嫌がらせの類である。この間、河川敷に行かなかったことを謝りに行ったら、そう告白された。菊子は、誰のものになってしまうのだろうか。


 そんなことを考えていたら、縫い目がガタガタになってしまい、今日は女中どころか母にまで叱られた。




 貴女は何に、誰の妻になるつもりなのと聞かれた。もうすでに自分が何なのかなんてわからないから、今更言い返したり、泣いたりしなかった。誠治さんの妻となり、芽吹家をもっと強くするためです。もっと頑張りますから、もう一度見てくださいと、決まった台詞を読んだ。




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「ハルちゃんはすごいねえ。私、こんなにきれいに縫えないよ」




 その【恥ずかしい失敗作】を捨てるに捨てられず、しかし自分には驚くほど似合わず、菊子にあげたところ、嬉しそうにそれを抱きしめてくれた。


 渡したものは、ちょっと珍しい、黄色い風信子ヒヤシンス柄の浴衣である。彼女の名にある黄色い花とは似ても似つかないが、菊子には黄色が似合うのだ。お日様のように、優しくて温かいこの色が。




 そのひだまりのような笑顔を、細められた瞳を見ると、頭がぐちゃぐちゃになる。この、家族と暮らして、菊子と時々会って、なんでもない話をする日常は、もうすぐ消える。自覚すると、途端に寂しくなってくる。


 ぐちゃぐちゃになったのは、視界も同じだった。




「…ねえ、ハルちゃん、お月見しようよ。来週の水曜日、すごくきれいな月が見えるらしいの!」




 あまりに突拍子もない話題に驚き、捻くれた言葉を返した。




「…中秋の名月はあと数ヶ月先なのだけど」




「夏空の月がきれいじゃ駄目なの?」




 菊子は、変なところで頑固である。きらきらした目に気圧されて、首を振ってしまった。




「でも、いきなりどうして?」




「えーっと…とにかく!来週、待ってるから!」




 結局菊子の意図がわからないまま帰る時間になってしまった。帰り際、菊子は少しだけ理由を教えてくれた。




「もう、もらってばかりは嫌なの。私、変わってみせる」




やっぱり、何もわからなかった。




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 そしてやってきた水曜日、ご丁寧に親の許可をもらって、ちゃんと荷物と手土産を持って、【よし乃】の看板をくぐってしまった。そう、とても楽しみにしていたのだ。


 花嫁修業の一環として、料亭の娘として、夕飯作りは全て菊子の仕事らしい。私もお客様ではいられないので手伝った。いつもより効率よくできたのは、我が家の女中たちには内緒だ。




 そして夜、大きく丸い月を見上げ、菊子は微笑む。




「良い月夜ね」




「…うん」




「行こう?」




「え?」




 いやどこに?この家からだって十分月は見えるし…いや、これは。そっちか。




「でも、私は、」




「ハルちゃんの涙に、他の何が勝るって言うの?」




 無茶苦茶だ。一人の女の童の涙に勝てる事情など、いくらでもあるのに。差し出された彼女の手を振り払った。




 それでも満面の笑みで手を差し伸べる親友。その笑みで、悟る。菊子は、私にはもったいないくらいに優しくて、強くて、それでも私に運命を懸けているのだ、と。もらってばかりなのは、こっちなのだ、と。


 だからこそ、手を取る。彼女の優しさに応えるために。彼女と逃げるために。




「…どこへ行こうか?」




「どこへでも!月でも行っちゃおうか?」




 またそうやって、突拍子もない事を言う。でも、菊子となら、月へだって太陽へだって行ける気がした。


 すぐに捕まるかもしれない。上手く逃げられないかもしれない。親から逃げられたって、知っている大人に見つかればおしまいだ。


 それでも、走り出す。煩わしい羽織を脱ぎ捨て、次は帯留め、次はリボンと、余計なものを取っ払って。その度に、心まで軽くなって、空を飛ぶような快感に包まれた。




「じゃあ、まずは月に行こうか」

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あやかしあらずとも 岬 アイラ @airizuao

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