Act.5:月下の契り




 なんだかんだと用事がかさみ、気が付けば日も沈んでメイザースが本来の活気に目覚めていく。往来では飲み屋街の看板が十重二十重とえはたえと光を放ち、ろくでなし共が陽気な労働歌を高らかに歌い上げる。その場面だけを切り取ってみれば、なんてことはない。どこにでも見られる夜の繁華街であり、血と銃声とは程遠い光景のようだ。


 しかしひとたび裏路地に目を向ければ、売人や女衒ぜげんが獲物を狩る目で闇の中から手ぐすねを引いて待っている。比較的マシなエリアであっても、そう言った輩がこのメイザースには掃いて捨てるほど吹き溜まっているのだ。神に見捨てられた地の名も伊達ではない。


 そんな飲み屋街のちょうど中心あたりに建てられたバー「エデン」が、本日の終点だ。


「私はそこらを見て回る。今日のところは三人で楽しんでくれ」


 生真面目なことに巡回を申し出たリルフィンゲルが、颯爽と夜の街へと消えていく。


 なんとも付き合いの悪いことだが、むしろ彼女にとっては日が落ちた今からが仕事の本番だ。曲がりなりにも弱きを助け強きを挫く、力と正義を標榜する彼女の流儀をわきまえているならば、たかが酒付き合いごときでとがめる無粋など働くまい。それぞれが三者三様に、小さくなっていく黒スーツの背中を見送った。


「ほんと、変な奴だよな」

「あいつは昔からああだぜ」

「お前、リルフィンゲルと知り合いだったのか?」


 旧知を間柄を匂わせるフォージの言葉に、デュールが意外そうな反応を見せた。


「あいつの所属はちょいと特殊でな。聞いたことあるか?」

「憲兵だったってとこまでは」

「憲兵つっても、内地で引きこもってるモヤシ共とはわけが違う。アルカディア帝国憲兵団参謀本部直轄、対外情報部特殊作戦群の出だ」


 フォージが語るリルフィンゲルのあまりにも強烈すぎる出自に、デュールは今度こそ掛け値なしの吃驚きっきょうに肝を抜いた。

 

「強え強えとは思ってはいたが、まさかの特殊部隊SFかよ。だから傭兵やってたお前とも鉄火場で面識があったのか」

「マスク被ってたから顔までは見てなかったがな。あんなバケモンこの天上天下に二人といるめえよ」


 そんな奴を昼間自分はきかけたのか……。今ここで五体満足のまま雑談に興じていることが、だんだん天の恵みにあずかれたかのような、まさに心胆寒しんたんさむからしめる思いだ。


「ま、つのる話もありありだが、続きは酒の席でってな」


 そう言いながら、フォージはバーの扉を開け放ち、陽気なドアベルの音色が三人を出迎える。


 中立地帯をうたうエリアに建てられただけあって、店内では東西見知った顔ぶれの連中がそれぞれ束になって一日の無聊ぶりょうをアルコールの熱でなぐさめており、お互いを必要以上に刺激しない距離感を保っている。

 とはいえ、そこは天下無法のメイザース流とでもいうべきか、各テーブルにはしっかりと銃やら魔道具やらがこれ見よがしとぶら下げられており、その様相はさながら世紀末の場末の酒場といった風情だ。


 こういう時、中立勢力のなんと気楽な事か、今しがた店のかまちを跨いだ便利屋の二人にPHNの用心棒を加えた三名は、誰におもねる必要もなく堂々と店の真ん中を歩いてカウンターにつくことが出来るのだから。


「アムブロシアのロック。デュール、お前はどうするよ」

「シャルバチアニューメイク。ミントは抜いてくれ」

「はいよ」


 二人は席に着くなりマスターに注文を投げつつ、それぞれ煙草に火を付けた。


「相変わらずの甘党かよ。ガキめ」

「うっせえ」


 好きにさせろと言わんばかりにデュールは吐き捨てる。サクラ科の果実と蜂蜜を主原料とした蒸留酒であるシャルバチアは、長期間の熟成を経ても強い甘みを残し、熟成期間の短いニューメイクにおいてはその傾向がさらに強くなる。

