推しは一人暮らしである。





 まちの疲れはどちらかと言うと精神的なものであり、家族水入らずで過ごすことで少しだけ軽減される。俺が寝てる間に勝手に潜り込んで、それを水入らずと言っていいのかはわからないが、なにはともあれである。

 朝食を二人で食べて、がんばろうと頭を撫でると、まちは元気に玄関を飛び出した。

「今日から授業開始だね。おにぃって成績いいよね」

「まぁ、それなりに」

「わかんなかったら教えてねぇ」

「正直全然心配してないぞ」

「一応だよ、一応」

 そもそも中学時代から、まちは学年でも上位の成績を残していた優等生だ。アイドルをやっている分俺より少しばかり下にはなるけど、それでもそれを加味すれば優秀すぎるほど。

 いい成績をとるコツは、授業をしっかり聞くことだ。ノートを取ることとイコールではないので注意されたし。

「高校って結構一気にレベル上がるんじゃないの?」

「中学しっかりやってなかったらそう感じるかもな」

「そっかぁ。じゃあ、大丈夫かなぁ」

 しっかり寝てしっかり起きて、しっかり食べるまちは心配いらない。授業中に寝るような子じゃないんだ。

「それはそれとして、勉強は一緒にしよう」

「まぁ、時間が合えばな」

「合わせるの」

「はいはい」

 きゃいきゃいと隣でわめく妹を軽くあしらいつつ、通学路を歩く。夜と同じく、朝もまだまだ冷える。学ラン一つじゃ少し寒いなと身を震わせると、まちが腕に絡みついてくる。

「そういうの、外じゃやめよって話しなかったか?」

「寒そうだから。私もちょっと寒いし」

「っつーか、お前は友達に見られてもいいの?」

「いいよぉ。皆、私がブラコンだって知ってるし」

「……開き直るなよ」

 さすがは兄萌えを公言するアイドル。ブラコンを自称することに一切の迷いがない。潔し、でも、良いことではないぞ。

「あー、まだちょっと、疲れてるなー」

「お前なぁ……」

 いっそ清々しいほどの棒読みで、まちはにこやかに俺を見る。

 まぁ、俺も大概だ。

 かわいい笑顔でそんなふうに言われたら、好きにさせてやることしかできないんだから。



てぇてぇ」

 教室に着いて席につくと、隣の席の女の子が開口一番そんなことをのたまう。頬杖をついて気だるげなその子は、組んだ脚をこちらに向けてなんとも扇情的な太ももを晒していらっしゃる。それでも下着は少しも見えていない辺り、女の子ってのはそういう加減を習得しているものなんだろうか。

 俺のそんな彷徨う思考と視線を断ち切るように、少女は――郡山さんは同じ言葉を再び繰り返した。

とうとい……」

「見てた?」

「うん。すごいよね、人目もはばからず」

「まちが言うこと聞かないから」

「振りほどいたりしないんでしょ」

「かわいそうだろ」

「……そうだよね」

 何を当たり前のことを言うんだろう。

 首を傾げる俺を、どうしてか生暖かい目で見てくる推しの視線が、不思議と不快だ。

 とはいえあまり掘り返してほしくない俺は、話題を探す。幸いというかなんというか、相手は推しであり、話したいことは余りある。

「あ、そういや昨日の配信見逃した」

「いつもの雑談枠だよ。パリナイの振り返りしたり、次のゲーム探したり」

 一本ゲームをやりきった翌日、そういう雑談の配信枠を設けるのは『なぎ。』恒例の、いわば配信スタイルだ。

「決まった?」

「決まった。でも、アーカイブ見てね」

「……商売上手め」

「はっは。でも、見てくれるんでしょ?」

「まぁ、見るけど」

 悔しいかな推しの配信を見ないという選択肢はない。昨日は、疲れているまちの様子が気がかりで、眠るまで話し相手になっていた。結局途中で起きてあの有り様だったわけだが――それはたぶん、目の前の子には言わないほうがいいに違いない。

