Act.2:沈黙と秘密


 魔械大戦から半世紀。魔導と科学の融合が本格的に進歩し始めた激動の時代においても、比較的安定した政治体制を維持していたエルドラ共和国だったが、三十年前に頻発した干ばつによって当時の二大政党の対立が表面化。暴力を伴う衝突はやがてエルドラ全土を巻き込む内戦へと発展した。


 二年半に渡る激しい戦闘を経て、最終的にアルカディアの軍事介入によって内戦は終結したが、この戦闘による死者は二十万人とも言われ、これは魔械大戦後では最大規模の数字である。


 エルドラ人民解放戦線フレンテ・リベラシオン・プエブロ・デ・エルドラ。通称FLPEは、内戦時代の共和国政府の打倒を目的として組織された革命組織である。自国民同士の無為な戦争に疑問を持った当時の国軍特殊部隊が、軍から離反する形で組織された。


 発足当初は千人にも満たなかったが、資金調達のために地元の麻薬密売組織と手を結ぶことで勢力を拡大し、卓抜した戦闘能力のノウハウと豊富な資金力を背景に、現在の構成員は二万人を超えるとまで言われ、エルドラ全土の二割は彼らの実効支配下にある。


 ロス・サングレはFLPEのアルカディア支部に当たり、シンジケートの関係者がそこに逃げ込んでしまったという状況が、ノウェムに実力行使を躊躇ちゅうちょさせる原因となっている。


 そこで、中立の立場にあるフリーランスを現地に派遣し、逃げ果せたコソ泥を挽肉にしろというのが依頼の概要だ。


 シンジケートから兵隊を出せば、カルテルの不興を買うのは必至であり、そうなればメイザース全土を巻き込んだ総力戦に発展しかねない。


 戦後史に第二のエルドラ内戦が記されるのを防ぐためには、シンジケートから兵隊を送ってはならない。これは今回のオーダーの絶対条件だ。


「そんな激ヤバ危険地帯で、逃げ込んだネズミと愉快に追いかけっこだと? エンタメ理解してるのにもほどがあんだろ! スリルとかそういうレベル超越してるわ!」


 女帝が去り、再び静寂を取り戻した事務所内に、デュールの悲痛な声がこだまする。


 もちろん断るという選択肢もあった。どう考えてもノウェムの依頼はデュール個人の裁量を超えており、失敗の暁にばらを切らされるのは明白だ。こんな捨て石も同然の依頼、地雷原でタップダンスを踊れと言われたようなものだ。そんなの受ける方がどうかしている。


 しかし、このタイミングでノウェムは最悪のカードをデュールに突き付けてきていた。


「元秘書のカレン・ニンフェア。他にも似たような手口で資金を集めて、様々なルートを経由しつつFLPEに上納している痕跡が見つかったの。最悪なのはそうして踏み台にしてきた人間を、人民解放戦線の同志と偽って、連名で署名していたのよ。これがどういう意味か分かるかしら」

「俺が……奴の企てに加担してるって思われてんのか?」

「少なくとも連中の認識の中ではね。PHNのダンテも同じ手口で署名されているわ」

「あのダンテが?」

「あの子はほら、術式解析ばっかりに夢中で、メンツとかお金とかに全然興味ないじゃない? 駄菓子感覚で利用されてたわよ。あたしが声掛けに行ったとき、情報機関としてあるまじき失態だって、オクトラスにめちゃくちゃ怒られてたわ」


 温厚な紳士で知られるPHNの社長が顔を真っ赤にして説教を垂れている姿を想像するとそこそこ笑える話だが、かといって面白がって手を叩く気には全くなれなかった。おのれカレン・ニンフェア。とんでもない置き土産を残して高飛びしやがって。


「さらにマズいことにね、カレンはシンジケートの情報も手土産に解放軍と合流するつもりよ。彼女はそうして後ろ盾を得て、その影響力をもって組織を内側から蚕食さんしょくするつもりだったみたい」

「そしてゆくゆくはシンジケートのトップへと成り上がる腹か。神をも恐れぬ所業とはまさにこの事だな」


 冗談と酔狂を総動員したような企てに、さすがのデュールもかぶりを振りつつ、


「いや、でもよ。さすがにありないだろ。エルドラと縁もゆかりもない俺たちが、こんな地の果てで戦線に加担してるって」

「そうね、あたしもそんな風には思っていないわ。あなたもダンテも大切なお得意様だし、信頼もしている。けれどね、そういう個人的な友誼ゆうぎが通用する世界じゃないということも理解しているでしょう?」


