第7回 キーワード:放し飼い

タイトル:『獣使いの少女と放し飼いの世界』


朝靄の立ち込める森の中、リナは慎重に足を進めていた。彼女の周りには、様々な動物たちが自由気ままに歩き回っている。狼、鹿、兎、そして時折空を舞う鷹。普通なら捕食関係にあるはずの生き物たちが、不思議と平和に共存していた。

これが、異世界ファリアスの日常だった。

リナは15歳。茶色の髪を後ろで一つに結び、明るい緑色の瞳が好奇心に満ちている。彼女の服装は実用的な茶色の上着に、動きやすい黒のズボン。首には、銀色に輝く小さなペンダントが揺れていた。

「ルナ、こっちよ」

リナは優しく呼びかけた。すると、灰色の毛並みをした若い狼が彼女の元へ駆け寄ってきた。ルナはリナの幼なじみであり、最も信頼できるパートナーだった。

この世界では、人間と動物が対等に暮らしている。いや、正確に言えば、動物たちの方が圧倒的に優位な立場にあった。彼らは人間よりも賢く、強く、そして数も多い。それでも、お互いを尊重し合いながら共存していた。

そんな世界で、リナには特別な能力があった。彼女は「獣使い」と呼ばれる、動物たちと心を通わせることのできる稀有な存在だった。しかし、その能力はまだ目覚めたばかり。まだ完全には制御できていない。

リナとルナは、森の奥深くへと歩を進めていった。今日の目的は、森の異変の原因を突き止めることだ。最近、動物たちの間で不穏な空気が漂っていた。普段は平和に暮らしている彼らが、時折激しい争いを起こすようになっていたのだ。

「ルナ、何か感じる?」リナが尋ねた。

ルナは鼻を地面に近づけ、においを嗅ぎ取ろうとしている。しばらくして、ルナは首を横に振った。まだ何も見つからないようだ。

突然、木々の間から一羽の鳥が飛び出してきた。それは、この森では見たことのない種類の鳥だった。全身が真っ黒で、目は赤く光っている。その姿は不気味で、見ているだけで背筋が凍るような感覚に襲われた。

黒い鳥は、リナたちの頭上を旋回し始めた。ルナが警戒の姿勢を取る。リナは首のペンダントを握りしめ、深呼吸をした。

「落ち着いて、ルナ」リナは言った。「まずは、この鳥と話をしてみよう」

リナは目を閉じ、意識を集中させた。獣使いの能力を使って、鳥の心に語りかける。

「こんにちは。私はリナ。あなたは誰?どうしてここにいるの?」

しかし、返事はない。それどころか、黒い鳥の目が更に赤く輝き始めた。突然、鳥は鋭い鳴き声を上げた。その瞬間、周囲の空気が重くなり、リナは息苦しさを感じた。

ルナが不安そうに鳴く。リナは額に汗を浮かべながら、再び鳥に語りかけようとした。しかし、今度は違う声が彼女の頭の中に響いた。

「獣使いよ、お前の力など、この世界では何の意味も持たぬ」

その声は冷たく、そして憎しみに満ちていた。リナは思わず後ずさりした。

「誰...誰なの?」リナは震える声で尋ねた。

「我は闇の使徒。この世界に秩序をもたらすために来たのだ」

その言葉と共に、黒い鳥の体が歪み始めた。そして、あっという間に巨大な影へと姿を変えた。その影は人型をしているが、顔は見えない。ただ、赤い目だけが闇の中で燃えるように輝いていた。

リナは恐怖で体が震えた。ルナは彼女の前に立ち、唸り声を上げている。しかし、闇の使徒はそんな彼らの反応を楽しんでいるかのように、ゆっくりと近づいてきた。

「この世界は間違っている」闇の使徒は言った。「動物と人間が対等?笑わせるな。強者が弱者を支配するのが自然の摂理だ。お前たち人間こそ、檻に閉じ込められるべき存在なのだ」

