日が暮れるまで。





「そういえばまちこ、写真アップしちゃっていいのかな」

「まちは撮ってただけだと思うぞ」

 ふと思い出したかのようななぎさの言葉に、なんだそんなことかと軽く応える。

 彼女が心配しているのはつまりこういうことだ。裕二や直也が映っている写真を避けたのに、同じシチュエーションで撮られたであろう同じ金魚鉢ゼリーをアップしても大丈夫か。

 大丈夫か否かで言えばおそらく大丈夫。そこまで気にするほどの規模ではないし、売り方でもない。ただそれでも「おそらく」という言葉が消えることはないし、であれば気をつけるに越したことはない。今までもそうしてきたし、だからそれも癖のようなもので。

 まちが写真で匂わせる男の存在といえば、兄である俺くらいのものだ。

「そういうなぎさは大丈夫なん?」

「そもそもあたしにそんな『清楚』を求めてる視聴者っているの?」

「いなくはないと思うけどなぁ」

「嘘じゃん。だってこんななのに」

 手を広げて自身の容姿をアピールするなぎさ。かわいい……じゃなくて。

 確かに、見るからにギャル、みたいな彼女にそれを期待する人間は少ないかも知れない。けれどやっぱり年若い女の子であり、ゲームに真摯に取り組むゲーマーである。男の影が見られない、というだけでそれを期待する人間はいるだろうし、まったく理解できないわけでもない。

 とは言うもののである。

「普通に男友達と遊んでる写真上げたりはしてたよね」

「してた! 大所帯でカラオケ行ったりとか、そこまで回数多いわけじゃないけど」

「じゃあ、そこまで神経質になる必要はないか」

「そうだよ。さすがに男友達と二人きりで遊びに行くなんてそうそうないけどさ」

「……そうなんだ」

 なぎさは、少なくとも配信で語られる範囲においては友達の多い人間だ。男女ともに分け隔てなく、というほどでもないけれど、それでも初対面の俺でも「気安い」と思わせるほどには。

 とはいえ、実際のところそれは「男の影」には含まれていないような気もする。プレゼントをもらっただのデートをしただの、付き合っただのなんだのと、配信で語ったことはなかったからだ。

 さすがに男友達と二人きりで遊びに行くなんて、そうそうあるものじゃない。

 反応に窮してしまったのは、数少ない例外の一つが、まさにここにいるからである。

「あ」

 少し遅れてそれに気づいたであろうなぎさが俺を見る。

「や、そうだよね。デートまでしたんだったね」

「あんまり行ったことなかったんだ」

「デートは初めてだったなぁ。前にも言ったけどさ、昔はもっとひねくれてたし、配信始めてからはそっちに夢中なのもあって」

「なるほどなぁ……なんかでも、想像できないな。ひねくれてるなぎさって」

「厨二オタゲーマーだった」

「えー、ガチで意外だわ」

 厨二オタゲーマー。なかなかのパワーワードだ。加えて、なかなかなぎさと結びつかない単語でもある。

 要するに、斜に構えてひねくれた目線でゲームをプレイしていた、ということだ。露悪的な描写に喜んだり、ダークヒーローに憧れたり、子どもの子どもらしさに否定的だったり――とはいえそれもまた子どもの子どもらしさのいち形態でしかない。

