妹の距離感。




 約束通り午後五時にやってきた裕二は、ひとしきり三人で遊んだあと、リビングでスマホ片手に時間を潰している。現在時刻は午後六時。

 漫画やなんかだと妹の相手をしてもらうところだが、あいにくと彼は俺の友達であり、妹の友達ではない。まちは今頃、部屋でアイドルとしての勉強をしているはずだ。

 そして俺は料理に忙しい。三人が各々、好きに過ごしている。それもまた、友達の在り方ではないだろうか。……うん、まぁ、お構いもできませんで、申し訳ない。

 しかし彼は遊びに来たのではなく、飯を食いに来たのだ。だからこれでいいのだ。と、自己弁護を繰り返しながら料理を進めること三十分弱。

「よし。悪い、まち呼んできてくれるか」

「俺が? え、おかしくね?」

 おかしいけど、手が空いてるのがお前しかいねぇんだよ。という言葉を視線に込めれば、不承不承といった風情でリビングを出た裕二を見送り、盛り付けを始めた。

 そしてそれが終わる頃に降りてきたまちに配膳を頼み、午後六時半、友人を招いた夕食会が始まる。

「え、すっげ、なにこれ卵つるつるじゃん」

「でっしょー? おにぃのオムライスすげーんだよ」

「口悪いぞ」

「お前が言うなよ」

 確かに。

「これをナイフで割る瞬間がたまらないんだよ」

「ほぉ」

 言いながらナイフを滑らせるまち。口元がほころんでいて、非常にかわいらしい。それにならう裕二の口元も同様で、非常に気色が悪い。

 オムレツを開くと、とろとろとした中の半熟卵が静かに広がる。チキンライスをすっかり覆い隠し、湯気を立てる黄色が食欲をそそる。うん、我ながらいい出来だ。

「おぉ……店のじゃん。これ洋食屋のじゃん」

「ねー。たまんなぁ」

 そしてその上からケチャップをかけ、ナイフをスプーンに持ち替える。すくって、口に入れ、三人揃って静かに味わえば。

「うんま、やべぇ、ガチじゃん」

「うんうん、相変わらずおいしぃ」

「ちょっとマヨネーズ多すぎたか。味がちょっと残りすぎだな」

「いやいや、お前……マジでガチだったんだな」

「何言ってんだお前」

 マジでガチ……まったくわからない。

 ただ、褒められてるのはわかった。照れる。

「こっちのサラダもいけるし。なんなんお前」

「ツナとかいわれと玉ねぎを、ごま油と醤油とすりおろした生姜で和えただけの簡単サラダだ」

「発想すら浮かばんわ」

「レシピサイトで覚えたのをそのまま使ってるだけだぞ」

 オムライス、付け合わせで検索したら出てきたものだ。

 そもそもオリジナルの料理を作れるほどの発想力はないし、するにしたって若干のアレンジを加えるくらい。そのアレンジも、すべてまちの好みに合わせたものしかできないわけで。

「足りなかったらチキンライスだけなら余ってるぞ」

「おお、まぁとりあえず食い終わってからな」

「私はこれでいい」

 それでも、二人の顔を見ていれば満たされる。やっぱり料理を作ってよかったと思えるのは、この瞬間だよなぁ。

 なんとなく、まちに初めて料理を作った時のことを思い出す。

 俺が小学校に上がってすぐ、まずは父さんの海外赴任が決まった。その一年後、つまりまちの小学校入学後すぐに母さんの出国も決定されてて、まぁまちは泣きに泣いたわけだ。その頃はまだ「俺がお兄ちゃんだ!」と張り切っていたから、それをなんとか安心させてやりたくて、母さんに相談した。

 じゃあおふくろの味っていうのを覚えてみようとなって、覚えたのはスパゲッティナポリタン。当時は母さんがよく作ってくれていて、まちもそれを喜んで食べていた。

 オムライスじゃないんかい、というツッコミは甘んじて受ける。

 まぁとにかく、それを作ってみたけれど、最初はひどいもんで。ケチャップを焦がすわ、コーンは焦がすわ、その癖ソーセージが少しばかり冷えたまま。「苦いぃ」なんて顔をしかめたまちに、少しだけふてくされてしまったんだ。

