パーティナイトに夢を見て。




 そして今、祝祭が始まる。

 暗闇を照らす極星のように。影を払う月のように。

 暗から明へ、カットインと共に駆け出てきた白い衣装の『machico』が歌う。

 これぞアイドルソングという王道の、前向きなアップテンポナンバー。人生を楽しもうとエールを送る、見る人聞く人を元気にするような。

 ああ――これがまちじゃない、まちこか。

 俺がいるのに、俺を見ていない。誰も見ていない。皆を、見ている。

 それなのに、俺だけを見ているような錯覚すら覚える。矛盾しているようでしていない、その絶妙な感情表現。

 笑顔は朗らかに、声色は高らかに、その身を軽やかに躍らせて。

 色とりどりのライトが、その彩りを多様に変えながらステージに華を添える。

 やっぱ、おかしいだろ。

 これが、この夢みたいな光景で、『お小遣い程度』? ありえない。

 ペンライトを振ることさえ、歓声を上げることさえ忘れて、ステージの上を眺めている。目の前で熱狂する観客を隔てて、まちこが遠くに見える。

 隣で推しが、同じように熱狂しているのに。俺はどうしても、同じようにはできなかった。


「一曲目『まちこがれ』でした!」

 一曲目が終わり最初のMCへ。まだ少し呆然としているけれど、トークになれば少しだけ、『まち』が戻ってくる。なんとはなしに感じる安堵を、俺は表に出さないように飲み下した。

 にしても、『まちこがれ』か。タイトルといい曲調といい、歌詞といい、まさに『まちこ』のライブ一曲目にふさわしい。

 なんかこうなってくると、CDの一つでも買ってやりたくなってくるな。

「さてじゃあ、恒例のあのコーナー、行ってみよう!」

 なんのこっちゃと首を傾げるが、周りの観客は郡山さんも含め、沸きに沸いている。

 マイクをぎゅっと左手に持ち直し、右腕を上げ、その人差し指で天を指す。

「今日のおにぃ」

「ぉぉい!」

 思わずつっこんでしまったが、歓声に紛れて幸い目立つことはなかった。

 おかしいだろ、アイドルの最初のMC、最初のトークテーマがそれって、おかしいだろ。

 だが、この場においておかしいのはどう見ても俺のようだ。肩に置かれた手、その主を見れば、「いいんだよ、わかってるよ」と郡山さんが理解者ヅラで俺を見ていた。

 推しだけど、ぶん殴ってやりたい。……や、暴力はダメだけど。

「今日のおにぃはねぇ、朝からそわっそわだったよ。『大丈夫か? 疲れてないか? 甘いもの食べるか? 準備ならしてやるから、ほら座ってろって』……自分より緊張してる人見ると、緊張和らぐよね」

 どっと笑いが起こる。

 どっと疲れが肩にのしかかる。

 さっきの圧巻のパフォーマンスから、とんでもない落差で風邪を引いてしまいそうだ。

 あまりにも似ていない声真似が、俺の羞恥を助長する。にやにやと俺を見る俺の推しが、イライラも助長するんだ。

「ライブのある日はいつもそんな感じなんだけどねぇ、今日はちょっと事情が違ってー」

 ぎくりと跳ねる胸。思わずステージ上のまちをにらみつけるが、客席側はほとんど暗闇だ。当然ながら彼女は俺に気づかない。

「あ、これは言わない約束なんだった。なんでもないよ!」

 これはなんというか、もう遅い気がする。「おにぃが来てるんじゃ」と、辺りをきょろきょろ見渡すお客さんもいるくらいだ。

「おにぃは今日もおにぃでした! まる!」

『いぇー!』

 いや、その歓声はマジでわからん。

 とにもかくにも、非常に独特な世界観でライブをやってることはわかった。

「では次の曲は、そんなふうに近しい人への感謝を歌った歌です。『Thank you Any』」

 エニーとあにーがかかってるってか。やかましいわ。

 ――そして暖かな色彩から、温かな声色が。穏やかな身振り手振りが。

 その珍妙な空気を一度に払拭して、涙が出そうなほど優しい世界を作り出す。

 高低差に振り回される、ジェットコースターのようなライブ。それこそがまちこの醍醐味。あるいはそれは暴力のようで――

 すべての曲が終わる一時間が経つ頃には、心身ともに疲れ切ってしまっていた。


 これから物販が始まり、グッズの販売やら撮影会――チェキ会が行われるらしい。

 CDだったり、まちこがプロデュースしたオリジナルの小物だったり、色々と置いてあるみたいだ。

 とは言うものの、なんというか、せっかくだからチェキ会ってのに参加してみようと列に並んでいる。俺の前には郡山さんも並んでいて、列が進むにつれそわそわと落ち着きを失っていくのが見て取れる。

「……大丈夫?」

「だ、だだいじょ、ぶ」

 大丈夫じゃなさそうだ。

 俺と彼女の関係も、いわば彼女とまちこの関係と同じようなものだ。多少キモいところは出てしまったものの、こうまでテンパったりはしなかった。こうなってくると、俺の「好き」が足りないんじゃないかとすら思えてしまう。

 列はさらに進み、ついにやってくる郡山さんのターン。

「あ、なーちゃん! 来てくれたんだぁ」

「は、あい!」

 後ろにおにぃもいるよ。

「ポーズ、どしよっか?」

「あ、あの……」

「ゆっくりでいいよ。何でも言ってぇ」

 しっかりアイドルモードのまちは、そんな挙動不審にも引いたりしない。さすがというか、やるもんだと後ろで感心していると――引っ張られる腕。たたらを踏むように前に進み出た俺は、まちこの隣に並ばされた。