 そう、重要なのは誰の目から見ても瞭然りょうぜんな潔白を示すということ。実際問題、デュールやダンテがカレンに協力し、シンジケートにサボタージュを仕掛けていないと断言できる証拠はどこにもない。呪符の裏取引は実際にあったことであり、他人行儀を偽って工作を仕掛けることは理屈の上では可能なのだ。


 もちろんそんなのは言いがかりの難癖。しかしこの世界で自らの筋を通すためには、時に悪魔の照明すら成し遂げなければならない。そんな矛盾と不条理が雲霞うんかのように降り積もっているのだ。


 だから、現時点でデュールに残された道は、カレン・ニンフェアの企てを阻止し、自らに着せられた汚名をそそぐことだけだ。もし断るとなれば、それはデュールとシンジケートの敵対関係の成立を意味する。

 進むも地獄、止まるも地獄。選択の余地など初めからあってないようなものだった。


「言いたいことは分かった。だが時間がいるぜ、姐さん」

「イービスに話はつけてある。三日よ。その間であれば、カレンの戦線入りを食い止められる」

「短すぎるぜそれは」

「カルテルのメンツを思えば長い方よ。あちらとしても頭飛び越えて余計な介入をされるのは避けたいところなのだから」

「クッソ……」


 イービスの言い分はもっともだ。いくら下部組織とはいえ、メイザースにおけるカルテルの立ち位置と現場主義は、今や芥子けし畑の世話とつまらないまつりごと拘泥こうでいしている本国の方針とは違う。


 彼らはあくまでもメイザースの流儀で渡世とせいを切り開いた、事実上の半独立組織だ。幾多もの流血の果てに辛うじて保たれているこの街の均衡きんこうを、事情の知らない外様とざまの介入で崩されるのは、イービスからしたら頭痛の種以外の何物でもないだろう。


 とはいえ、この世界のルールは「汝、力に随えSequere potentiam tu」だ。カレンによってもたらされる情報次第では、解放軍が本格的にメイザースの覇権をろうとさいを投げる可能性は十分にある。

 そうなったら例えイービスでもその方針に従わざるを得ない。


 その時この地で流されるのは、彼が手塩にかけて育て上げ、同じ苦楽を共にした屈強な兵士たちの血であり、本国は高みの見物というヴィンテージ物の茶番劇が繰り広げられることになるのだ。


「気持ちはわかるわ。だけどこの街に硫黄の雨が降るか否かを決めるのは、あなた達の作戦の成否に委ねるしかないの」


 事務所を出る時、最後にノウェムはそう言い残していた。


 ──あの時のノウェムの、まるで世界を救えと言わんばかりの物言い。何かの冗談であれと思わずにはいられなかったが、ノウェムが事務所を去って暫くしてから現れた来訪者によって、それが紛れのない現実であることをデュールは思い知る。


「やあ、会うのは久しぶりだね」


 危機感の欠片も感じさせない調子で事務所にやってきたのは、真夏だというのに厚手のローブに身をくるんだ小柄な金髪の青年。今回の任務に同行することになったPHNの調査官ダンテこと、サン=フリッツ・マルクスだ。

 今年二十九になるデュールから見て七つほど歳下だが、眠いのか呆けているのか分からない半目と低い身長のせいで年齢以上に幼く見える。


 なんとも頼りない様子であるが、これでもメイザースの情報網の中核を担う凄腕の調査官であり、わずかな情報からも対象を特定するその洞察力と観察眼はデュール以上だ。


 はっきり言ってそれだけの能力を持つダンテがなぜこんな茶番に巻き込まれたのか理解できないが、ノウェムが言っていたように、基本的に自身に対して頓着がない性格のため、そこをカレンに付けこまれたのだろう。


