第3話 光るさかな

 ニムが鈍銀にびぎんの懐中電灯をつけて林道に入る。小さな光だけで照らされた坂道は、昼間よりもずっと歩きにくい。耳元で羽虫の音が聞こえるたびに、ホンタは暗闇を、ビー玉を握った腕で払った。


「ねえ、ビー玉は何に使うの?」


 ニムの背中を追いかけながらホンタが尋ねる。ニムは丸く光る地面に目を落としながら短く言った。


「使うのはビンの方。これで光るさかなを捕まえて観察するんだ」

 そう言って、少し足を緩めたニムが左手に持ったぴかぴかのビンを懐中電灯で照らしてみせた。

「洗った方とそうじゃない方。どっちが良いのか分からなかったから、ちょうど良かった」

「そっか」


 生あたたかい風が吹くと、辺りの暗がりが生き物のようにさわりと音を立てて揺れた。少し行くと、ごろごろと堅かった地面が、雑草の生えた湿り気のある野原になった。


「この辺りかな」


 そう呟いたニムが懐中電灯を消した。急に色のなくなった空気は、少しだけ吸い込むのが苦しくなる。

 木に囲まれた空の先に、薄い星明りが瞬いているのが見えた。青臭い匂いが鼻先にたまっていく。ジジジ、という虫の音と、耳を澄ませば、ことんと湧き水が地面を押し上げる音まで聞こえるような気がした。

 ホンタはこめかみに流れる汗を拭った。取り出したビー玉が、手の中でべたべたした。


 隣にいたニムが、はっと息をのんでホンタのTシャツをつかんだ。

 いつの間にか、野原の周りには黄色とも緑ともつかない、薄くチラチラとした光が漂っていた。それらは何かを探るように宙を泳ぐと、地面の一点に吸い寄せられるように集まっていく。

 ニムが、ため息よりも小さな声で言った。


「この夏、生まれたばかりの稚魚こどもだ」

「湧き水を飲んでるの?」

「きっと、湧き水に映る、星の光を飲んでるんだ」


 二人してそろりと光に近づく。一歩進むたびに、かかとのつぶれた運動靴が、水気を吸ってクシャリと音を立てた。

 ラムネのビンを持ったニムが湧き水の方に腕を伸ばすと、晴れた空のようなガラスの色に惹かれたのか、淡い光がビンの中にいくつか灯った。ビー玉をポケットにつっこんだホンタも、持っていたビンをそっと近づける。


「……入ってこないよ、ニム」

「やっぱり、洗った方が良かったみたいだ」

 ニムはくすりと笑ったようだった。


 ようやく、ホンタの持つ甘い匂いのビンの中にも一つの光が入る。その出入口をそっと手でふさぐと、ホンタは顔を近づけて、光るさかなをのぞき込んだ。

 それはメダカよりも小さな姿で、ゴマチの浮かべていた金色のさかなに比べると、やや緑を帯びた薄い光をしていた。胸びれの動きに合わせて、うろこの中から柔らかい明滅を繰り返している。生きている光だ。きょとんと目を丸くしながら、夏の空気と隔てられたガラスを内側からつつく姿は、どこか間が抜けて可愛らしく見えた。


「わ、わ、わぁ……!」


 光るさかなにぼんやりと見とれていると、急に、ニムが大きな声を上げた。

 左を見れば、ニムはホンタよりも明るく光るビンを手にしていた。それに引っ張られるように両手は高く持ち上がり、地面を離れた足は立ち泳ぎするようにばたばたと揺れている。

 ニムのポケットから、かしゃん、と音を立てて懐中電灯が落ちた。


「ニム、中に何匹入れたの?」

「ご、五匹。ど、どうしよう?」


 ニムの体は風船のように、ぷかりと空に浮かんでいく。ホンタは持っていたビンを放ると、地面に落ちた懐中電灯をつけた。

 急にあふれた光の波に流されるように、湧き水に群がっていた淡い輝きが一斉に空に散っていった。

 照らしたニムの足は、手を伸ばしても届かないところにあった。ホンタはすぐに懐中電灯を上向けると、ニムの真下に立った。


「手を離しな、ニム。さかなたちを逃がしてやるんだ」

「で、でもさ」


 ニムがためらうような声を出した。小さなメガネが上を向き、ガラスでできた明るい飛行船を眺めた。

 せっかく春から準備して、今夜のために頑張ってきたのだ。手放したくないのだろう。気持ちは分かったが、それでも、ホンタは大きな声でニムに言った。


「さもしい人間に、なるなよ」

「え?」

「来年でも、再来年でも、いいじゃないか。今日みたいな夜をまた探そう。次はぼくも手伝う。そうじゃなきゃ君、このまま空に連れてかれちゃうよ」


 ホンタが両手を広げる。ぐっとあごを上げると、戸惑うような顔をしたニムと目が合った。

「手を離して。大丈夫、落ちてきたら、ぜったいぼくが受け止めるから」

「わ、分かった」

「じゃあ、いち、にの、さんで」

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