Ⅰ 魔女狩りと呪われた絵ー③

 格式の高い娼館には、有名人や政財界の重要人物も訪れる。必然的に働く者たちは口が固く、情報は決して漏洩させないという。今朝の女将の態度を見れば一目瞭然で、改革派の調査など簡単にはいかないだろう。


 金字で大きく『楽園イル・パラディーゾ』と書かれた看板に、赤いレンガ造りの華やかな建物。神殿を思わせる重厚感ある造りが、安い店ではないと示している。朝は気付かなかったが、天井の梁や骨組みは大聖堂の天井裏にも匹敵する見事な構造で、高い吹き抜けをあんぐりと見上げてしまった。


 娼館にも性的交渉だけを目的とした店もあれば、教養ある娼婦の歌や演奏を楽しみながら食事を主とする店もある。楽園は後者で、しかるに様々な職や年齢層の者が出入りしても不自然ではなく、かつ口の堅さは信頼できる。改革派が根城にするのも頷けるというものだった。


 開け放たれた入り口は、接待と思しき役人の一団や、逢瀬を待ちわびた男女で賑わっている。

 こっそり娼館通いをしている同僚もいるが、ルカは初めてだった。


「いらっしゃいませ、きれいなお兄さん。うちは初めてですか?」


 派手さはないが仕立ての良いドレスを着た中年女に話しかけられる。受付や娼婦と引き合わせをする媒婆ばいばだろう。


「ええ、そうです」

「どんな子がお好みでしょうか? 小柄で可憐なの、豊満なの、金髪青目、歳上、色々揃えていますよ」

「ええと、アヤという人はいますか」


 中年女は片眉を上げる。

「お客様、今なんと?」


「アヤという人に呼ばれたのだが、いるかな」

「あのぅ、アヤはうちの一番人気の花魁コルティジャーナ・オネスタですが、何かお間違いじゃありませんか」


 コルティジャーナ・オネスタというのは最も格式の高い娼婦だ。

 今朝会った時には男物のチュニックを着ていたが、やはり女なのか。しかし体型はしなやかな少年のものだった。朝の印象と媒婆の話が、頭の中でどうにも噛み合わない。


「お客様、大変申し上げにくいんですが、うちの売れっ妓と遊ぶには、少しばかり懐が不相応じゃありませんかしらねぇ」


 黒一色で何の装飾もないルカの神父服が物語っている。

 どうせ安月俸だよ! 顔から火が出そうになるのを、ルカは冷静に取り繕った。


「信じてもらえないのは分かるが、本当なんだ。実は今朝たまたま、娼婦が亡くなった現場に鉢合わせていて。その時にアヤと話をしている。この通り、どうにか取り次いでもらえないだろうか」


 店に入る前から女の機嫌を損ねては、一巻の終わりだ。ルカは慎重に言葉を選んだ。ここは法王のお膝元ローマなのだから、しかるべき態度を取れば、司祭は邪険にはされない。

 それに丁寧に話せば、己の顔が女の心を動かしてくれると知っている。そういうのはあまり好まないが。


 今朝、それから娼婦の死という言葉に、媒婆がはっとした顔になる。どうするべきか迷っている様子だ。

 その時、奥の廊から声がかかる。


「ルカ様、お待ちしていました」


 女にしては低く、男にしては高い不思議な声。その声に娼館内の空気が変わる。奥の廊から現れた華やかな姿に、皆が道を開けた。


「あっ……、君は」


 黒檀色の髪を高く結い上げ、目元にも口元にも色を乗せている。ドレスは薄紫色の絹を花のように重ね合わせたもので、アヤの雰囲気にとても合っている。


「その方の言う通り、わたしがお呼びしたのよ」


 見る者を一瞬で魅了し、強烈に惹きつけ放さない。しかも皆が一歩下がるようなこの感じは、間違いなく花魁コルティジャーナ・オネスタの中でも最上位なのだろう。その証拠に、媒婆まで及び腰になっている。


「でっ、でもアヤ、今日はバベル様がおいでになる日だよ」

「彼が来るまでならいいでしょう? 代金はわたしが払うから、その方をご案内してちょうだい」


 あれよあれよという間に、ルカは葡萄ぶどう柄のステンドグラスの一室で優美な長椅子に座り、彼女ととなり合っていた。たくさんの鉢植えに囲まれ、緑が生い茂るここは大都会ローマではない。南イタリアの田舎に迷い込んだようだ。

 そしてこれまでの人生では一度も嗅いだことのない香木の深くいい香りが、余計に緊張を高めた。


「きちんと名乗っていなかったわね。わたしは楽園イル・パラディーゾのアヤよ。蜂蜜酒をどうぞ」


 アヤは優美な手つきで蜂蜜酒にレモンを搾り、ガラスの器を猫足の丸テーブルに置いた。レース編みのテーブルクロスすら美しい。大変に美味な飲み物で、一気に飲み干してしまった。


「美味しいでしょう? 蜂蜜はオレンジの花から採ったものを使っているのよ」


 花によって蜜の味も異なるものなのだろうか。ルカには分からぬが、それより怖いのがこの一杯で一体いくらなのかだ。代金はアヤが支払うと言っていたが、タダより怖いものはない。次を作ろうとするアヤを押し留め、ルカは切りだした。


「あっ、あなたは男なのか。それとも女人なのか?」

「お店に出るときは女のつもりではいる、かしら」


 アヤは笑った。それがあまりに繊細できれいで、ルカは蜂蜜がとろけるような気持ちになる。この人を前にしたら、どんなに怒り狂った人も大人しくなってしまうのではないか。


「今朝、あんなことが起こったばかりなのに、この店はすごいな。君も無理をしているんじゃないか?」

「娼婦はたくましいのよ。賑やかでしょう?」


 他の部屋からは弦楽器の音色や、客の大きな笑い声がする。


「ルカ、と呼んでもいいかしら。今朝はありがとう」

「もちろん。今朝は俺も気が動転してしまって、何もできなかったよ。言葉もかけられずに申し訳ないことをしたと思ってる。ご遺体はまだどこかに?」


 紫色の瞳にじっと見つめられる。深い髪色とのコントラストが際立ち、きらきらと輝いている。こんなの見たことない。ルカの心臓は異常な速さで胸を打ち、さっきからずっと体が熱いままなのだ。


 いやいや、俺は改革派が出入りしている証拠を得るために来たのだ。見たいのはアヤの笑顔でも裸でもなく、動かぬ証拠。例えば客名や裏金の出納が記された帳簿類だ。


「気にかけてくれて優しいのね。ねえさんの顔を覚えている?」

「うん。あれは気の毒だ」

「あんな顔を晒すのはかわいそうだと、おかあさんが昼間のうちに埋葬を済ませたの。だからもうここにはいないわ」


「おかあさんというのは女将だよな。親子なのか?」

「いいえ。でもわたしたちはみんな、家族だから」

「そうか。あなたも含めて皆、本当は心中穏やかではないのだろうな。それで、俺を呼んだのは?」


 アヤは頷き、少し瞼を伏せた。その仕草がなんとも色っぽい。


「ねえさんたちの身に起きたことを話してもいいかしら」

「聞かせてくれ」

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