 その甘さに似つかわしくない強いアルコール度数からしばしばレディキラーと呼ばれるため、アクセントとしてミントを添えて風味を中和するのがスタンダードなのだが、あの鼻から抜けてくるメンソールのような刺激を苦手とするデュールはわざわざミント抜きで注文する。


 一方で、フォージの注文したアムブロシアは極圏地方の極夜期きょくやきに収穫される特別な麦とハーブを主原料としたスピリッツだ。口に付けた瞬間から喉を焼くアルコールの刺激と、後から広がる氷河のような香りが特徴の曲者であり、両者の性格同様に対照的な趣をかもしていた。


「嬢ちゃんは?」


 何の迷いもなく平然と酒をすすめようとするフォージの蛮行を、すかさずデュールが阻止する。


「アホが、ガキに飲まそうとすんな。牛乳でも飲ませとけ」

「アタシ食いもんがいい」

「今晩はこのロン毛の奢りだ。好きに頼め」

「まーじい? やったぜ。オッサン、なんか肉食いてえ」

「はいよ」


 残りの注文をアンに任せ、二人は一足先に出されたグラスで軽やかに乾杯を交わす。

 出ずっぱりだった一日の疲労をアルコールの慰撫いぶと共に喉の奥へと流し込み、弛緩しかんしきった血流を深々と吸い込んだ煙草のニコチンが締め直す。

 緩急相克そうこくする脈動をこめかみのふちで感じながら、全身を巡る酔い気に意識をおどらせる。


「く~っ、やっぱ一日の締めはこいつがなきゃな」


 上機嫌にグラスとくゆらせながらフォージが歓喜のため息を漏らす。一日の締めとのたまってはいるが、今日は別段用心棒が出張るようなトラブルがセンターで起きていたわけでもなく、この男は一日暇を持て余してだらだらしていたはずだ。まったく調子がいいことだ。


「んで? こーんなクソ溜めに女なんか連れ込んで、どういう風の吹き回しよ。少女趣味にでも目覚めたか?」

「ぶっ殺すぞおめえ。チッ、成り行きだよ、成り行き。まったくどいつもこいつも、今日はその話ばっかりだ」


 心底うんざりした顔でデュールが紫煙を吐き出した。

 まあ、白髪の赤目という常人離れした風体に、見た目が十五、六歳程度の少女真っ盛りともあれば、誰の目にも強い印象を残すのは必定であり、そんな子供を、見るからにガラの悪い一匹狼が連れて歩いているともなれば、むしろ自然の反応である。


 そんな街中の注目を集めてやまない当の本人は、今はエデン特製のミートサンドに舌鼓したづつみを打つので忙しく、この短い時間でもうすでに二枚目の皿に手を伸ばしていた。


「はっ、イービスの旦那も味な真似するよな。よりにもよってお前なんかにガキのお守りを任せるんだから」

「まったくだ。一体全体どういうつもりなんだか、皆目かいもくお察しも叶わねえ」


 酒も入って愚痴のボルテージを上げるデュールの様を、フォージが不敵に脂下やにさがりながら担ぎ上げる。


「でもお前、なんだかんだ言いつつちゃんと面倒見てるようじゃねえの。俺はてっきり、ガキなんてさっさとシンジケートに売っ払っちまうもんだと思ってたぜ。あそこならその子も引く手数多あまただろ」

「それができるんなら苦労ねえんだよ」


 早くも二本目の煙草に火を付けたデュールが、深々とスモークの芳香ほうこうで肺を満たす。そして唐突に考え込むように押し黙り、くすぶる火種の先端を呆然と見つめだした。


「なんだよ、もう酔っちまったのか?」

「なわけあるか。ちょっと考え事だよ」


 返す返すも鬱陶うっとうし気に煙を吐き出し、デュールは中断された思考の中で辛うじてまとまっていた部分だけを抜き出した。


「まあ、ガキに死なれるのは俺もあまり気分は良くねえ。ただでさえこの街は、家の数より墓の数の方が多いんだからな」

「それで柄にもなく人探しってわけか」


 デュールがやけに神妙な返しをするものだから、釣られたフォージも表情を固める。傭兵として戦場を渡り歩いてきた経験上、戦地で少年兵と対峙する経験は一度や二度ではない。


