Act.4:中立地帯にて




 カルテルとシンジケートが東西に分かれて覇を競うメイザースの街が、全エリアにわたって無法地帯なのかと言われれば、答えはNOである。


 両組織の支配区域に挟まれた中央エリアは、二大組織による不可侵協定が結ばれている唯一の区画であり、比較的治安は安定していると言ってもいい。無論、それはあくまでも「比較的」であり、小規模なギャングによる抗争は日常茶飯事だし、諸手もろてを上げて平和を謳歌おうかできるほどでは断じてない。


 とはいえ、ここ中央エリアを根城にしているのがあのリルフィンゲルであることをかんがみれば、大抵の組織は巨大化する前に彼女の手によって粉々に粉砕されるので、魔境さながらのメイザースの中ではだいぶマシな場所であることには違いあるまい。


 もっとも、その自浄作用がかえって東西の膠着こうちゃくを長引かせているのもまた事実なのだが。


 千里眼のオクトラスが経営するプロヴィデンス・ヒューマンネットワークのオフィスはまさにこの緩衝地帯かんしょうのど真ん中に建っており、彼らが有する独自の情報網は、この街で起こっている事件やお尋ね者の情報のほとんどを網羅するほどに広範であり、日々様々な情報の取引が盛んに行われている。


「ここ何? 何するところ?」

「プロヴィデンス・ヒューマンネットワーク。十数年前に元帝国情報部のエージェントたちによって設立された、この街の情報の要だ。設立当初は小規模な情報ブローカーだったみたいだが、情報部仕込みの調査力と確度の高さから徐々に評判を呼び、今ではそこらの情報機関も凌ぐって話だぜ」

「へえ」

「あからさまにつまんなそうな顔すんじゃねえよ」


 確かに子供が来て楽しめる場所でない事だけは認めるが。ほとんど彼女のためにわざわざ足を運んできたのが本音のデュールとしては、この反応はあまり愉快なものではなかった。まあ、そんなことをわざわざ口にするほど迂闊うかつな男でもないが。


 オフィスのエントランスを抜けた先で真っ先に目に入るのが、壁一面を覆うほどの張り紙の数々だ。そこにはメイザースの内外で起きている様々なトピックが入り乱れ、支払う金額に応じてより詳細な情報を得ることが出来る仕組みになっている。


 取り扱う情報量があまりにも膨大なため、最近になって魔晶盤タブレットによる検索機能が追加されたという話だ。


「ええっと、一か月前の暴走車事件の続報はっと……」


 追加実装された検索機能を早速試すがてら、デュールは自身も関わった一か月前の事件の関連情報を漁っていた。


「例の誘拐屋の件か?」


 アンの素性に直接関りがあるとみられる案件なだけあって、リルフィンゲルも興味を示した。


「いや、どっちかっていうと知りたいのは軍の方だ。事と次第によっては何かしら対抗策を講じておく必要があるんだが、これといったタレコミはねえみたいだな」


 若干の無駄足感の否めない成果にデュールは嘆息する。


「仕方ねえ、調査でも頼むわ。アン、その辺で待ってろ」

「さっさと済ませろよ。そろそろ腹減ってきた」

「分かったから、大人しくしとけ」


 思考を切り替え、トピックの記載された貼り紙を掲示板から剥がしたデュールは、そのまま受付の方にまで持って歩いていく。


「やはり気になるのだな。アンの事が」

「そんなんじゃねえよ。何も知らずに台風の目ってのが嫌なだけだ」


 なにやらおかしな邪推じゃすいをしているリルフィンゲルを制しつつ、デュールは思案に耽る。これまではアンの傍若無人ぶりに振り回されるばかりで考える余裕もなかったが、彼女が何者なのかについて一切の情報がないことに疑念がないと言えば嘘になる。


 唯一の手掛かりは彼女を追っていた魔導軍の車だが、やむを得ずとはいえ彼らを木端微塵に吹き飛ばしたデュールに対して追手がかかることもなければ、その後もこの街に軍人が入ったという情報もこのセンターにはなかった。


 それだけこの件に関しては軍も慎重にならざるを得ない何かがあると考えるべきか、それともカルテルやシンジケートを刺激するリスクとは釣り合わない些事さじと考えるべきか、どちらの可能性も等価と仮定するなら、降りかかる火の粉の大きい方を見据えた対策を練るのが賢いやり方というものだ。


 ただでさえこの街の人間の命は軽く、まさに吹けば飛ぶが如しなのだから。

 

