あたしは『のび太』に初恋を奪われた

藍条森也

一章 『のび太』に恋するプロローグ

 「内ヶ島うちがしまさん! 僕と一緒に世界を照らす太陽になって!」

 中学二年の春の昼休み。あたし、内ヶ島うちがしま静香しずかは校舎裏のサクラの木の下で『のび太』こと野々村ののむら宏太こうたからそう告白された。

 このときのあたしはもちろん、知らなかった。

 この一言があたしの人生をかえることになるなんて。そして、スクールカースト最上位女子として、校内ではちょっとは知られた存在だったあたしが、最下層男子である『のび太』に恋をするなんて。


  《あたしは『のび太』に初恋を奪われた》


 岐阜という田舎の県の、そのまた田舎。白川郷のほど近くって言えばだいたいのところはわかってもらえるかな。なんとかの世界遺産に登録されて有名だそうだから。

 あたしの通う中学校はそこにある。田舎の中学校にしては生徒の数も多くて、レベルも高い方だったりする。もちろん、あくまでも『田舎にしては』ってことで、都会の本物のマンモス校とか、進学校には及びもつかないけどね。

 とにかく、そこがあたしの学校。

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ったことを口実に、『のび太』から逃げ出して教室に戻ったあたしに、ひとりの女子生徒がよってきた。

 「静香しずか!」

 鮎川あゆかわ紗菜さな。幼稚園の頃からずっと一緒のあたしの親友。大きな丸メガネにお下げ髪。まるで、二昔前の少女マンガに出てくる優等生キャラみたいなその見た目。メガネをかけた顔いっぱいに、心配そうな表情を浮かべている。

 「静香しずか! 『のび太』に告白されたんだって⁉」

 「シイッ! 声が大きいっ!」

 あたしはあわてて紗菜さなの口をふさぎ、自分の唇にも人差し指を押し当てた。

 「うちの学校は『あだ名はイジメにつながる』って、あだ名禁止なんだから。先生に聞かれたら叱られちゃうよ」

 「そうだった」

 って、紗菜さなは丸メガネの奥の目を、メガネに負けないぐらい大きくして自分の手で自分の口をふさいだ。

 「でもさあ」

 紗菜さなはちょっと不満そうに言った。

 『『のび太』はどう見ても『のび太』じゃない。みんな、陰ではそう呼んでるよ。静香しずかだってそうじゃない」

 「うっ……。ま、まあ、それはそうなんだけどね」

 それを言われると弱い。

 たしかに、あたしも普段から野々村ののむら宏太こうたのことを陰では『のび太』と呼んでいる。

 ……いや、だって、どこからどう見てものび太なんだもの!

 背は低いし、体格は貧弱だし、力は女子よりも弱い。色気というものを完全に無視した、短く刈りあげた髪型に丸メガネ。顔立ちは地味で平凡。成績も悪い。運動も苦手。いやもう、どこからどう見てものび太そのもの。あまりにものび太振りが板についているので逆に目立つ。ある意味、校内屈指の有名人。なにしろ、『野々村ののむら宏太こうた』っていう名前は知らなくても『のび太』と言えば、

 「ああ、あいつか」

 って、誰もがうなずく。

 あだ名を禁止している側の先生たちでさえ、うっかり気を抜くと『のび太』って呼んでいる。本人はそう呼ばれても別に、気にしていないみたいだけど。

 まあ、あたしの『静香しずか』って名前だって『あの』しずちゃんから来ているんだから同じと言えば同じなんだけどね。本物ののび太と同じで性格は悪くないし、生き物には優しいし、とくに暗いわけでもない。たいてい、スクールカースト下層キャラは上位キャラに対してねたんだり、うらやましがったりするものだけど、『のび太』の場合、そんなところが全然ない。

 ボッチキャラなのは確かだけど、『我が道を行く』というか、そんなところがある。教室でもどこでも堂々とひとりでいる。だから、クラスの陽キャたちからもイジられたりすることはないんだけどね。

 「でもさあ……」

 紗菜さなが口元に手をそえて、声をひそめた。まるで、他人に聞かれたらまずい噂を口にするときみたいに。

 「『のび太』って、ドルヲタなんでしょう?」

 「……そうみたいね」

 たしかに。『のび太』のやつはよくひとりでアイドルの動画を見ている。『のび太』とは二年になってから別のクラスになったけど、一年のときは同じクラスだった。最初の頃はそうでもなかったはずなんだけど、気がついたらしょっちゅう、アイドルの動画を見ているようになっていた。

 ――ドルヲタで三次元に興味がないから、いつも堂々とひとりでいるのかな?

