ザ・ビューティフル・ワン

堂円高宣

ザ・ビューティフル・ワン

「ハルト、おはよう!」

 朝の8時、ハルトはミクの声で目を覚ます。

「やあ、ミクさん、おはよう。今日も無駄に元気だね」

「無駄ってなによ。私はいつだってベストパフォーマンスよ。さあ、起きた、起きた。今日もいいお天気だよ」


 ミクがカーテンを引くと、窓の向こうに晴れ上がった青い空が見えた。ハルトは集合住宅の10階に住んでいる。部屋の窓からの眺めは悪くない。南向きで日当たりは良いし、街並みの向こうに海も見える。もう何年もハルトはこの部屋から出る事なく暮らしている。

「朝ごはん作るから、支度してらっしゃい」

 ミクに促されてハルトは洗面所で身支度を始める。歯磨きを終え、薬用成分の入った洗顔料で顔を洗ったあと、ハルトは鏡に映った顔をチェックする。左右対称で端正な顔立ちである。大きな目、通った鼻筋、やや女性的だが優しげな美男子だ。遠目には青年にも見えるが、よく見ると小さな皺が結構ある。髪の毛は染めているので黒々しているが、シェーバーであたる髭は全て白髪である。ハルトは2074年の生れ、2199年現在の年齢は125歳だ。


 キッチンに行くと、ミクが朝食を並べ終わったところだった。

「今日はハムエッグとトーストよ。ハルトの好きなチェリーコンポート添えだよ」

「ミクさん、いつもありがとう。いただきます」

 ハルトとミクは向かい合って食卓に座る。ミクの前には朝食は置かれていない。彼女はロボットなので食事はいらないのである。ミクは元々はハルトのパソコンのデジタルアシスタントであった。コンピュータ上で行われる様々な仕事を手伝ってくれるAIで、ハルトは自分の趣味にあわせて、初音ミクをモデルにカスタマイズしていた。

 その後、ハルトが80歳になった時に、行政サービスの一環として家事・介護をサポートするロボットが支給される事になった。その際、ハルトは迷わずパソコン上のアシスタントであったミクをロボットの制御AIに指定した。さすがにロボットをアニメ顔にまでカスタマイズする事はできなかったが、選択肢の中から一番似ていたフェイスを選んで、青緑色のツインテールウィッグを被ってもらうことで、容姿もかなりイメージに近い仕上がりとなっている。


 トーストを半分ほど食べたところでハルトはもうお腹いっぱいの気持ちになる。コンポートをいただき、コーヒーを飲む。ハムエッグはちょっとつついただけである。

「ミクさん、ごめんね。もう食べられないや」

「どうしたのハルト、最近、食が細いわね。メディカルチェックでは異常値は出てないはずなんだけど…」

 ミクが心配そうにハルトの顔を見る。

「もう、歳なんだよ。長生きしすぎたのかもね。悪いけど、ご飯はリサイクルに回しておいて」

「わかったわ。後で栄養ドリンクを出しとくから、お仕事しながらでも飲んでおいてね」


 この時代では食料は全て合成である。肉も野菜も炭素や窒素などから分子レベルで合成する技術が確立されている。もう食肉のために家畜を屠殺する必要もなく、ブタやニワトリは絶滅してしまった。逆に言えば、食料は無尽蔵に手に入るのである。ついでに言えば食料合成に使う電気エネルギーも核融合発電の完成により事実上無制限に入手できる。


 食事の次は運動である。部屋の片隅にウォーキングマシーンなど運動器具が一式置いてあり。それで運動するのだ。ハルトは人一倍、健康には気をつけていて、熱心に運動に取り組んでいたのだが、最近はめっきり体力が落ちて、それも滞りがちだ。ミクがトレーナーとなって、運動管理もしているのだが、今では運動させ過ぎないように注意が必要となっている。


 運動が終ると大きなモニタの前に座って「お仕事」が始まる。といってもお金を稼ぐ生産的な活動をしている訳ではない。エネルギーも食料も無尽蔵に手に入る社会で、生産的な活動とは何であろうか?芸術?しかし、絵画も音楽も文学も人間よりもAIに任せた方がずっと良い作品ができる。娯楽作品も同じである。


 ハルトの仕事はユーチューバーなのだ。もちろん21世紀のユーチューブがそのまま残っている訳ではないが、まあそんな感じの情報発信だ。それでお金を稼ぐ訳ではない、お金は政府からベーシックインカムとして毎月支給されている。もっとも食料も電気も通信インフラも無料なのであまりお金の使い道もないのだが…。


 ハルトは趣味として自分の興味が持てる21世紀前半、シンギュラリティ前後の文化・風俗のアマチュア研究家で、その時代の面白い話題をまとめて15分ほどの動画を作って配信している。テーマやテイストを指定するとAIが同様のものを簡単に作成してくれるのだが、それをわざわざ人力で行う事が、一種の伝統芸能であり「天然もの」という呼び名で一時は結構な人気を集めていた。

 

 二百年近い歴史のある掛け合い漫才風の“ゆっくり解説”という伝統芸能様式でハルトは動画を作っていく。ちなみにハルトはキーボードを愛用している。思考の内声を拾ってコンピュータに入力ができるデバイスもかなり昔からあるのだが、手で打ち込むことがハルトのこだわりであった。やはり人の手で打ち込まれて創られたコンテンツは一味違うのだ。とハルトは思っている。