 そうこうしている間に受付へとたどり着いたデュールは、先ほど掲示板から剥がした貼り紙を差し出しつつ、


「便利屋のシャムロック・ザイドリッツだ。この案件に関して正式な調査依頼を出したいんだが──」


 会員証と一緒に貼り紙を受付窓の向こう側へと滑り込ませる。


「ザイドリッツ様、いつもご利用ありがとうございます」


 書類を受け取りながら受付嬢が恭しく頭を下げつつ、慣れた手つきでディスプレイに案内を表示した。


「本案件に関しての調査依頼ですね。どのような情報をお求めですか?」

「メイザースに入り込んだ軍用車の出どころと、関与した部隊についてだ。可能であればそいつらが何を追っていたのか、その詳細についても知りたい」

「かしこまりました。しかしながら本案件に関しては、事件収束から日にちも経っており、詳細な調査には特別な手段が必要となります。当社のサイコメトラーであれば、ある程度の情報の回収は可能でございますが、いかがいたしますか?」

「ってなると、担当官はダンテだな」

「左様でございます」


 PHNの調査部門には、情報収集に特化した魔術師によって組織された課があり、通常のタレコミや取材では入手できないような特殊な手法による調査を引き受けている。社長のオクトラスはまさにその最たる例で、彼は魔眼の力を用いた失せ物の追跡、透視を併用した読唇術どくしんじゅつによるリアルタイムの情報収集を担当している。


 サイコメトラーとは、魔術師が関わった事件の現場に残された術式痕を回収してパターンを解析し、術者の素性を辿ることで情報を収集するPHNの特別調査官の事だ。


 その手法の性質上、経過時間によって調査結果の精度が大きく左右されるが、腕のいい術師であれば半年程度経過した現場の術式痕からでもピンポイントで個人を追跡することも可能だ。


 PHNのサイコメトラーのダンテは、オクトラスに並んで社の屋台骨を支える超一流の調査官なのだが、それだけに依頼料が跳ね上がるのが玉にきずだ。とはいえ、万全を期す以上背に腹は代えられない。ここで依頼料をケチって後で痛い目を見るのは、他ならぬデュールなのだから。


「それで頼む。後日請求書を送っておいてくれ」

「かしこまりました。調査が終了次第、ご登録の住所に書類を送付いたします」


 一通りの手続きを終え、受付を後にしたデュールの背中に声をかける者があった。


「よお便利屋。景気はどうよ」


 振り向いたそこには、背中まで伸ばした長髪をなびかせ、長身を丸めながら絡むような視線をデュールに送るものがあった。


「なんだ、フォージか」

「なんだとはご挨拶じゃねえの。先月お前がカルテルの配達トチって金玉タマもがれかけた時、うちの社長が助け舟出してやったじゃねえのよ」

「それでなんでお前が偉そうなんだよ。なんもしてねえだろうが」


 恩着せがましく絡んでくるこの長髪の男は、PHN専属の用心棒として雇われた荒事専門の魔術師である。貴重な情報が数多く集まってくるセンターの特性上、正規の手続きを無視して情報をせしめようとする不貞の輩が沸くのはもはや必定であり、そう言った連中から従業員を守るには、それ相応の戦力が必須となる。


 フォージはその筆頭であり、彼の戦闘能力はリルフィンゲルやカルテルのバケモノ達ほどとは言わないまでも、半端なチンピラが束になって襲い掛かってきたところで二秒とかからず消し炭にするだけの実力は備えている。こういった荒事にも長けた人材を数多く抱えているからこそ、このメイザースにおいてPHNは完全なる中立を維持することを可能にしている。


「聞いたぜ、お前さっき通りで事件屋のケツにファック仕掛けて死にかけたんだってな。お前があんなゴリラ女が趣味だったなんて初耳だぜ」

「そんなんじゃねえよ馬鹿野郎。ちょっとビビッて運転ミスっただけだ。つうか、おめえのくだらねえ与太に付き合ってる暇ねえんだよこっちは」


 フォージを鬱陶うっとうしげにあしらいながらデュールは煙草を咥える──そこにすかさずフォージが指を弾くと、まだライターを翳してもいないうちから煙草に火が付いた。


「まあそう言うなって。俺は今日はもう上がりだ、一杯付き合えよ」

「奢りか?」

「ざけんじゃねえよトンチキが──と言いたいところだが、あそこのかわいい女を連れてくんだったら考えてやらんこともないがね?」


 そう言って、フォージは自分の煙草にも火を付けつつ、その火種を、リルフィンゲルと共にエントランスのスツールでかったるげにくつろいでいるアンの方へと向けた。なるほど、こいつが声をかけてきた理由はそれか。アンの大飯食らいぶりを身に染みて思い知っていたデュールはこれ幸いと脂下やにさがると、さも仕方なさげにかぶりを振ってみせた。


「しょうがねえな、連れて来てやるよ。だがなフォージ、後からやっぱナシとかほざくなよ? そん時は目玉で煙草吸わせるからな」

「んなケチくせーこと言わねえよ。ほれ、そうと決まったらさっさと行こうぜ」


 意気揚々いきようようと歩き出すフォージであったが、この後彼が財布に大ダメージを食らい、悄然しょうぜんと肩を落として帰路につくことになるのは、もはや想像に難くないだろう。

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