 あたしはそう思ったけど、紗菜さなは声をひそめながらつづけた。

 「スクールカースト最下層のボッチの上にドルヲタだなんて……本物ののび太よりヤバいじゃん。そんなやつに告白されたなんて知られたら、静香しずかの立場の方が危ないよ?」

 「いや、告白なんかじゃなかったから」

 あたしはそう言ったけど、紗菜さなの心配はよくわかる。たとえ、スクールカースト最上位キャラであっても、下層キャラと関わったら最後、自分まで下層に転落してしまう。

 いや、まわりによってたかって転落させられる。一夜にして立場が逆転し、まわりからバカにされ、イジられる対象となってしまうのだ。

 それが、スクールカーストの怖さ。だから、あたしとしても正直、『のび太』とは関わりたくないし、いままで関わらずにいたんだけど……。

 その『のび太』が『あんなこと』を言うなんて。

 いまだに、言われたときの驚きがなくならない。

 「でも、校舎裏のサクラの木の下に呼び出されたんでしょう? 我が校伝統の告白スポットじゃない」と、紗菜さな

 「それは、そうなんだけど……」

 あの『のび太』が、そんなことを知っているとは思えない。

 「とにかく。告白なんかじゃなかったら」

 「じゃあ、なんだったの?」

 紗菜さなはメガネの奥の目を丸くしてそう尋ねてくる。

 あたしは答えに困った。『あれ』はいったい、なんて言えばいいんだろう?

 「なんて言うか……将来に関する相談というか」

 「将来?」

 紗菜さなは目をパチクリさせた。そのとき――。

 「先生が来たよ!」

 誰かの声がした。その声に――。

 あたしと紗菜さなはあわてて自分の席に着いた。


 午後の授業が終わり、あたしと紗菜さなはふたり並んでダンス部に向かった。その途中、『のび太』のクラスの前を通りがかった。昼休みのこともあって気になったのでついついのぞき込んでしまった。すると……。

 自分の席に座ってスマホを取り出し、大真面目に画面に見入っていた。かすかに女の子の歌声が聞こえてくる。アイドルの動画を見ているんだろう。

 ――やっぱり、あいつって、ただのドルヲタなの? だから、あたしに『あんなこと』を言ったわけ?

 あたしはそう思いながら紗菜さなと並んで廊下を歩いていく。すれちがう男子たちのヒソヒソ話が聞こえてきた。

 「あのふたり、また一緒だな。仲良いよなあ」

 「内ヶ島うちがしま鮎川あゆかわか。幼稚園のときからの親友だそうだからな」

 「くうっ~、うらやましい! おれも内ヶ島うちがしまとずっと一緒にいたかった!」

 「そうか? おれは鮎川あゆかわの方がいいけどなあ」

 「げっ、マジかよ」

 「いや、だって、内ヶ島うちがしまは高嶺の花過ぎるだろ。校内のミスコンではベスト3の常連だし、成績はトップクラスだし、ダンス部のエースだし……おれみたいな平凡な中学生にはとてもとても。その点、鮎川あゆかわならがんばればなんとかなりそうだしさ」

 「まあ、たしかにな。メガネのせいで地味に見えるけど、よく見ればけっこうかわいいし、成績もそこそこいいし。内ヶ島うちがしまみたいにカースト最上位! とまでは行かなくても、それなりにいい位置にいるからなあ」

 「それに、性格もいいんだぜ。おれみたいなふつ~の中学生にも気さくに声かけてくれるしさ」

 そろそろ色気づいた年頃の男子たちが好き勝手なことを言っている。こんな風に男子の品定めの対象になるっていうのは正直、気分はあまりよくない。

 そりゃあ、まあね。あたしは校内でもかわいい方だって自分でもわかってるけど、でも、それだけでスクールカースト上位にいられるわけじゃない。地位を手に入れるためにはそれなりの苦労がつきもの。

 毎日まいにち早起きして鏡と格闘してるし、スタイルが崩れないよう食事にも気を使ってるし、運動もしている。ファッション雑誌だってチェックしているし、校内での話題についていけるよう、注目の動画やYouTuberを見ることも欠かせない。

 もちろん、成績が悪かったら話にならないから勉強だってしなくちゃいけないし、部活での実績も必要だからダンス部にも入った。……別に好きなわけでもないのに。

 それらの努力の甲斐あってスクールカースト上位に入っていられる。そのおかげで安心して学校生活を送っていられる。それは確かなんだけど……。

 スクールカースト。

 どこまで行ってもスクールカースト。

 スクールカーストからは逃げられない。中学を卒業するまで。ううん。中学を卒業したら今度は高校。スクールカーストの存在はもっと大きく、重くなる。その上位にいるおかげで誰にも攻撃されず、イジられず、安心して学校生活を送れるのは事実だけど……。

 これからもずっと、こんな毎日がつづくのかと思うとさすがにうんざりする。

 ――小学校の頃はもっと気楽だったんだけどなあ。

 カーストなんて気にせずかわい子も、かわいくない子も、勉強のできる子も、できない子も、それなりに一緒にいて楽しく過ごしていたんだけど。

 中学に入った途端、バキッ! って、音を立ててわかれちゃった。そしてもう、そこからは逃げられない……。

 あたしは思わず、溜め息をついてしまった。

 「どうかした、静香しずか?」

 そんなあたしを心配して、紗菜さながあたしの顔をのぞき込んできた。

 「あ、な、なんでもないから……!」

 「そう? ならいいけど……」

 こう言う、わりとあっさりしたところが紗菜さなのいいところ。女子同士の関係にありがちな変にベタベタしたところがない。だから、気楽に付き合える。

 ――そうだよね。あたしには紗菜さながいる。紗菜さなとだけはスクールカーストなんて関係なしに付き合っていける。それだけでも充分だよね。

 あたしは気を取り直した。胸を張って紗菜さなとふたり、ダンス部に向かった。

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