 前線を援護するはずの後衛部隊の大人が、少年兵たちの背中を銃で狙いながら無理やり戦わせるような、胸糞悪いことこの上ない現場に出くわしたこともある。生き残るために倫理も道徳もかなぐり捨て、自身の全知全能を生の天秤に乗せるあの場所は、まさに善悪の彼岸だ。


 その中で必死に生きようと足搔く子供たちが、鬼気迫る形相でこちらに向かって特攻してくる。そんな彼らをボロ炭のように、あくまでも造作なく焼き滅ぼしたあの感覚は、到底忘れられるものではない。老いも若きも、男も女もなく、それこそ数えきれないほどの屍山血河しざんけつが煉獄れんごくを経て、最後の最後にたどり着くのがこの地の果てだ。


 この街ではそうやって、死んでも死にきれないままに落ち延びた亡者が、最後の死に場所を求めて群れを成し、延々と続く等活とうかつの地獄を築いているのだ。フォージがその一員である以上、今更聖者のように死者に祈りを捧げるほど敬虔けいけんにもなれないが、それでもせめて、子供の一人や二人、生きてこの街を出られるようにと祈る程度の信仰があってもばちは当たらないだろう。


 などと、そんな綺麗事を吐く資格の持ち合わせのある者は、悲しいことにこの場には一人として存在しなかった。


「ま、イービスは筋金入りのプラグマティストだ。情だけで無駄足を踏むようなオツムの作りはしてねえはずさ。お前にアンを預けたのも、何かしら計算あっての事だろうよ」

「冗談じゃねえ。死なれるのも困るが、いつまでも目の前うろつかれるのはもっと困るんだよ。仕事になりゃしねえ」

ほえはデュールがめしらはねえのがわりいそれはデュールがメシ出さねえのがわりい


 すっかりミートサンドに夢中かと思いきや、ちゃっかり人の話を聞いていたアンが、口の中をいっぱいにしながら茶々を入れた。ここひと月の食事がほとんどデリバリーのピザだっただけに、きちんと人の手で調理された料理が大層気に入ったらしい。豪快に積まれた皿の量は尚増える一方だ。そしてここにきてようやくアンの大食いぶりを察したフォージが、額に汗しながらデュールに向き直る。


「なあおい、こいつ一体どんだけ食うつもりなんだ?」

「さあな。参考までに言っとくと、俺が三日間事務所を空けたときに握らせたデリバリー九食分の金を、こいつは初日の昼に使い果たしてたぜ」

「てめえデュールこの野郎! 俺を担ぎやがったな?」

「何の話かナ。誘ったのもオマエ、奢ると言ったのもオマエ。はてさて金額の上限は決まってたかナ」


 わざとらしい棒読みの中に、確信犯的な微笑で口角を吊りながらデュールはいたずらに目を逸らす。


「てんめえ……この野郎。ぜってえ分かって黙ってただろ!」


 まんまとめられた怒りで握り拳をかたどりながら、フォージが詰め寄ろうとデュールの上体に掴みかかった──まさにその時だった。盛り場の喧騒を切り裂くような轟音が店内に鳴り渡り、ほんの一瞬前までデュールの頭があった場所を一発の銃弾が掠めていった。


 まさに奇跡としか言いようのないタイミングで命拾いしたデュールの代わりに、射線にいたマスターの腹部が血に染まる。拭きさしのグラスが砕け散り、力なく重力の底に沈むマスターの転倒音と、破片の散らばる乾いた音が沈黙の店内にこだました。


 誰も彼もが銃声の方向に一斉に振り向くと、そこには中立地帯での発砲という最大の禁忌を犯した狼藉者が、肩で息しながらデュールたちを睨み据えていた。


「クソ……悪運のつええ野郎が」


 どうやら最初の一発でデュールを仕留めるつもりだったらしいその男は、怒りの形相のまま床に唾した。それを合図とするかのように、多種多様の銃を担いだならず者たちが店の中へと殺到する。槍衾やりぶすまの如く構えられた黒鉄くろがねの銃身が、撃鉄の合図を今か今かと待ち望む。