「まあ、なんだ。お互い面倒な事になったな」


 最早なんと言葉をかければいいのか分からず、妙に他人行儀な様子のデュールであった。


「その子が例の居候さん?」

「アンだ。ここに置いていくわけにもいかないからこいつも連れていく事にした。だから今回の任務はこの三人ってわけだ」

「ふーん……」


 言いながらダンテはデュールの傍らのアンをまんじりと品定めする。どこに焦点を当ててるのか分かりづらい半目の表情だが、閉じかけの瞼の奥にある射るような眼光には、紛うことなき慧眼けいがんの持ち主だけが発する圧があった。


「彼女、ホムンクルスなの?」

「……な」


 この時のデュールの驚愕は、なかなか言葉で伝えられるものではない。

 アンの正体を気取られないよう、外着に着替えさせても、彼女には念のため眼鏡は掛けっぱなしにさせていた。


 勢い任せとはいえ、あのノウェムでさえやり過ごした偽装にそれなりの自信を得ていたデュールのプライドは、会って五分も経っていないダンテの一瞥で完璧に打ち砕かれたのだ。


「ホ、ホムンクルス? そんなおとぎ話みたいな──」

「その眼鏡、魔眼殺しだよね。レンズが他のガラスに比べて少し白い。淵の方にうっすら偏光へんこう術式の刻印があるけど、それ以外に何かを中和してる様子はないね。目的は目の色を誤魔化すためかな。それと事務所の導線、人が通る箇所に集中して魔力の痕跡がある。歩幅から見て身長は一五四センチ、足のサイズは大体二十二センチから二十三センチ。間違いなく女の子の出入りした跡、その子と身体的特徴も一致している。常に体からマナが漏出しているのは魔導生命体特有の特徴。目の色を誤魔化していると仮定すると、彼女の本来の瞳の色は赤。さらに──」

「分かった分かった。もう十分だ」

「え? もういいの? まだ半分も説明終わってないけど」

「学会誌にでも載せる気か?」


 何度か仕事を頼んだことがあるので分かっていたことではあったが、ダンテはホムンクルスに対してもかなり造詣が深いようだった。しかし困ったことに、ある意味一番知られたくなかった相手にアンの正体が露見してしまった。こればかりは多少の不平等条約は覚悟の上で、ダンテには口を噤んでもらうしかあるまい。


「なあ、ダンテ──」

「別に誰にも言わないよ。誰かに頼まれたわけでもないし、仕事以外で僕が勝手に暴いた謎は、誰にも言わないようにしているんだ。そういうのはいたずらに売り物にする物じゃない。沈黙は金、駄弁だべんは銅」


 デュールが提案するよりも早く、ダンテは己のスタンスをはっきりと口にした。

 正直それは大助かりなのだが、借りっぱなしという状態に不慣れなデュールとしては、ダンテの申し出は痛し痒しといった塩梅であった。


「落ち着かないかい? ならこうしよう。彼女のことは、僕と君たちだけの秘密だ」

「ああ、元からそのつもりだし、改めて言われなくても分かってるよ」

「いいや、君は何も分かっていない」


 いつになく溌溂はつらつとした様子で、ダンテはぴしゃりと断言した。


「僕たちだけの秘密ということは、君自身も、このことを他の誰かに明かしたり、バレたりしちゃあいけないということだ。彼女の偽装について、僕から言わせれば君の手口は杜撰ずさんそのものだ。この際言わせてもらうけど、僕はこの事務所に入った時点で、少なくともここには魔導生命体がいることを確信していた」

「お……おう」


 駄弁は銅と言っていたのは何処の誰だったか。だんだんと説教っぽくなっていくダンテは、さらに闊達かったつとした語り口で続ける。


「だから、君たちも秘密が漏れないように細心の注意を払ってほしいんだ。そうしてくれるなら、僕はこの件に関して一切君に貸し付けることはないと約束するよ」

「分かった、分かったから。確かに俺も甘かった。お前の言う通りだ。だけど聞かせてくれ、ダンテ。その約束、お前になんかメリットあるのか?」


 ようやく合意に至りそうになったところで、デュールはダンテの真意をただす。いくら彼が秘密に対して並々ならぬこだわりがあったとしても、そこを聞かない事には納得しようにもしきれない。

 デュールの問いに対し、ダンテはよくぞ聞いてくれたとばかりに片目を閉じてこう言った。


「決まってるじゃないか。沈黙は金、秘密はダイヤモンドだよ」

「なあ、それ誰の言葉?」

「僕だよ」

「…………」


 っさ。

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