第2話 奴隷の意味

 そして長い行軍のあと、広い海へとたどり着いた。ここまでに、ほかの村からも何人もの男女と家畜がトワンの村同様に脅かされ一団に加わった。

道半ばで息絶えた者も出ていた。食事も水もほとんど与えられていなかったからだ。海が見えると、ほてった身体を冷やそうと、何人もの男女が海へと走りだした。海を見たことのないトワンはそれが何を意味するのか分からなかった。だが、走り出した一団に向け、数発の銃声が響いた。

「勝手に動くな」そう、あの同胞を売り渡した男の声だ。ここに付くまでに銃声が響いた後には何が残るのか、トワンも理解していた。それは命が消えることだ。やがて一団は海に浮かぶ大きな木の箱へと押し込まれた。そして、櫂を漕ぐことを強要された。断ることなど誰ひとりとして出来はしなかった。これが彼らの言う『労働力』なのだと、誰もが理解せざるを得なかった。

沖合に出て風の恩恵を受ける場所まで来ると、トワン達にはほかの命令が下される。甲板と呼ばれる場所や家畜部屋と呼ばれる場所の掃除などだ。少しでも反抗しようものなら、ただでさえ少ない食事さえ貰えなくなる。背も高く筋骨隆々だったトワンの身体も、発揮する力を無くし、やせ細っていった。彼だけではない。ほとんどの者がまともな食事を与えられずにやせ細っていた。反乱を防ぐ為だと気が付いたのはだいぶ後になってからだ。そして我々が『奴隷』と呼ばれることもその時に知った。

白い男たちの言葉も少しずつ理解できるようになった。簡単な言葉だが、意思疎通のためではない。命令を理解するためだ。対応が遅れればそれだけで鞭打ちの回数が増える。だからトワンはそれらの言葉を聞き逃さずに覚えていった。トワンは生に執着した。いつかは家族と会えると信じたからだ。信じたかったというべきだろ。それが彼の唯一の拠り所だったからだ。それしか彼には残されてはいなかった。


 トワンの旅は長かった。様々な国へを彼を乗せた船は航海を重ねた。その間、死にゆく仲間も多かったが、補充は完璧に行われていた。それだけ、色々な場所で『奴隷』にされた者も多いのだろう。トワンは折れそうになる心を自身で励まし、どうにか平常心を保っていた。白い男たちの言葉も覚え、従順なトワンは奴隷ながらも、船長などからの信頼も得ていた。

ある時、船長がトワンに言った。

「お前も長く尽くしたな。そろそろ楽をさせてやる」と。言葉の分かるトワンだが、意味は全く理解できなかった。ところがそれ以降、トワンは櫂を漕ぐことも甲板の掃除も命令されなくなった。その代わりに船長の部屋で酒を注いだり、服を着替えさせたりの命令に変わった。

とある港に着いたときには、船長に同行を許され、彼の荷物を運ぶように命令された。彼はそんなトワンを『従者』と呼んだ。従者となると言葉も更に覚えた。今までは聞くだけの立場だったが、トワンも発言を許されるようになった。最初はぎこちなく話していたが、流暢に言葉を発するまでには大して時間はかからなかった。

ある日、船長はトワンに言った。

「宣教師がこの船に乗船するが丁寧にな。それと長い旅になるぞ」と。トワンは宣教師と言う言葉は知っている。だがそれが何を意味するかは理解してはいない。理解していなくとも、丁寧に接するという命令だけで、彼はすべてを理解した。そしてそれ以上の理解はトワンには無意味だとも分かっていた。船長もそれを理解していたのだろう。トワンの反応を無視するかのように、そして独り言のようにいつも話しかける。

「そうですね。分かりました。お酒をどうぞ。おやすみなさいませ」

トワンの言葉はこれだけである。それでも長い航路の孤独を紛らわせるために船長は話しかける。ただそれだけなのだ。トワンは船長の名前さえ知らない。水夫たちが船長と呼ぶから、それが名前だと思っていた。待遇が良くなろうともこれが奴隷だ。

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