その言葉に、リナは怒りを覚えた。確かに、この世界では動物たちの方が優位に立っている。しかし、それでも互いを尊重し合い、共に生きる道を選んできた。それを否定されるのは、耐えられなかった。

「あなたこそ間違っている!」リナは叫んだ。「私たちは、互いの違いを認め合いながら生きているの。それが、この世界の素晴らしさなんだ!」

闇の使徒は冷笑した。「その考えが、お前たちを滅ぼすことになるのだ」

そう言うと、闇の使徒は両手を広げた。すると、周囲の木々が揺れ始め、そこから無数の黒い鳥が飛び出してきた。それらは全て、最初に現れた鳥と同じ姿をしている。

「さあ、我が軍勢よ。この愚かな獣使いを捕らえよ」闇の使徒が命じた。

黒い鳥の群れが、リナとルナに向かって襲いかかる。ルナは必死に鳥たちを払いのけようとするが、数が多すぎる。リナも腕で顔を覆いながら、何とか抵抗しようとしていた。

その時、リナの首のペンダントが強く光り始めた。

「なっ...何だと!?」闇の使徒が驚いた声を上げる。

ペンダントの光は次第に強くなり、やがてリナの体全体を包み込んだ。その光は、黒い鳥たちを押し返していく。

リナは目を見開いた。体の中に、今まで感じたことのないような力が湧き上がってくる。それは温かく、そして力強い。まるで、森全体が自分に力を与えてくれているかのようだった。

「これが...私の本当の力?」リナは呟いた。

光に包まれたリナの姿を見て、ルナは安心したように鳴いた。リナは深く息を吸い、目を閉じて集中する。すると、周囲の動物たちの気配を強く感じ取ることができた。狼、鹿、兎、鷹...そして、まだ見ぬ多くの生き物たち。彼らの思いが、リナの心に直接伝わってくる。

「みんな...力を貸して」リナは心の中で呼びかけた。

すると、森のあちこちから動物たちが集まってきた。狼の群れ、鹿の群れ、空からは鷹やフクロウたちが舞い降りてくる。彼らは全て、リナとルナの周りに集まった。

闇の使徒は困惑した様子で後ずさりする。「こんなことが...どうして獣使い如きが、このような力を!」

リナは目を開け、闇の使徒をまっすぐ見つめた。「この力は、私一人のものじゃない。みんなの思いが一つになった結果なんだ」

リナは右手を前に突き出した。すると、集まった動物たちが一斉に動き出す。狼たちが吠え、鹿たちが角を振り、鳥たちが鋭い鳴き声を上げる。その力は、黒い鳥の群れを押し返していった。

闇の使徒は焦りの表情を浮かべる。「くっ...こんなものには負けん!」

しかし、動物たちの力は圧倒的だった。黒い鳥たちは次々と姿を消していき、やがて闇の使徒の姿も薄れていく。

「覚えておけ、獣使い! これで終わったわけではない。我々はまた戻って来る。その時は...」

闇の使徒の声が消え、森に静けさが戻った。リナの体を包んでいた光も、ゆっくりと消えていく。

リナは膝をつき、大きく息を吐いた。ルナが心配そうに寄り添ってくる。

「大丈夫だよ、ルナ」リナは優しく微笑んだ。「ありがとう、みんな」

周りに集まった動物たちは、リナに向かって鳴き声を上げた。それは、まるで「お疲れ様」と言っているかのようだった。

リナは立ち上がり、森を見渡した。闇の使徒の言葉が頭に残る。これで終わりではない...か。

「よし」リナは決意を込めて言った。「私たちの世界を守るために、もっと強くならなきゃ。ルナ、みんな、これからもよろしく」

ルナが元気よく吠え、他の動物たちも同意するように鳴いた。リナは微笑み、首のペンダントを握りしめた。

これは、獣使いの少女と放し飼いの動物たちが織りなす物語の始まりに過ぎなかった。彼らの前には、まだ多くの試練が待っている。しかし、互いを信じ、力を合わせれば、どんな困難も乗り越えられる。そう信じて、リナたちの新たな冒険が始まろうとしていた。