 これより先に待ち受けるのがどのような惨劇なのか。先の剣呑けんのん極まる銃弾の挨拶に続いた沈黙を思えば、どんな馬鹿にだって察しはついた。


「撃ちまくれェ!」


 さながら戦場の号令のように発せられた下知と共に、並みいる銃列が一斉に火をいた。一発でダメなら百発で、とことんデュールを蜂の巣にしてやる腹積もりの連中が、場末の酒場になまりの嵐を振りかざす。


 まさかこんなタイミングで店にカチコミをかけてくる輩のことなど想定していなかったテーブル席の客は、火線の雨に容赦なく引き裂かれ、あっという間に店内は地獄と化した。


 しかしそこに歴戦の猛者二人の戦術勘が冴えわたる。連中が銃爪ひきがねに指をかける刹那、二人は即座にバーカウンターの向こう側へと退避していた。鉄板仕込みのこの遮蔽なら、小銃の掃射くらいなら数分は耐えられる。


 しかし、場慣れしたデュールとフォージならいざ知らず、鉄火場てっかばでの経験のないアンの反応はわずかに遅れていた。二人に続いてカウンターから滑り込んできたアンの肩と脇腹を銃弾が掠めており、整った顔が苦悶と痛みに歪んでいた。


「アン!」

「いってえなチクショウ……。なあデュール、なんだよあいつら」

「分からねえ。それよりお前は? ちょっと傷見せてみろ」


 言いながらデュールはアンの上着をまくりり上げる。右鎖骨部と左脇腹の銃創、幸い急所は外しているようだが、脇腹の銃弾は貫通せずに体内に残っているようだった。出血の度合いも軽微、内臓と大きい血管を避けるように弾丸が通過していたため致命的な損傷とまではいかないが、放っておけば当然感染症のリスクがある。


「クッソ……マジで痛えやこれ」

「喋るな、腹に力入れると出血がひどくなる。落ち着いて呼吸を整えろ」


 あくまでも冷静に状況に対処するデュールの胸の内では、燃えるような怒りが蜷局とぐろを巻いて吹き荒れていた。それは一日の終わりの締めくくりに冷や水を浴びせられた時の苛立ちとは、似ても似つかぬ苛烈さを伴って、極熱の双眸そうぼうに火を付ける。


「フォージ!」

「分かってんよクソッタレェ!」


 言うが早いか、デュールの合図が飛んだ時にはすでにフォージは動き出していた。手のひらを当てがった地面を中心に、蜘蛛の巣状に広がっていく紋様は、果たしてしもであった。それは静かに、しかし迅速に店の床面を覆いつくし、ギャング達の足元を接触面からたちまちのうちに凍り付かせる。


 完全に虚を突かれたギャング共は、かつて感じたことのない死の冷気に怖気おぞけあらわにし、迫りくる霜の波目掛けて撃ちまくる。しかし、銃弾ごときで地面を伝播する冷気は止められない。一人、また一人と霜に足を取られたギャング共のおよそ半数近くが、その場から一歩も動くことが出来なくなった。


「──点火Fire


 しかし悪夢はそこで終わりではなかった。ギャング共の動きを止めた極低温の霜柱が、信じられない速度で赤熱化していった。液体の水が気化する時、その体積は実に一千七百倍にまで膨張する。それが一瞬のうちに発生すればどうなるか。答えは明快、水蒸気爆発となって一気に拡散していく。


 そんなものが自身の足元の至近距離で発生しようものなら、もはや回避は不可能。フォージの起こした爆発は周囲の人間をもろとも吹き飛ばし、前線の銃列隊が完全に崩壊する。


 傭兵フォージ。本名をダレル・ロウ。その術式は熱量操作術式サーマルオペレーション流体操作術式フルイドオペレーション。超高温と極低温の二重奏で敵勢力を撃滅する、PHNが誇る随一の魔術師に冠された二つ名は『相克』。


我が血の元に集えsprung,von,meinem,blut


 敵前線が崩れたのを見計らい、すかさずデュールがカウンターから躍り出る。符術の号令によって召喚された二挺にちょうの銃が、デュールの怒りに呼応して撃発の雄叫びを上げる。──もはや中立などと与太を抜かしている場合ではない。貴様たちが撃ち込んだ弾丸の味を、骨の髄まで叩き込んでから地獄に送ってくれよう。


