第3話

 “もう少し”は、高校二年生の夏休みまでだった。

「行けないって、どういうことだよ!」

 待ち合わせ場所には、陽香と雅貴しかいなかった。尊志のケータイに電話してみると、『悪い。行けなくなった』が第一声だった。

『熱あるんだよ。三十八度。お前らにうつすの嫌だし。梅本によろしく』

 それだけ伝えて、電話が切られた。

「濱野、何だって?」

 浴衣姿の陽香が、頭ひとつ分高い雅貴を見上げる。

「熱あるから、今年は来られないらしい」

「そっか……。それは仕方がないね」

 小学生のときから、毎年欠かさず三人で来ている花火大会。揃わなかったのは初めてだ。

「尊志の分まで楽しもうぜ」

「そうだね」

 二人は並んで、人ごみの中を歩き出した。からんころん、と下駄が鳴る。向かい側から人の波が押し寄せる度、陽香は雅貴から引き離されてしまう。抗おうにも、慣れない浴衣のせいでどうにも動きづらい。

 独り。怖い。自然に俯いてしまう。

「何してんだよ。はぐれるぞ」

 ぐい、と手を引かれる。

 それまで離されていたのが嘘のように、直ぐ近くに雅貴がいた。

「戻って、きてくれたの……?」

 雅貴はその問いに答えることなく、前だけを見ていた。

 手を繋いでいるだけなのに、凄く安心する。

「そこのカップルさん。りんご飴はいかが?」

 声のした方に顔を向けると、気のよさそうなおばさんが陽香たちを真っ直ぐ見詰めてにこにこしていた。

「あのっ。私たちカップルじゃ―――」

「小さいの二つください」

 離されかけた右手を陽香が慌てて掴み返すと、雅貴の空いていた方の手がぽんと頭にのった。

「離してくれないと、お金出せないんだけど」

 優しい苦笑を浮かべて、顔を覗き込まれる。

「あ。ご、ごめん」

 羞恥に耳まで赤く染めて、幼子のように握り締めていた大きな手を離す。

「ほい」

 買ったばかりのりんご飴を差し出される。

「あ、お金」

「いらん。ちゃっちゃと歩いてくれたらそれでいい」

 財布を出そうと鞄を探っていた右手を奪って再び握られ、引っ張られてしまう。しぶしぶ従いながら、舌をちょっと出して飴を舐めた。

「甘」

「そりゃ飴だからな」


 ようやく人ごみを抜け、三人の秘密の場所に着いた。

 ここは誰も知らない場所。小学二年生だった雅貴が見つけた、とっておきの場所。

「打ち上げまで、あと三分か」

 雅貴が腕時計を見ながら呟く。

 ドクン。

 陽香の心臓が撥ねる。

 去年までと変わらないはずなのに、今年は何故かどきどきする。何処か変わったのだろうか。何処が。

「今年も綺麗に見えるといいな!」

 変わらぬ笑顔。

 去年までより、近くに感じる。

「梅、どうかしたか?まさか、お前まで熱か」

 額に添えられた左手。

 ピッチャーの手。握ったままの右手。

 手を繋いだのなんて、何時ぶりだろう。

「熱じゃないみたいだな。良かった」

 去年までと違うのは―――。

「ねぇ内海」

「ん?」

「私、内海のことが好きみたいなんだけど」

 雅貴はきょとんとしていた。目を瞬いて。

「付き合って欲しい」

「わかった」

 あまりの呆気なさに、逆にうろたえた。

「え、ちょっと『わかった』って何。付き合ってって、コンビニに付き合ってとか、キャッチボール付き合ってとか、そういう意味じゃないんだよ?本当にわかってる?」

「ぷ」

 雅貴がついに噴出した。

「何が可笑しいの!私は本気なんだからね?」

「いやーごめん。梅にかかると、告白もこんなに面白くなるんだなーって、感心してた」

「……喧嘩売ってます?」

「だから違うって」

 笑顔でひらひら顔の前で手を振る。

 陽香は剥れてそっぽを向いた。

「あれー、梅ちゃん。怒っちゃった?」

 私って今、告白したんじゃなかったけ。

 陽香はこの状況を疑問に思いつつも、むくれるのを止める気にはなれなかった。

 無言の空間に、気が早く目覚めた秋虫の声が響き渡る。

「はぁ」

 雅貴の溜め息。

「実は俺さ、今日梅に大事な話があったんだよね」

 そっぽを向いたままの陽香には、その時の雅貴の表情はわからなかった。

「俺、梅が―――」

 バアァァンッ。

 二人揃って、空を見上げる。

 夜空に、大輪の光の花が咲いていた。

「綺麗……」

「だな」

 ドン。ドン。ドドン。

 腹に響く重低音と、それに似合わぬ華やかさ。

 雅貴がそっと陽香の顔を盗み見、そして見てしまったことをほんの少し後悔した。

 色とりどりの光に照らされる横顔は、あまりにも―――。

「本当に、綺麗だ」

 バアアアァン。シュルルル………。

 最後の一際大きな花火が散ってしまうと、陽香が雅貴に顔を向けた。

 見られていると露とも思っていなかった陽香は、闇色の瞳にどきりとする。

「そう言えば内海、私に話があるとか言ってなかった?」

「……何でもない」

「ふうん」

 陽香にとって十一回目の花火大会が、終わった。

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