気を晴らす。




 推しが隣にいる、という状況も、数日経てば幾分か慣れてはくるものだ。横を見れば頬杖をつきながら、気だるげにノートを取る『なぎ。』ことなぎさの姿が見える。勉強が好きなようには見えないが、それでもサボるような様子も見られない。真面目なのか、あるいはそれもまた条件・・の一つにでもなっているのか。

 わからないけれど、気だるげな表情もやっぱりかわいい。

 さておき授業は真面目に聞かなくちゃ。前に向き直る俺の机に、ひらりと落ちるメモ一枚。

『見すぎ』

 言われてまた見てしまうのは仕方のないことだ。軽くにらみながら、いーっと、威嚇するように歯を見せるなぎさがまた、かわいくて。

『ごめん』

 メモに一言書き加えて、隣に返す。見て、にこり。

 そうだよね、授業は真面目に聞かなくちゃ。



 なぎさは見た目通りの社交的な性格で、この数日の間に多くの友人に恵まれたようである。俺がトイレに行っている間に、席がその友人に使われているなんてこともある。そんな時に「どいて」と言うのは簡単だけれど、まぁあえて邪魔することもないだろうと俺が行くのは裕二のところ。窓際半ばほどの席で、春先の日差しが実に心地良い。

 すぅすぅと行儀の良い寝息を立てる裕二は、授業中からずっとこの調子だ。非常に行儀が悪い。だから俺は、諦めてその前の席に座る男に話しかけた。

「直也、お前『なぎ。』知ってた?」

「あ? いや、知らんかったな」

「そっか。登録者十五万って、結構人気だと思ったけど、そうでもないんかな」

「まー、今時珍しいってほどでもないよな。けど、一応見てみはした」

「いいだろ?」

「ああ。ただまぁ、もうちっと盛り上がりは欲しいけどなー」

 なるほどというか、やっぱりというか。

 リアクションが素直なのは彼女の美点だけど、やっぱり多少の「わざとらしさ」みたいなものは、配信者には必須スキルなのかも知れない。盛り上がるところで盛り上がって、泣くところで泣いて、それがピッタリハマると見ている側も気持ちがいい。そんな気持ちは、まぁ俺にも理解できるものだ。

「ちなみに登録者千人は?」

「正直その時点で見ない」

「……だよなぁ」

 つまりmachicoは、彼らにとって視界にすら入らない有象無象に過ぎない。わかってたこととはいえ、ちょっと凹むよなぁ。

「誰かやってんの?」

「いや、なんとなく」

「へー」

 なんとなくだけど、まちのことを俺からあっちこっちに広めることには忌避感がある。そうしたらほんの数人でもファンが増えるかも知れないけど、なんというか、妹を売り物にしているみたいで。

 いや、実際のところアイドルだの配信者だの、芸能人だの、極論すれば売り物なんだろう。商品なんだろう――ってのはわかってるつもりだ。

 でもやっぱり、それを俺の方から声にしたくはないよなぁ、というただのわがままで。

「でもまぁ、千人まで来たら結構きっかけ次第って気はするけどな」

「そうなん?」

「十パーくらいらしいぞ?」

「マジで? 上位じゃん」

「まぁ、上澄みの数字が大きすぎて霞みがちってこったな」

 なんだ、それでもやっぱり、まちこは頑張ってるんだな。少し安心した。

 この間のライブだってすごかった。歌もダンスも、それから笑顔も。肉親のひいき目抜きにしたって、そんじょそこらのアイドルじゃ太刀打ちできないだろってくらいだった。だからこそなぎさだってあんなにも夢中になっているわけで。

「……やっぱ、邪魔だよなぁ」

「はぁ?」

「いや悪い、なんでもない」

 もったいない、という気持ちが拭えない。きっかけ次第、何かがあればまちこはきっと人気者になれる。

「あ、席空いたな」

「おぉ。つーか、相変わらず放課後は遊べねぇの?」

「週イチくらいなら遊んでただろ」

「少ねぇよ」

「家事は溜まり始めるとあっという間なんだよ。あと裕二起こしとけよ」

「眠いんなら寝かせとけ。優しさだろ」

「どうでもいいだけだろーが」

「はっは」

 否定しろよ。

 呆れながら席に戻ると、なぎさに「ごめんね」と謝られた。「全然」となんでもないふうに答えたけれど、座った椅子がちょっと温かくて、本当はちょっと気まずい思いをしていました。申し訳ない。