「クソ共が、こんなんで済まされると思うなよ」


 あれよあれよと形勢は覆り、狩る者と狩られる者との立場もひるがえった。情け容赦ない銃弾が狙い定めた敵前線のことごとくを粉砕し、血飛沫がレッドカーペットを形作る。


「おめえら! 敵はたった二人だ。とにかく撃ちまくれ」


 リーダーと思しき男が血相を変えて吠えまくる。だが、幾多の修羅場を駆け抜けて研ぎ澄まされた戦闘勘を備えるに至った魔弾の射手相手に、もはや数の有利など何の意味もなさない。先のフォージが起こした爆発に乗せて舞い散った呪符の紙吹雪が、再びの解号と共に目くるめく。


 デュールの号令と共に戦場に馳せ参じたのは、強烈な光をまき散らす閃光手榴弾スタングレネードだった。死角なしの狭い室内、フォージによって遮蔽も消えたこの場で、至近距離の閃光を防ぐ手立ては皆無。手元に呼び寄せた遮光グラスをデュールが装着するのとほぼ同時に、宙を舞うグレネードが煌々こうこうと光を放った。


 直視すれば視力を焼くほどの強烈な光が店内を包み込み、前後不覚になったギャング達は為すすべもなく凶弾にたおれていく。


「つまらねえヤマに命張ったな、ボケナス共が。安心しろ、タダでは殺さねえよ。おめえらの臭え肉袋からありったけモツを抜いて、この店の弁済費用に充ててやっからよ」


 店内にいた敵勢力を皆殺しにし、残るは外で控えてる馬鹿どもだけだ。なんとも見下げ果てたことに、彼らを残らず死地に送り込んだ当の首謀者は、すでに襲撃用の車を盾に腰を抜かしていた。


「とまあ、その前にだ。テメエからは聞けること聞いとかなきゃならねえからな。だからそこで大人しくしてやがれ」

「な……なめんじゃねえぞクソッタレが」


 この期に及んでまだ虚勢を張るとは、よほどの命知らずなのかただの馬鹿なのか。しかし追い詰められた馬鹿程何をしでかすか、だ。なんとよりにもよって、ギャングのリーダーが車の陰から取り出したのは、対戦車用のロケットランチャーだった。


「テメエ……」

「ひ……ヒヒ……。顔色が変わったな銃使いガンスリンガー。おめえも、おめえのお友達も、まとめて月まで吹っ飛ばして、先月お前に殺された仲間のはなむけにしてやる」

「お前……あん時の誘拐屋のツレか?」


 それは、デュールにとっては願ってもない話だった。望み薄だと思っていたアンの正体に迫るヒントが、わざわざ向こうから押しかけてきたのだから。それが分かった瞬間デュールの目的は殲滅から生け捕りに変わったのだが、あまりにもそのタイミングが悪すぎた。


 敵は今まさにロケットをぶちかまそうと引き金に指をかけ、もはや一刻の猶予も許されない瀬戸際だったのだ。この瞬間においてデュールに出来ることは、まだ店の奥にいるフォージとアンに危険を知らせつつ、回避行動に移ることのみだ。


「死ねえ!」


 男が引き金を絞り、発射管から流星の尾を引いて弾頭が踊りだす。やむを得ず回避運動を取ったデュールの頭上を、白く輝く何か擦過した。


「……え?」


 それはランチャーから発射された弾頭を空中で一閃し、二つに割られた弾頭が均衡を失って明後日の方へと飛び去っては、狙いを大きく外して着弾した。


 衝撃と轟音、燃え盛る炎を後光に佇立ちょりつするは、血に染まった白衣びゃくえを翻す一人の影。その手にはつかつばもない包丁のごとき大刀が二刀一対を織りなして握り締められ、深紅の瞳が烈火のごとく眼前の敵を睥睨へいげいする。そのそのかおは、紛れもなくあのアンのものだった。