「でもなんだかんだ、諸々の家事終わらせると意外と時間ないんだよなぁ」

「そっか。家事は遠野くんのお仕事なんだっけ。偉いよねー」

「普通でしょ。他にやる人もいないんだから」

「他にやる人がいなくても、手を抜きがちな人間がここにいますが?」

「……まぁ、作ってやる相手がいるから」

「慰めになってないよー」

 お前にはいないもんな、と言ってるようなもので。確かに、言葉選びに失敗したようである。

「って、引っ越しって一人で?」

「そりゃそうだ。推しのライブに行きたいから皆で引っ越そうよ……って、無理でしょ」

「確かに」

 それに付き合ってくれる家族がいたら、いい人を通り越して変人だ。

「家賃くらいは自分で払えるようになったらーって、そういう条件で」

「へぇ。家賃って、でも結構するでしょ。すげーなぁ」

「まぁ、頑張ったよ。頑張った甲斐あった。なんかもう、スマホ見るたびに泣きそうになってるもん」

「ライン、なんか連絡した?」

「まだ。怖い」

「まちは怖くねぇよ?」

「今遠野くんが怖いよ」

 さておき一人暮らしの郡山さんは家事に困っているとのことなので、「気軽に相談してね」とわざわざラインを起動してトークを送ってみる。

 それを面白がるような笑みを浮かべ、届いた返信は、なんとあの『パリナイ』のラインスタンプ。グッジョブ、とキャラクターがサムズアップをしている。

「買ったの?」

「買ったよ。やったゲームのスタンプあったら、大体買ってる」

「すげー。配信者の鑑だ」

「だろー? 使う機会があんまりないけど、遠野くんならどれでもいけそう」

「ほとんど見てるから、大体わかる。何なら、結構買ったソフトも多いよ」

「いーねぇ。そのうち、マルチ対応のやつ遊ぼうよ」

「……配信外で、だよね?」

「さすがに配信にのせないよ。あたし、配信してなくても普通にゲーム好きだし」

「それはなんとなくわかる」

 いくら配信用にリアクションを作ってるっていっても、ああまで感情表現が豊かだと、とてもじゃないけど嘘とは思えない。オーバーって意味じゃなく、とにかくリアクションが素直なんだ。

 こっちがめちゃくちゃ笑うシーンでも、彼女に刺さっていないとクスリとも笑わない。逆もまた然り。それが逆にリアルで、それが彼女の人気の秘訣でもあるように思える。そしてあるいは、それ以上を伸び悩んでいる理由でもある、という気もしている。

「それともうちくる?」

「無理」

「身持ちが堅いね」

「……いや、逆だろ」

「あはは」

 明るく笑う推しが、なんて眩しいんだろう。

 こうも緊張せずに話せるようになったのも、考えてみればまちのおかげか。あいつの前でまったくの別人になってしまう郡山さんを見て、逆に緊張が解けてしまった。まちも言ってたっけ、自分より緊張してる人を見ると緊張が和らぐって。ちょうどそんな感じだ。

 時間が経つにつれ、教室の中がざわざわと騒がしくなってくる。朝のホームルームまであと十分ほど。ほぼほぼ満席の教室内は、小さな声はかき消えてしまいそうだ。

 ラインに通知。見ると、マップが表示されていて。

「一応、教えとこ」

「えぇ……いいの?」

「一人暮らしだと色々不安もあるしさ。なんかあったら、連絡していい?」

「そりゃもちろん。……Gくらいは自分で処理してよ?」

「さすがにそこまでじゃないよ。漫画じゃあるまいし」

 結構よくあるシチュエーションだから、ほら。

「入居前に業者に頼んで害虫駆除、してもらったしね。あとは清潔に保つだけ」

「へー。じゃあ、家事を手抜きしないほうがいいね」

「……ソウネ」

 とぼけた声を出す郡山さんを笑うと、応えるように彼女も笑う。

 なんとなくごまかされた気がしなくもないけど、それはそれでいい。

 それにしたって楽しいんだ。推しとはいっても、やっぱり同年代の女の子。話が合えば楽しく弾んで、弾みに笑顔もこぼれてくる。

 朝のホームルームまでの時間は、あっという間に過ぎていった。



 余談ではあるけれど、途中で話に加わった裕二の「オムライス美味かったわー」の一言に、凄まじい形相を浮かべる郡山さんが面白かった。

 ごほうびアイスのことを知ってるんだったら、そりゃあもちろん、大好物のオムライスのことだって知っていて不思議はない。

 それを語るまちこの様子まで克明に浮かぶようだ。

 ぐぬぬと悔しがる郡山さんには、今度お菓子でも作って持ってきてみようか。

 関係的にはまだまだ知り合って間もないオトモダチ。でも、まちの好きなやつを作れば、喜んでくれそうなんだよなぁ。

 ホームルーム中、そんなことばかり考えていたら、いつの間にやら終わっていたりしたけれど。

 そんなものは余談に過ぎないのである。




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