一四章 鬼婆登場
「あなたが
ジロリ、と、あたしを見る目がなんとも物騒。『厳しい』って言うより『険しい』って感じ。あたしは思わずブル、って身を震わせた。
あたしは
六〇過ぎのおばさんなんだけど、とにかく、怖そう。ガリガリにやせてて、筋っぽくて、頬骨なんか飛び出してる。なんかもう、人間って言うより骸骨に皮を張りつけただけっていう印象。目付きはとにかく険しいし、表情には愛想の欠片もないし、なんかもう一言で言って『死ぬほど性格悪いおばさん』って感じ。
それ、ほんと?
あたしは疑わずにはいられなかった。
この、いかにも『意地悪おばさん!』って感じの見た目からは想像もできない。いったい、どんな物好きがこんなおばさんのレッスンを受けたがるっていうの?
長年、勤めたアイドル事務所を引退して、第二の人生目指して田舎に引っ越してきた。耕作放棄地を借りて農家をする一方、地元の子どもたち相手に唄やダンスを教える教室を開いているとか。
この人は最初は『自分はもう引退した身だから、プロを目指す人のレッスンはしない』って断ったそうなんだけど、
なんで、そんなところでよけいな根性、見せるかなあ。
断られて、素直にあきらめていてくれれば、あたしだってこんな意地悪おばさんににらまれずにすんだのに。実際にレッスンを受ける方の身にもなってよね!
でっ、あたしと
これがもうガラガラ。生徒なんてひとりもいない。他の生徒のいない時間帯にやってきた……とかじゃなくて、本当に生徒がいない。
そりゃそうでしょ。
あたしは心の底から納得した。誰が好きこのんでこんな意地悪おばさんのレッスンなんて受けたがるって言うのよ。誰だって、どうせ指導を受けるなら、もっと優しくてカッコいい人から指導されたいと思うでしょうよ。
あ~あ、ほんと。あたしもどうせアイドルとしてのレッスンを受けるなら若くて、優しくて、カッコいい男の先生がよかった。そうしたら少女マンガによくある恋愛にだって発展したかも知れないのに。こんな意地悪おばさんじゃなんの希望もないじゃない。
あたしはそう思い、こっそり溜め息をついた。
「不満そうね」
いきなり、意地悪おばさんにそう言われてびっくりした。歳をとっているせいかとにかく険しい両目があたしをにらんでいる。あたしは思わず冷や汗を流していた。
ふん、って、意地悪おばさんは鼻を鳴らした。さすが、意地悪おばさん。こういう失礼な態度だけはよく似合う。
「よくいるのよね。アイドルたちのキラキラした外見だけに目を奪われて、なんの覚悟もなしに入ってくる甘えん坊が。いい迷惑なのよね、そういうの。そんなの相手にするなんて、時間の無駄以外の何物でもないんだから」
「な、なんですか、その言い方! 失礼じゃないですか」
あたしは怖がりながらもそう言っていた。ヘソの緒、切って以来、こんな邪険な態度をとられたことがない。怖くはあったけどそのことに腹が立って、言わずにはいられなかったのだ。
すると、意地悪おばさんはもう一度『ふん』って、鼻を鳴らした。
「どうせ、若くて素敵な男性トレーナーやカッコいいアイドル予備群の男子に囲まれて、チヤホヤされながら楽しくレッスン……ぐらいに思っていたんでしょう?」
……うっ。図星だ。
思っていたことをズバリ言われて、あたしは冷や汗交じりに後ずさった。
「どいつもこいつもプロの厳しさがわかっていないのよ。プロっていうのは自分の芸を見せて、他人からお金と時間をもらうものなの。命の次に、場合によっては命より大切なお金と時間をね。そのためには、チヤホヤされている暇なんてない。一般人からは考えられない厳しいレッスンを積む必要がある。そのことがわかっていない甘えん坊なら、目指すだけ無駄だわ。学校のなかだけでアイドルの真似事してチヤホヤされて、都合のいい夢、見ていなさい」
意地悪おばさんはシャワーから出る水の勢いでそう言った。その言葉に――。
あたしはキレた。
あたしのことを悪く言うだけならまだいい。でも『学校のなかだけで』。この台詞は許せない。あたしだけじゃなくて、ダンス部のみんなのことまで悪く言っている。
そりゃあ、あたしたちは全国に出るような有名ダンス部じゃない。でも、みんな、そのなかで一所懸命にやっている。真剣にダンスに向き合ってる。学校のなかだけでチヤホヤされたいだけでやっているわけじゃない!