「アン……?」

「デュール、あんた言ったよな。この街ではケジメが大事だって」


 当惑するデュールを余所に、アンは静かな怒りを込めて問いかける。


「あ、ああ。言ったが……それよりお前腹の傷は──」


 背中で語るアンに問い返そうとして、はたとデュールは二の句を中断する。今しがた、発射されたロケット弾を真っ二つにしたのが彼女だったとしよう、この窮状きゅうじょうで何かしらの能力に目覚めた彼女が、店を丸ごとローストしようとした馬鹿の企みを打ち砕くため、尋常ではないスピードでここまで馳せ参じたとしよう。



 しかし、そこまでの爆発的な運動能力を発揮していたのなら、彼女もまた無事では済まないはずなのだ。

 なぜなら彼女の脇腹に撃ち込まれた銃弾はまだ体内に残っており、あのような急機動をやらかそうものなら大出血は免れない。


 しかし現実はどうだ。彼女からはただの一滴の血も垂れてきてはいない。無論回復魔術とは縁のないフォージにあの重傷を塞ぐことは不可能だ。


「アン……まさか、まさかお前──」


 ──聞いたことがある。この世界には魔術によって人の形を得た生命体がいるということを。彼らは生来より卓越した魔術の技量を持ち、常人を超えた身体能力を発揮し、負傷の即時再生をも可能にする。あまりにも稀有で、あまりにも馬鹿げた存在が、この世界のどこかに息づいているというのだ。


 その容姿についても確たる特徴があるわけでもない。半ばおとぎ話や伝説のものとして語られるのみだと思っていた。

 しかし、ただ一つ確かなのは、彼らは一様に、燃えるような深紅の瞳を持って生み出されると──


人造人間ホムンクルスだったのか……お前」


 想像だにしなかった真実を目の当たりにし、今度こそデュールは言葉を失う。そんな彼に対し、アンは凄烈せいれつな眼光をもって二の句をつむぐ。


「マスター、手遅れだったよ。弾の当たり所が悪くて死んじまった。今日初めて会ったばっかだけど、あのおっちゃんはうめえ飯を作ってくれた。だけどもう食えないんだ。まだ食いたかったな……」


 その言葉は淡々としていながら、どこか悲しげで、そして煮え滾るような怒りに満ち満ちていた。


「だからよ、この落とし前はつけさせねえといけねえよな。そこのクソ外道に」



 そう言って、アンはそのきっさきに込めた殺意を、眼前の敵へと向け──


「……は?」


 まさに一瞬の出来事だった。彼女の歩みは音を置き去りに、意識の慮外を切り取るかのように男の首を一閃していた。目にも止まらないなどの次元ではない。だ。


 ゴトリと、重い音を立てて男の首がね落ちる。その骸を得も言われぬ表情で見つめるアンの手には、命を刈り取る重みが犇々と伝わっていた。司令塔を失った残りの手勢が蜘蛛の子を散らすように逃げ出す中、ただ一人デュールだけが、月下に佇むその凄絶せいぜつな出で立ちに魅入られていた。


 ゾクゾクした。そう、ゾクゾクしたのだ。驚愕と畏怖いふと、何よりその圧倒的なまでの技の冴えに心が躍った。

 このひと月、彼女の処遇について散々頭を悩ませていたデュールが、この機についに一つの結論へと辿り着いたのだ。


「アン、お前を便利屋の一員として迎える。お前のその力、俺に貸せ。その報酬として、お前の記憶は俺が探してやる」


 飾ることなく、実に端的にデュールはアンに告げた。長らく孤高を貫いてきた彼が、ただ感銘を受けたというだけでこんなにも簡単に仲間を作るなどということは本来あり得ない。しかし彼には核心にも近い予感があった。


 こいつのこの力があれば、きっと──

 便利屋としてこの街に根付き、組織に使われるばかりの益体やくたいのない日々に身をやつしていたデュールが、誰に打ち明けることなく秘め隠していた野望──茫漠ぼうばくと過ぎていく日々の中で叶わぬ願いと知り、いつしか忘却の淵に追いやってしまっていた動機に、にわかに光明が射した瞬間だった。


「ああ、アタシももうしばらく厄介になるとするよ」

 

 握りしめていた双剣が魔力の欠片となって霧散し、したたれた真っ赤な返り血を見つめながら、アンは静かに、しかし確かな決意を込めて、デュールの提案を快諾した。

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