長い一日が終わっていく。
夜の街は、まるで異世界のようだった。
どこか浮ついていて、暗がりを照らす灯りが煌々と街を彩る。何かから開放されたように、笑顔で道を行き交う人々はどこか晴れやかで、店から出ては店へと消えていく。楽器屋、古着屋、その他リサイクルショップやライブハウス、居酒屋に屋台まで――音楽とファッション、飲食までもが華やかな街。
場違い感も甚だしい俺は、辺りをキョロキョロと見渡しながらその中を歩く。隣のなぎさは、実に堂々したもので。
「なんか慣れてる?」
「ううん、あんまり。夜遊ぶなんて、それこそ夏祭りとかくらい?」
「にしては堂々としたもんだなぁ」
「それは普通にキャラでしょ。性格だよ」
なるほど、ぐうの音も出ない正論だ。
なーちゃんモードのなぎさは、浮世離れした街の雰囲気でもどこか際立っていて、大人しく楚々とした佇まいとは裏腹に垢抜けた空気感をまとう。立ち姿、歩き姿に自信が見える。特段誰かに見られている、というわけでもないけれど、それでも見られることに慣れきった人の所作だ。
まちが参加する打ち上げは、ライブハウスからほど近い場所にある居酒屋で行われるらしい。出演アイドルの中には成人済みの人もいて、一応のところ監督者として面倒を見てくれるそうだ。
その周辺を散策しながら、時折立ち止まってはスマホでマップを見てはあーでもないこーでもないと相談を重ねる。
そうして決めたのは、数件隣の小さな居酒屋だった。
「……大丈夫なの?」
「あたし友達と何回か行ったことあるよ。居酒屋ご飯はおいしーんだ」
「へー。まぁでもそりゃそうか、酒飲まなきゃいいだけだもんな」
「そーそー。味濃いめだから、ドリンクが進むんよねー」
「経営戦略ってやつか」
「現実的ぃ」
早速入店、店員に年齢確認はされたけれど、だからといって断られるわけでもなく無事に席についた。店内奥、こじんまりとした目立たないテーブル席だ。
夜の居酒屋に未成年の男女が二人。酔っ払いの格好の餌食だから、ということらしい。店内はほぼ満席、いろんな人達がいろんな話題で、いろんな様相で酒の席を楽しんでいる。ところどころ様子のおかしい人達もいるけれど、それがなんだか非日常に迷い込んだみたいな気分にさせてくれる。
「居酒屋自体、そういや初めてだったわ」
「結構いい雰囲気じゃん? なんかみんな浮かれてて、楽しそうだよね」
「なんかわかる」
場に酔う、なんて言葉もあながち嘘じゃない。なんだかふあふあした心地だ。
「じゃ、とりあえずあたしウーロン茶とポテト」
「俺は……」
メニューも見ずに注文を決めてしまったなぎさを尻目に、メニューを広げて見てみれば、確かに彼女の注文したものはそこに載っている。いわゆる定番メニューみたいなもんだろうか。
にらめっこすること一分ほどでメニューを閉じ、店員を呼んだ。
「ウーロン茶とジンジャーエール、ポテトフライと、刺し盛りを」
注文を復唱した店員は、一礼を残して厨房へ。
盛り上がる客とは裏腹に、彼らの接客は実に静かで落ち着いている。だから気兼ねなく楽しめるのかな、なんてことを思い浮かべては目の前のなぎさに集中しなくてはと思い直す。
せっかく付き合ってくれたんだから、この時間を十分楽しまなくちゃ。なにしろ彼女は、俺がしばらく推し続けてる、人気配信者なのだ。
テーブルに頬杖をついて俺のことを見るなぎさは、しかしいまだ夢見心地の様相で。
「ライブ、よかったね」
「ほんと。まちこだけじゃなかったんだなぁって、当たり前だけど」
「うん、でもわかる。アイドルってすごいわ」
「元気もらえるよねー」
かくいう俺も、その余韻がまだ残っている。
物販・特典会も終わり、客がぞろぞろと帰っていくあの空気。思い思いにライブの余韻に浸りながら、はしゃいだり物思いにふけったり、あるいはSNSに何かを投稿したり。ざわざわとざわめきながら、それでも少しずつ人が減っていくあの感じが、まさしく祭りの終わりのようで。
だからこそ、楽しかったライブの思い出が痛烈に脳を焼いていく。
「次推すとしたら?」
「コレオス! つかみが良すぎた」
「わかるわー。俺はトリの純アイ」
「あれもよかった。ド王道だよねー」
ライブフライヤーを鞄から取り出して、二人で眺めながら。
コレオスは最初に出てきてキレッキレのダンスを見せてくれた。
純アイはこれぞアイドル、名前の通り。純粋なアイドル、王道を突き詰めようと結成したらしい。
「ぱすてるジャムもよかったけどねー」
「ほんと僅差」
三番手のぱすてるジャムはとにかく楽しかった。特典会でも明るく楽しく迎えてくれて、どこよりも笑顔にしてくれたんだ。
二人揃ってスマホを取り出し、配信サイトで今日の出演者を探してチャンネル登録。
……とはいうものの。
「でもやっぱ、まちこなんだよなー」
「なぎさはそうだろうなぁ」
かく言う俺だって、まちの見せてくれた新しい一面には驚いた。感動したって言ってもいい。
素直な子だから、「私には別に関係ない」という言葉に嘘はない。まちの中に得体の知れない衝動があって、それが暴れ出す日が来るかもしれない、なんて心配は無用だろう。