 そんな俺のふてくされた顔を見て、まちは笑った。

 苦くて甘い、幼い思い出だ。

 すっかり失敗なんてしなくなったけれど、笑った顔を見た時の喜びは当時のまま、飽きることがない。

「なんか兄ちゃんめっちゃ見てるぞ」

「……あれは何か懐かしんでる時の顔だね」

「さすが妹、鋭い」

「おにぃはああいうところがおじいちゃんそっくり」

「うるせぇな」

「口悪ぅい」

「悪ぅい」

「お前ら……」

 鋭い妹に慄きつつ、うざい二人にうんざり。ともあれ食事はそんな感じでにぎやかに進み、結局チキンライスもすっからかんに。裕二の食べっぷりに、作った側としてはなんとも大満足である。

 日も暮れてすっかり真っ暗な町の、明るい玄関先で靴を履き、裕二は「じゃあな」と笑った。

「美味かったわ。えっと、まちちゃん? も、邪魔して悪かったね」

「楽しかったよー。またきてねー」

「おぅ」

 軽快に手を振り、玄関はパタリと閉じられた。

 静かになった上がり框で、まちは静かにため息をついた。踵を返した先のリビングでホットミルクの準備をしながら、席についたまちはなんだかぼうっとしている。

「疲れたか?」

「ううん。楽しかったよ」

「意外に気ぃ遣いだもんなぁ」

「そんなことないもん」

 妹はよく、距離感が近いと言われる。それはスキンシップが多いとかそういう意味じゃなく、精神的な意味だ。人懐っこくて誰にでも笑顔で話ができる、明るい女の子。

 間違いじゃない。その通りだ。……それで痛い目を見た中学生男子が、一体何人いたことやら。

 そんな調子で数ヶ月過ごすと、まぁ勘違いもするもので。まちに告白した男子は両の手で数え切れない……らしい。

 でも、よくよく見てるとわかるんだよな。人懐っこく笑顔で話していても、物理的な距離が一切縮まっていない。肩を叩かれた、みたいなことすらなかった男子も多かったんじゃなかろうか。

 それでも、裕二と話すのが苦痛だったなんてことはなく、楽しかったという言葉に嘘もない。

 出来上がったホットミルク。バニラエッセンスと砂糖と、ほんの少しのレモン汁の入った。まちの前に置けば、ちびちびと飲んではため息をこぼした。

「おいしい」

「そっか」

 横に立ったままその頭をぽんぽんと撫でると、「うぅん」と微妙な声。

「今日はなしか?」

「……あり」

 そっか、とまたぽんぽん、さすさす。

 心配はしていない。まちの交友関係は広く、けれど決して浅くはない。アイドルなんてやってるくらいだから、自分を出すのが苦手というわけでもない。俺なんかよりよっぽど社交的で、うまいこと社会を生きていると思う。

「ちょっと頑張りすぎたか。ごめんな」

「だいじょぶ」

 でもそうだな、ほとんど知らない人と食事をとるってのは、それなりの「頑張り」だ。ライブのために頑張って、ライブを頑張って、翌日にこれじゃあ、確かに頑張りすぎだ。

 反省しなくては。

「それに、食卓はにぎやかがいいって言ったのまちだし」

「それはそうだな。反省しろ」

「……今日はおにぃのベッドで寝る」

「蹴り落としてやる」

「朝まで泣く」

 反省はまぁ、軽くでいい。結局のところまちが心を休められるのは家族の前だけで、だから俺は軽口を叩いているくらいが一番だ。

「……本気じゃないよな?」

「違うよ!」



 ちょっとだけセンチなまちという珍しいものを見た翌朝、彼女がベッドに潜り込んできていたのを発見。思わず蹴り落としそうになったのを寸でのところでこらえた。

 すやすやと気持ち良さそうに寝ているものだから、またも回想シーンに入ろうとしてしまうのをなんとか自制する。

 幼児返り、なんて深刻なものじゃなく、まぁたまに家族に甘えたくなる日ってのが誰にでもあるもので。疲れが溜まったまちが、ちょっとそうしたくなっただけだろう。

 とはいえゆっくりはしていられない。壁際に寝ていた俺が、なんとかまちを起こさないよう慎重にベッドを降りようとしたところで、それを察したように脚にしがみついてくるものだから――

 膝、はさすがにまずいと身体をひねった結果、見事妹に覆いかぶさる形になってしまった。その衝撃で目を覚ました妹は、目をしぱしぱと瞬かせた後、俺の額に手を当てる。

「熱はない……おにぃ、疲れてるの?」

「……そうだな。今、どっと疲れた」




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