数ヶ月が過ぎ、リナの16歳の誕生日を迎えようとしていた。この間、彼女は獣使いとしての能力を磨き、森の動物たちとの絆を深めてきた。しかし、闇の使徒の脅威は去っていない。時折、黒い鳥が森の上空を飛び交う姿が目撃され、動物たちの間に不安が広がっていた。

リナは毎日、ルナと共に森を巡回していた。今日も、彼女は早朝から森の奥深くへと足を踏み入れていた。

「ルナ、何か変わったことはない?」リナが尋ねると、ルナは首を横に振った。

しかし、その直後、ルナの耳が ピクリと動いた。何かを察知したようだ。

突然、空が暗くなり始めた。真昼なのに、まるで夜のように辺りが闇に包まれていく。リナは首のペンダントを強く握りしめた。

「来たわね、ルナ」リナは静かに言った。

空から無数の黒い鳥が降り立ち、その中心に闇の使徒が姿を現した。前回よりも大きく、そして強大な力を感じさせる。

「獣使いよ、約束通り戻って来たぞ」闇の使徒が言った。「今度こそ、この世界に真の秩序をもたらす」

リナは深呼吸をし、闇の使徒と向き合った。「あなたの言う秩序なんて、この世界には必要ないわ」

「愚かな」闇の使徒は冷笑した。「お前たちの甘い考えでは、この世界は救えん。強者が弱者を支配する。それこそが自然の摂理だ」

「違う!」リナは強く否定した。「確かに、動物たちは私たち人間より強いかもしれない。でも、だからこそ互いを理解し、尊重し合うことが大切なの」

闇の使徒は両手を広げ、黒い霧を放出した。その霧に触れた木々が枯れ始め、地面にいた小動物たちが苦しそうに身をよじる。

「見るがいい。これこそが力だ。この力で、世界を支配してみせる」

リナは歯を食いしばった。このままでは森全体が破壊されてしまう。彼女は目を閉じ、森の生き物たちに意識を向けた。

「みんな、力を貸して!」

リナの呼びかけに応え、森のあちこちから動物たちが集まってきた。狼、鹿、熊、鷹...そして、普段は姿を見せない神秘的な生き物たちまでもが現れた。

闇の使徒は驚いた様子で言った。「なんだと...こんなにも多くの生き物たちが...」

リナは目を開け、闇の使徒を見据えた。「これが私たちの力よ。互いを信じ、尊重し合う心が生み出した絆の力」

リナの体が光に包まれ始める。それは前回よりも強く、輝かしいものだった。その光は集まった動物たちにも伝わり、彼らの体も淡く光り始めた。

闇の使徒は怒りの表情を浮かべる。「くっ...そんなものでは私に敵わん!」

黒い鳥の群れが一斉に襲いかかってきた。しかし、動物たちは怯むことなく立ち向かう。鷹たちが空中戦を繰り広げ、地上では狼や熊たちが黒い鳥たちを打ち払っていく。

リナは闇の使徒に向かって歩み寄った。「もうやめて。こんな戦いに意味はないわ」

「黙れ!」闇の使徒は叫び、リナに向かって黒い霧を放った。

しかし、その霧はリナの周りの光の壁に阻まれ、消えていく。リナはさらに前進する。

「私たちは争うために生まれてきたんじゃない。互いの違いを認め合い、助け合うために存在している」リナは静かに、しかし力強く語りかけた。「あなたにだって、そういう心があるはず」