 進級して数日、これがこのクラスでの俺の日常。推しが隣にいて、去年からの友達にも恵まれて、なかなかに楽しい学校生活を送れている。

 とはいえやっぱり、推しとは仲良くやっていきたいもので、なんならもっと妹とも仲良くなってもらいたいもので。

 すっかり元気になったまちに相談してみれば、「なーちゃんなら」と快諾を得られた。

 そんなことを放課後、教室を出ようとするなぎさを呼び止めて提案してみたら、言葉を失ってしまったのであった。

「差し当たってはバイキングにでも行こうかなと」

「……ばいきんぐ」

 だめだコイツ、衝撃の余りバイキングの意味さえわからなくなっている。

「……ってか、いつまでもそれじゃ、なぎさも嫌だろ?」

「ま、まぁ、そりゃそうだけど。そうだけどぉ」

 もじもじと胸の前で指を絡めるなぎさはかわいいが、心を鬼にするんだ。

「人見知りとかコミュ障ってわけでもないんだからさ、あとは慣れだろ」

「慣れ……でも」

「時間が足りなかったんだって。たまに行くライブの物販だけ、だろ?」

「うん、月イチ。幸せだったぁ」

「せめて週イチくらいは会おうよ。まちも、なーちゃんならって言ってるしさ」

「週イチ……でも、これからはライブも欠かさず」

「まちは他の子と比べてずいぶんライブの頻度が低いみたいじゃん」

「そうなんだよねー。でも、それでも月二くらいは」

「違う違う。慣れっていうなら、頻度より時間」

「……一緒に食事するくらいの?」

「そう。一緒に食事するくらいの」

 口答えを許さず、いっそ詰めるくらいの勢いでなぎさを追い込めば、段々と姿勢が前向きになっていくのが見て取れる。そりゃそうだ、元々推しで、好きなんだから。仲良くなりたいという気持ちが、ないわけがない。

 推しには認知されたくない、みたいなファンもいるらしいけど、どう考えたってなぎさがそうだとは思えない。

 逡巡すること数十秒。なぎさは意を決したように俺を見て、「よし、いこう」と意気込んでみせた。

 肩からぶら下がるスクールバッグをかけ直し、張り切って教室を出るなぎさを、俺は追いかけるように歩き出す。


 学校の正門を待ち合わせ場所にして、俺達は揃って商店街に向かった。

 まだこの町の付近にはショッピングモール的なものはなく、だからこそまだまだ多くの個人商店が軒を連ね生き残っている。小さなスーパーはあるけれど、なんとはなしに住み分けができているというか。

 だから今日もそこそこに賑わっていて、夕食の準備をする人であったり、買い食いをする学生であったり、見ているだけで購買意欲がそそられる。

 店先でコロッケを揚げる香り。卵焼きから立つ湯気。艶めく鱗が光る魚たち。瑞々しさで弾けそうな野菜、果物。

 ああ、いかん、これから食事に行くってのに。

「あ、あの、ふ、たりとも」

 俺の右隣を歩くなぎさが、俯きがちながらもちらちらと俺達を窺いながら。左隣を歩くまちが「なぁに」と返せば、なぎさはまたも俯いてしまう。しかしそれでも、

「お、おかね、だいじょぶ?」

 と、はっきりと口にした。

 確かに、この中で誰が一番稼いでるかといえば、間違いなくなぎさだろう。家賃を自分で払い、ライブにも欠かさず行こうって言うくらいだから、それ相応の収入があるのは間違いない。

 けれど、だから俺達が貧乏ってことにはならないわけで。

「うちの両親が結構多めに仕送り……仕送り? してくれてて、残りは全部二人のもんだーって言ってくれてるんだよ」

「で、おにぃが全然ぜいたくしないで全部自分でやっちゃうじゃん?」

「……つまり?」

「軽いバイトしてるくらいのヤツより、よっぽど持ってると思う」

「私も一応黒字ではあるし!」

 そんなわけで、金銭面の心配は無用である。というか、それならなぎさを誘うにしたって別の場所を選んだだろうに。

 それはそれとして、彼女の優しさを感じたから、「ありがとう」とだけ言っておく。

「ごめん、なんか、見当外れな心配」

「むしろなーちゃんが心配だよ。グッズとかCDとか、いっぱい買ってくれるし」

「それは大丈夫!」

 妙に力の入った声に驚いて、兄妹揃って視線をやれば、縮こまってしまうなぎさ。耳まで赤くて、その愛らしさににやにやとしてしまう。

「家賃とか、と、いっしょだから……」

 そう豪語するなぎさに、笑顔が引っ込む。

 アイドルのグッズ・CDが、生活における必要経費。そこまで言ってのけるんなら、まちこのために引っ越してきたという言葉にも一切の誇張がないのだとわかってしまう。

「ありがとねぇ」

 そんなトンデモな発言にも、笑顔でお礼が言えてしまうまち。普段から様々な猛者を相手取っているとわかる、実に堂々とした礼である。

 もしかして、もしかしなくても、住む世界が違うってやつだろうか。

「うぅ、来てよかった……」

 早いって。まだ店にも着いてないって。

 と、思ったところで商店街が途切れ、バイキングのお店はそのあとすぐに見えてくる。

 外食なんて滅多にしないもんだから、どうにも、柄にもなくワクワクしてしまう。まちもなんだか楽しそうにしているし、なぎさはまだまだ表情の堅いままだけど――なんとなく、身体の硬さが取れてきたような。

 きっとこの食事で、仲良くなってくれるだろう。開く自動ドアに、なんとなくいい予感を感じながら。




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