 なぎさの様子を見ても、その当時を恥じている様子は見られない。ただ懐かしんで、「そんな時代もありました」と事実だけを語っているように見える。

「まちを見たの。自分の好きを「好きだ」って、めっちゃ可愛い笑顔で言ってるの。素直な女の子は、かわいいんだ! って目が覚めたというか、目覚めたというか」

「それで今の感じ?」

「そ。見た目自体は変わってないけど、配信伸びだしたのも実はその頃」

「……人生変えちゃってるじゃん」

「そうだよ。本人にはあんまり言わないでね。重いから」

「言わないけどさぁ」

 その実兄に言ってる時点で、そこそこ重いよ。

 でもその反面、素直に誇らしい。愛する妹が、かわいい妹が、他人の人生にいい影響を与えている。

 ついさっきのシーンを思い出す。俺の作ったゼリーが喜ばれて、記録されて、たくさんの人に共有したいと思ってくれたこと。

 あれは別に他人の人生に何ら影響を与えるものじゃない。些細な日常のワンシーンを、少し切り取っただけの一幕だ。

 けれど事実として他人を動かした。俺のしたことが、他人の行動に影響を及ぼした。

 はっきり言おう。快感だった。これが承認欲求ってものかと少し恐ろしくなるほどに。

 それをさらに何倍も何十倍も、何百倍も何千倍も大きな規模でやっているのが、まちやなぎさだ。

「出会ってすぐデートまでしちゃったの、それもあってかなぁ」

「……おにぃのせいか」

「あんただろーが。まぁでも、なんか会ったこともないのにちょっと信用しちゃってたもんね」

「危ないなぁ」

「まちこがあそこまで言ってて、危ないことある?」

「そりゃあるだろうよ」

 いいお兄ちゃんであることと悪い男であることは、普通に両立し得る。他人の言葉を鵜呑みにしてはいけません、とたしなめるが、なぎさは「あはは」と笑った。

「でも信じてよかった」

 笑顔のままそんなことを言うものだから、俺ときたらまぁ顔を熱くして黙り込むことしかできない。

 正直なところ「兄萌え系アイドル」なんてやめたほうがいいと今でも思っているし、ライブじゃあちょっとついていけないところもあった。けど「好き」に素直なところはなぎさの言う通りだし、そんなまちの気持ちが嬉しくないと言ったら嘘になる。

 けれどこうしてなぎさと二人並んで歩けることは、素直に嬉しい。現金な話で申し訳ないけど、まちに感謝したいくらいだ。

「でも実際、推しに会って人生変わったのなぎさだけじゃないからなぁ」

「そりゃそんな話はどこにでも転がってるでしょー」

「いや、俺、俺」

「あ……あぁ、そっか、そういえば」

 きょとんとした顔のなぎさが、ようやくの納得顔だ。

 なんならまちよりもよっぽどファンが多いという自覚が、あるんだかないんだか。

「人生変わっちゃったかー」

「重いから『なぎ。』には言わないでくれよ」

「ホントそうだよね!」

 冗談はさておいて、人生変わったって言っても劇的なものじゃない。あまり重く受け止めないでくれよとだけ付け加えて、しばし沈黙の時が流れた。

 沈黙が苦にならない、なんて言葉が、よくカップルかなんかの話題で上がる。それくらい気安い関係、それくらいの信頼関係。

 知り合って一ヶ月かそこら、俺となぎさの間にそんな大層なものはたぶんない。けれど不思議と、隣を歩く彼女から、「何か話して欲しい」と感じることはない。「何か話さなきゃ」と、俺が感じることもない。それは間違いなく、沈黙が苦にならないということで。

 だから逆に、意識してしまう。

 林を抜け、アスレチックコースを横目にしばらく歩き、また林へ。子ども達の笑い声はデイキャンプ場よりも大きく、木々を縫って遠くまで聞こえてくる。葉擦れに混じるそれらが、なんだか聞き分けることができなくて。

「そういや、片付けしなきゃだったな」

「あ、そっか」

 思い出したように、何かをごまかすように口にした。

 とはいえバーベキューセットの片付けをしなくちゃいけないのは純然たる事実。あの四人がもしかしたら進めてくれているかも知れないけど、それならなおさら早いとこ合流しなくちゃいけない。終わってしまっていたならお礼を。

 何も考えずに出てきてしまった散歩。遊歩道を一周、なんてつもりもなかったけれど、思いの外短時間で終わってしまった。

 でも、濃い時間だったな。またなぎさ推しのことを一つ知ることができた気がする。

 また一つ、推しへの「好き」が深まった。



 片付けはもう半ばほどまで終わっていて、けれど抜けて出てしまった俺達を責める声は一つも上がらなかった。気の良い友人達に拍手をしたら、男二人に頭を叩かれた。

 洗い物、炭の片付けまで終わってればもう面倒なことは何もない。畳んでしまって、台車に乗せて返却するだけだ。

 とはいえせっかく来た緑地公園。いろいろと施設も豊富で、飛び込みで来てもある程度は遊べてしまう。

 というわけで合流した六人、道具を返却した後は日が暮れるまで遊び倒したのだった。

 帰りのバスの中、みんなすっかり疲れて眠りこけてしまっていて。口をぽかんと開けて眠る裕二を笑い、夢の中で何かを食べているのか口をパクパクと開閉する菊原さんを笑い、俺とまちは改めて前に向き直る。

 さすがの体力。まちはまだまだ元気なままで、姿勢も崩さず座っている。楽しかったねと笑うその声が、どこか遠くて。

 どうやら俺もそこそこに疲れているようだ。肩を引っ張られて、それに抗うこともできずに身体を傾ける。身長の近いまちの肩にもたれかかってしまって、少しだけ目が覚めて――

「いいよ」

 ささやく声に、また眠気を誘われる。

 どっちが上だかわかったもんじゃないな、なんて苦笑いを浮かべながら、俺はまちに体を預けて目を閉じた。

「おにぃかわいい」

 聞こえた声は、気のせいということにしておいた。




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