闇の使徒の動きが止まった。リナの言葉が、何かを呼び覚ましたかのようだ。

「私...私は...」闇の使徒の声が震えた。

リナはゆっくりと手を差し伸べた。「一緒に、新しい世界を作りましょう。争いのない、みんなが幸せに暮らせる世界を」

闇の使徒は戸惑いの表情を浮かべたが、やがてゆっくりとリナの手に自分の手を重ねた。

その瞬間、まばゆい光が二人を包み込んだ。闇の使徒の姿が変化していく。黒い霧が晴れ、そこには一人の少年が立っていた。

少年は困惑した様子で周りを見回した。「僕は...何を...」

リナは優しく微笑んだ。「大丈夫。もう終わったの」

空が晴れ渡り、森に陽光が差し込んできた。動物たちは喜びの声を上げ、リナと少年の周りに集まってきた。

少年は動物たちを恐る恐る見つめた。「僕は...ひどいことをしてしまった」

「過去は変えられないわ」リナは言った。「でも、これからどう生きるかは、あなた次第よ」

少年はしばらく考え込んでいたが、やがて決意の表情を浮かべた。「僕も...この世界のために何かしたい」

リナは嬉しそうに頷いた。「一緒に頑張りましょう」

その後、森は急速に回復していった。枯れていた木々に新しい芽が吹き、弱っていた動物たちも元気を取り戻していった。

リナと少年―彼の名前はレイと言った―は共に森の世話をし、動物たちとの絆を深めていった。レイも次第に獣使いの力に目覚め、リナと共に森の平和を守る役目を担うようになった。

数週間後、リナの16歳の誕生日がやってきた。森の中央にある大きな広場で、盛大な祝賀会が開かれた。人間と動物が入り混じり、楽しそうに談笑している。

リナは高台に立ち、集まった皆を見渡した。ルナが彼女の傍らに立ち、レイも少し離れたところで微笑んでいる。

「みんな、来てくれてありがとう」リナは声を張り上げた。「私たちは大きな試練を乗り越えてきました。でも、それは終わりではなく、新しい始まりなんです」

動物たちが鳴き声を上げ、人々が拍手を送る。

「これからも困難はあるでしょう。でも、私たちには大切な仲間がいます。人間も、動物も、みんなが力を合わせれば、どんな問題も解決できるはず」

リナは首のペンダントを手に取り、高く掲げた。「このペンダントは、私たちの絆の証。これからも、互いを思いやり、尊重し合いながら、素晴らしい世界を作っていきましょう」

ペンダントが輝き、その光が参加者全員を包み込んだ。人々は感動の涙を流し、動物たちは喜びの声を上げた。

祝賀会は夜遅くまで続いた。踊りあり、歌あり、美味しい料理あり...人間と動物が一緒になって楽しむ、まさに理想の光景がそこにはあった。

夜も更け、祝賀会も終わりに近づいた頃、リナは一人で森の縁に立っていた。満天の星空が、彼女を優しく見守っているかのよう。

ルナが寄ってきて、リナの手を優しく舐めた。

「ルナ...」リナは微笑んで、ルナの頭を撫でた。「これからもよろしくね」

レイも近づいてきて、リナの隣に立った。「素晴らしい祝賀会だったね」

リナは頷いた。「ええ。みんなの笑顔を見られて、本当に嬉しかった」

「リナ...」レイが真剣な表情で言った。「僕、これからもっと強くなって、君と一緒にこの世界を守っていきたい」

リナは優しく微笑んだ。「ありがとう、レイ。私も、もっと成長したいと思ってるの。この森のため、動物たちのため、そして...あなたのためにも」

二人は互いを見つめ、静かに頷き合った。その瞬間、流れ星が夜空を横切った。

「願い事をしよう」リナが言った。

レイも頷き、二人は目を閉じた。

リナは心の中で願った。

(この平和が、ずっと続きますように)

レイも同じように願っていた。

(僕たちの絆が、永遠に続きますように)

ルナは二人を見上げ、静かに吠えた。まるで「その願い、必ず叶うよ」と言っているかのように。

東の空が少しずつ明るくなり始めた。新しい朝の訪れ。それは、リナたちの新たな冒険の始まりを告げているようだった。

リナは深呼吸をし、微笑んだ。

「さあ、行きましょう。私たちの物語は、まだ始まったばかり」

レイとルナが頷き、三人は朝日に向かって歩き始めた。彼らの背後では、目覚めた森の生き物たちが、新しい一日の始まりを喜ぶように鳴いていた。

これは終わりではない。リナたちの、そしてこの世界の物語は、まだまだ続いていく―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る