でも、そういう顔を作られる、ということ自体をそもそも知らなかった。
「お待たせしました、ウーロン茶とジンジャーエールです」
「ありがとうございます」
まずはドリンクが届き、数分後にポテトと刺し盛りが届いた。テラテラと光るポテトフライに、瑞々しく艶めく刺し身の数々。
「……今更ながら、取り合わせとしてどうなんだろう」
「いいじゃん? どっちもおいしーし」
油が後引き刺し身に影を落とすような、そんな予感。しかし細かいことは気にしないという態度のなぎさは、早速箸でポテトをつまんでくわえ込む。
「うあぃ。ほんほめふー」
「コンソメ風?」
「うんうん」
なるほど、と俺も一本頂いてみれば確かに、コンソメパウダーがまぶしてあるようだ。やはり経営戦略の一環か、そこらのファーストフードで食べるよりも若干味が濃い目であるように思う。けれどそれがまたおいしくて、数本食べた後にジンジャーエールで流し込むのも癖になりそうだ。
「これ、『飲み屋』って言われるのわかるな」
「ねー、進むわー」
ウーロン茶をぐいっと呷るなぎさも、その爽快感にすっかり夢中だ。そういえばウーロン茶は油を分解する効果があるらしい。爽快感も一入だろう。
そういえばまちは、あまりウーロン茶をそれ単体では飲まない。喉の油分が不足するということはつまり、声が嗄れやすくなるということ。いろいろと考えてるんだなぁと、今更ながらに気付かされる。
飲むなら今のなぎさのように、油分や水分を補いつつだ。
「刺し身もイケるぅ。やっぱ赤身だよね」
「サーモンは白身だぞ」
「またまたぁ」
ケタケタと笑うなぎさには気の毒だが、事実だ。
続いてマグロをつまむ。それがいわゆる赤身っていうものだ。
「こっちのブリも赤身」
「いやいや、白いじゃん」
「マジなんだよなぁ」
「……嘘じゃん」
残酷な現実に、ブリを箸でつまんだまままじまじと見つめるなぎさは、どうもそれが受け入れられないらしい。
なんとかという色素タンパク質の量で赤身白身が分かれているとネットで見たことがある。そこまでいろいろと知っているわけじゃないけれど、この刺し盛りに載ってる有名どころなんかは覚えておいて損はないと思ったのだ。
具体的に言えば、
「……おいしけりゃいーや」
「そらそうだ」
けれどやっぱり、細かいことは気にしないという態度で、なぎさにはサラリと流されてしまう。かく言う俺自身、そんなうんちくを他人から語られたところで心底どうでもいい。
駄弁りながら食べては飲み、時間はあっという間に過ぎていく。知り合って間もない俺達だけど、共通の話題には事欠かない。まちの話、ゲームの話にアイドルの話、配信の話――一時間かそこらじゃあ、到底語り尽くせるはずもなく。まちからのメッセージは、今配信中のコランダムの話が盛り上がっている中で届いた。
会計を済ませて店を出て、ほんの数十メートル。大きく手を振るまちと、女性が二人。
「おにぃ、こっちぃ」
「はいはい」
心なしか、なんてもんでもなく、見るからにテンションが高い。どうやら打ち上げが相当楽しかったらしい。隣を歩くなぎさが、そんなまちを見て身悶えている。
「すみません、妹がお世話になりました」
礼をする先、二人の女性。
コレオスと純アイの、それぞれリーダーらしき人達だった。ステージ上でキラキラと輝いていた彼女らも、夜の街で私服姿でいると、ごく普通の大人の女性で――いや、きれいな人達ではあるんだけど。
なんだか、いけないものを見てしまったような背徳感がある。
「こっちも楽しかった。またよろしくね、おにぃ」
「おにぃの話も今度聞かせてね」
にやにやとそんなことを言うもんだから、思わずまちをにらんでしまう。まったく悪びれず、にっこりと誇らしげな彼女に、なんだか毒気を抜かれてしまった。
「また誘ってやってください」
「もちろん。まちこちゃん、またね」
「またねー。気をつけて帰るんだよー」
「ばいばーい」
ずいぶん仲良くなったらしい。人懐っこいまちのふにゃりとした笑顔を見て、二人もまた笑顔で手を振ってくれた。
俺となぎさも揃って一礼を残し、その場を後にした。
「おにぃも隅に置けないなぁ」
「お前なぁ」
「なーちゃん、ありがとねぇ」
「ううん! 全然。おにぃ、やさしい」
「でしょー?」
「おにぃがなぜか広まっていく……本名忘れられてねぇか?」
「そもそもさっきの二人は知らないんじゃ?」
「あ、教えてないかも」
「まちぃ……」
「ごめんごめん。私はちゃんと覚えてるから」
「お前が忘れてたら大問題だろうが」
「あたしも覚えてるよ、衛くん」
「……どうも」
「おにぃ照れてるー」
「照れてるぅ」
「お前らなぁ」
「早く帰ろぉ。なんか、ふわふわするぅ」
「酔っ払ってんのか?」
「場酔いってやつかもね。実際あるみたいだし」
「まぁ、わからんでもないけど。なぎさ送ってからだぞぉ」
「はぁい」
「……やっぱ、優しいよねぇ」
「いや、これは普通だろ」
「そうかなぁ」
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