あたしは怒りのあまり、怖いのも忘れて意地悪おばさんをにらみつけた。胸を張って言い返した。
「なんですか、さっきからやたら偉そうに。そんなこと言われる筋合いはありませんよ」
「偉いのは当たり前でしょう。あたしはトレーナー。あなたは生徒。生徒よりトレーナーの方が偉いのは当然でしょう」
「なにが偉いんですか。あなたがどんなにすごい人か知りませんけどね。しょせんは、自分ではアイドルになれなかった半端ものでしょう。だったら、アイドルを目指そうっていうあたしの方が何百倍も偉いですよ」
どうだ! とばかりに、あたしは胸を張ってにらみつけた。そのあたしの横では
はあ、って、意地悪おばさんは溜め息をついた。
「まあいいわ。あたしもプロ。引き受けた以上はきちんとレッスンはつけてあげる。それじゃ、すぐに着替えてきなさい」
「着替えって……いまから!」
「ハニーティーとハニーケーキでゆっくりお茶の時間を楽しんでから……とでも思っていたの? アイドルを目指すからには一時だって無駄にはできないの。レオタードはもってきたんでしょうね」
「え、ええ……」
正直なところ、あたしはレオタードなんてもってくる気はなかった。だって、誰が思うのよ。はじめてやってきた途端、レッスン開始なんて!
普通は初対面のときは挨拶だけして、レッスンはまた今度から……って、なるもんでしょうが。あたしだってそう思っていたわよ。だから、レオタードなんてもってくる気はなかった。それを
あたしはチラリ、と、
――こいつ、こうなることを知ってたわけね。
これは、黙っていられない。あとで、落とし前つけてやる。
「なにをグズグズしているの。さっさと着替えてきなさい。更衣室は向こう」
って、意地悪おばさんは愛想の欠片もない言い方で言うと、指さした。
あたしは腹立ちまぎれにクリルと回れ右すると、更衣室に向かった。そのあたしの横に並んで
「なによ、あのおばさん。偉そうで、いやな感じ」
腹が立ったままだったので、我ながらかなりツンケンした口調になっていた。
「たしかに、キツい人だけどね。でも、実績は確かだよ。あの人のもとからは本当に何人もの有名アイドルが飛び出しているんだ」
「それ、本当?」
我ながら、メチャクチャ疑わしい声と口調。
「本当だよ。それに、
「どこがよ⁉」
「先生の言うことに真っ向から言い返したじゃないか。あの先生、いつもああなんだ。新しく来た生徒にはとにかくキツいことを言って、言い返してくる根性があるかどうかを見てるんだよ。『アイドル業界なんて、見た目は華やかだけど内実はドロドログチャグチャ。言い返すぐらいの根性がないとやっていけない』ってね」
「……そういうものなの?」
「そういうものだよ。その証拠にすぐにレッスンしてくれるって言ったじゃないか。気に入らない相手だったらさっさと追い返してるよ」
「ふうん……」
まだ疑わしかったけど、認められたのだとすればやっぱり、嬉しくないことはない。あたしは更衣室のドアに手をかけた。
「それで、
「なに?」
って、
「いつまで、ついてくる気?」
「えっ?」
言われて、
「ご、ごめん……」
顔を真っ赤にしたままそう言って、あさっての方向に飛んでいく。
あたしは溜め息をつきながら更衣室のドアを開けた。レオタードに着替えはじめた。
――とにかくもう、決めたんだものね。
そうよ。第一、あんな偉そうなこと言われたら逃げ出すなんてできっこないじゃない。根性見せて、見返してやらないと。でも――。
――あの『先生』じゃ、ろくでもないレッスンになりそうだわ。
あたしはもう一度、溜め息をついた。
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