第9話 本能寺へ。
この頃には、信長は織田家当主に嫡男の信忠に据えていた。それでも織田家の家臣は信忠はもとより信長の意向を重視した。信長の意向は一つ。全国統一。全ての地が織田家とつながりのある家にすることである。信長は京に居城を移した。公家からは力のなくなった足利家から将軍職に就くのはどうだろうか?との打診があったからだ。
しかし信長は直ぐに返事をしなかった。それよりも他家の動向を気にしていたらしい。それは未来を見越して信忠の為だったのか、単に政ごとに興味を無くしていたのかは定かではない。ただ、それ以前に右大臣の職を降りていたのも同じような理由だったのかも知れない。
配下武将たちは『織田家を盤石にするため』と考えていたようで、信長の意向通り各地で戦闘を繰り返していた。中国地方では毛利家と。四国地方では一時期は友好であった長宗我部家と事を構えようとしていた。そのためにも、信長の京への居城は都合が良かった。四国遠征が近づいたころ、信長は二条城から出陣する予定だった。
ところが毛利家と対峙していた羽柴秀吉より、敵軍が侵攻するとの情報受け、配下武将を先送りした後、信長も自ら出陣することを決めた。四国攻めは三男の神戸信孝に総大将を任せた。当主の信忠は信孝の出陣を労うため京に到着し、妙覚寺に居を移していた。
信長はこの時、近衛前久ら僧侶を呼び、本能寺で茶会を開いた。信忠もそこへ合流し、茶会のあとは酒宴となった。弥助も当然のこと参加したが、お茶を飲めるわけでも酒を飲めるわけでもない。静かに信長の後方に控えるだけ存在であった。
それでも、公家や僧侶の中にはいまだに弥助の容姿に興味を持つ者も多く、信長は気持ちのよい酒を煽っていた。
嫡男信忠とも酒を酌み交わし、信忠が帰った後は本能寺にてそのまま就寝に付いた。
信長には戦前の緊張などなかっただろう。二度にわたる包囲網を生き抜き、敵対する多くの家を下し、広い領土を手中にした信長には、今回の中国、四国地方の平定も作業の一つと化していたのかも知れない。京を抑え、朝廷の重鎮にまで推される信長には、恐れる者などなかったはずだ。ところが、
辞退は急変を告げた。
夜中に目を覚ました信長は、辺りが騒がしいことに気が付いた。
「何事だ蘭丸。様子を見てこい」と隣室に待機する蘭丸に命を下した。
「弥助はおるか?」
「はい、こちらに」と弥助も襖を開いて姿を見せた。薄暗い中に弥助の白い歯が光るのを見て、信長は小さく笑った。
「おおかた、どこかの若造が酒におぼれた挙句の騒ぎであろう。状況が分かるまで、お主もそこで待機しておれ」
「御意」と弥助が答えると、廊下を掛ける足音が聞こえた。
「殿!謀反でございます」
「何と申すか!」さすがに蘭丸の報告に信長の表情も一気に険しくなった。
「明智の旗を確認しております」と、蘭丸は残念そうに答えた。
「光秀か……」と、信長は静かに呟いた。
「殿。お早くご避難のほどを」蘭丸に急かされ、信長は立ちあがった。
「蘭丸、刀を持て!弥助!ついてまいれ」そう叫ぶと寝巻の襟をはだけ、仁王たちとなった。廊下を走りだすとすでに火の手があちこちから上がっていた。
光秀は本気で討つ気でいるようだ。信長は暫く立ち尽くした。光秀の知略を知っているからこそ、自分には逃げ道はないのだと悟ったのだ。
「弥助。お主は逃げのびよ。お主に日ノ本の戦は関係がない。どうにか故郷まで逃げ延びよ」そう言うと信長と蘭丸は燃え盛る炎の中を駆けだした。弥助はどうしていいのか分からなかった。信長に捨てられたと寂しくもあったが、とにかく燃える建物から逃げ出すのだと、戸板を突き破り庭へと躍り出た。
そこには多くの将兵がすでに包囲しており、弥助に刀を向けて投降するように命じた。主を失った弥助はその命を受けるしかなかった。
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