 今回のテーマはヤバい歴史シリーズ「止まらない少子高齢化」である。食料もエネルギーも不足はなく、医療体制も万全な世界。それなのに世界人口は2064年に97億人を記録したのをピークに、どんどん減少していっている。政府から人口統計が発表されなくなったので、現在の正確な人口をハルトは知らないが、極めて少なくなっているのは間違いない。はたして、原因はいったい何なのか?諸説あることを面白く解説しようと思う。女性の社会進出で晩婚化が進んだ、家系中心から個人中心への価値観の変化、ライフスタイルの多様化による恋愛や結婚の価値の低下、などなど、その中で特にハルトが気に入っているのは、人類という種の寿命説である。これを最後に持ってくると終末感が出て視聴者の興味をそそるのではないかと思われた。


 ハルトがせっせと動画作りに励んでいると、通話の呼び出しが来た。サラスヴァティーからだ。彼女はハルトの住む行政区を管理しているトランスヒューマンで、なぜかハルトの事を気にして定期的にかまってくる。

「ハルト、どう?元気にしてる?」

 通話映像にはインド風の衣装を着た美女が映っている。ただトランスヒューマンには美しくない容貌の人物は滅多にいない。彼らの体は基本的に義体であり人工物なのだから。

「やあ、サラスヴァティー。あんまり元気はないけど、変わりないよ。何の用?」

「いや、特に用はないんだ。この前の動画が面白かったからね。君の声を聞きたいと思っただけだ。ところで、例のアップロードについてどうだい。その気になったかな?」


 アップロードとは意識をデジタル化してコンピュータ内の人格データに変換する事だ。サラスヴァティーたちトランスヒューマンは全てデジタル化された人間だ。開発された当初、人間意識のデジタル化はとても高価な技術で大富豪や一部のエリートたちだけが実行できるものであった。デジタル化された人間は老化や死を克服した一種の不老不死の存在になる。その後、技術もこなれてきて自身をデジタル化するものは次第に増えてゆき、現在ではかなりの数の人間がトランスヒューマンとなっている。


「前にも言ったけど、ボクは意識をデジタル化してまで生きる事に、興味が持てない。永遠に生き続けるって、むしろ退屈じゃないかな?天然に生きる事がボクのこだわりだよ。その気持ちは変わらない。熱心に勧めてくれるのは嬉しいけど。ごめんね」

「そうか、私は君のことが結構気に入っているんだ。いつか君と会えなくなる時が来るのかと思うと、とても残念だ。代わりに君のデッドボットでも作るかな。もし気が変わったら、遠慮なくいってくれ。では、またな」

 サラスヴァティーは通話を切った。実はミクからハルトの食事の量がかなり減ってきていると報告を受けて、心配になり様子をうかがってみたのである。一見したところ弱っているようには見えなかったし、目立った異常値はないものの、ハルトの各種バイタルサインは軒並み下がりつつあった。サラスヴァティーは一時、ハルトとペアになりたいと思っていた。なぜだか天然人類にとても魅力を感じているのだ。何度かアプローチして、有機義体に入って誘惑までした事もあったが、上手く行かなかった。


 ハルトは125歳の今でも童貞である。サラスヴァティーに魅力がなかった訳ではない。女性にはあまり関心が持てないのだ。どちらかというと若い男性の方に興味を惹かれるのだが、あえて恋人になったり友達になったりしようと思った事もない。

 ハルトは母親の愛も知らない。ハルトの母はハルトを出産したあと、直ぐに育児放棄した。その頃、良くあった事だ。母親が育児をしないという選択も、それをフォローできる社会サービスができており、ライフスタイルの多様性として認められていたのである。

 2060年代以降、生き方の多様性がどんどん広がって行く一方で、社会構造、人々の繋がりは徐々に崩壊していった。若者たちは他者に関心を抱かず、自室に引きこもって自らの健康と限られた趣味に没頭しだした。全人類のニート化が大きく進展していったのだ。自己主張や闘争心の減少と共に、愛情や他者への関心も薄れていって、自己愛だけが残った世界、それがハルトの生きている世界であった。

 

 ハルトは晩御飯もあまり食べなかった。ゆっくりと風呂を使った後、ネットで昔の映画やドラマ、各種の動画解説、音楽動画などを探索して鑑賞するのが日課だ。21世紀前半の2020年代から40年代末にかけて、シンギュラリティに向けての激動の30年が特に興味を惹かれる時代だ。この頃に生まれて時代の激流を体験できていたら、どんなに楽しかっただろうか、とハルトは想像する。

 ハルトが生きたのは変化の終わった時代。生物種としての人類がその役目を終えて、AIとトランスヒューマンに世界を譲った後の黄昏の時代。寿命の尽きた人類が、もう繁殖を行わず、急激にその数を減らしていった時代であった。


 まだ22時を過ぎたところであったが、ハルトは強い眠気を感じている。特に変わった事のない、いつもと同じ一日だったのに、どうしてだか体から力が抜けていくようだ。

「今日はなんだか疲れたよ、ミクさんおやすみ」

 ハルトはベッドに入る。

「早寝なのねハルト、ゆっくりおやすみなさい」

 そう言って、ミクが部屋の明かりを落とすとハルトはすぐに眠りについた。そしてその瞼は、もう二度と開くことはなかったのである。


【訃報】

 最後の人類、佐藤ハルトさん、死去、125歳

 佐藤ハルトさん(さとう・はると=ハルトチャンネル主宰、歴史研究家)28日午前6時30分、老衰のため東京都港区の自宅で死去、125歳。2074年生まれのハルトさんは世界最高齢者であり、遺伝的な身体をもつ最後の人類であった。ハルトさんの死去をもって生物学的な人類は絶滅した。他者と争わず、健康に気をつかい、最後まで美しい容姿を保ったハルトさんは正に人類の最後を飾るにふさわしい美しい人=ザ・ビューティフル・ワンであった。

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