「え、お……客さん?」

「この人と、えと……はさまれたい!」

「えぇ……」

 何言ってんだマジで。わけわからん状況に混乱している俺をよそに、まちこは俺と郡山さんを交互に見てにんまり笑顔。悪い顔だ。

「じゃあ、お客さん、お願いしていいですか?」

「え……まぁ、それくらいなら」

「や、やた、言えた」

 違うだろ。何やりきった感出してんだ、謝りに来たんじゃないのかお前。

 そんな文句を口にする間もなく、状況は俺をよそに着々と進んでいく。棒立ちの俺、ピースサインのまちこ、そしてその間に縮こまる郡山さんことなーちゃん。

 スタッフがカメラを構え、ぱしゃり。

 ……俺、一体何をしてんだろう。

「お客さん笑顔硬いなぁ。もっかい撮っとく?」

「客に求めすぎだろ。張り倒すぞお前」

「お客さん口悪いなぁ」

 おっと、ついいつもの癖で。

 と、そこで何やら他のお客さんがざわつきはじめた。

 そりゃそうか、推しのアイドルに暴言を吐く男に反感を抱くのは当たり前だ。頭を下げてこの場を抜け出そうとしたところを、当のまちこに止められて。

「よく聞いて」

「はぁ?」

 仕方ないとそのざわめきに耳を傾けてみれば。

「あの口の悪さ」「でもところどころ感じる気遣い」「何よりまちこのあの安心しきった顔」「もしかして」「もしかしたら」

 この人達怖い。察しが良すぎて怖い。

「おにぃがなーちゃんのお願いを聞いた時点で、もう運命は決まっていたのだ」

「……お前、わかってて」

「わはは。こんなチャンス、私が黙ってスルーすると思ったかぁ」

 殴りたくなるかわいいドヤ顔の我が妹に頭を抱え、俺は待ち構える運命に身を任せることを決めた。こうなってしまっては致し方ない、とことんまでも付き合ってやろうじゃないか。

 まちこのチェキ会・withおにぃ。開幕である。

 ……マジでこのライブ、世界観が全然わかんねぇ。



 それからまちこの着替えを待ち、ライブハウスの入口で合流した俺達は、早速駅に向かって歩き始めた。

 春爛漫、暖かくなってきたとはいえ、夜風が少しだけ身に刺さる。熱気を飛ばすような暗がりの冷やかさに、なんだかため息が漏れる。

「そっか、なーちゃんがあの『なぎ。』さんだったんだ」

「そ、そです。あの、ごめんなさい、この間」

「いいよぉ。なーちゃんだったらむしろ納得」

「いつもこんななのか」

「うん。今日はおにぃがいるからまだマシかも」

「えぇ」

「だって、だって」

 自分が発端で奇妙なチェキ会になってしまったことを、深く反省しているようだ。すっかり縮こまってしまった郡山さんが、あの『なぎ。』であることが信じられない。

 けれどそれも彼女の、一つの顔。よくよく見てみると、本当にうれしそうにしてるんだ。うれしくて、舞い上がって、こうなってしまってるんだ。

「今日、来てよかったよ」

「ほんとぉ?」

「まち、すっげぇかっこよかった」

「えー、そんな、珍しいなぁ」

 本当に思ったんだけどなぁ。

 そりゃあ変な世界観で、ちょっとついていけない部分はあった。何なら時間の半分くらいはよくわからんかった。

 でも、パフォーマンスは本当にすごかったんだ。歌も踊りも、表情の作り方さえも。一つ一つが洗練されていて、ああ、努力したんだなぁと伝わってくる。頑張ったんだなぁと泣きたくなる。

「今日はごほうびアイス、食べるか」

「ほんと!? やったぁ」

「……おにぃのごほうびアイス……!」

 横で何やら目を輝かせている郡山さん。なぜ知っている、という疑問すら、もはや抱かなくなってしまった。

 ごほうびアイスとは! ……読んで字の如くだ。

 幼い頃から、何かあるたびに作ってやっていた。幼い頃から続く慣習みたいなもので、レパートリーが増えた今でも、それは特別な味になっている。

 牧場のネット通販で買った牛乳と生クリーム、それからバニラビーンズも加えて。

 喜びにテンションゲージを上げたまちは、そして大技を繰り出すのだ。

「あ、なーちゃん、ライン交換しよ」

「え!? え、ちょ、え、そんな」

 効果は絶大。ものすごいダメージだ。

「落ち着け。よければ、だから。推しとそういうのは、って言うなら」

「する! する、から」

 まぁでも、これに関して言えば過剰反応とは言えないよなぁ。推しとプライベートで繋がるって、なんというか、良くないことをしているような背徳感すら覚えてしまう。

 差し出されたスマホのQRコードを、震える手、震えるスマホで読み取る郡山さん。よかったな、読み取る精度が高くて。

「よし。じゃあ、また学校でね」

「う、うん。……また、ね」

「おやすみ」

 ついでに俺も、推しとライン交換してしまった。

 画面上に表示された、『なぎさ』の文字になんだかにやにやしてしまう。後ろを振り返れば、同じようにスマホを見ながらにやにやしている郡山さんがいて――

「わ、私も」

 なぜか対抗意識を燃やしたまちが、スマホを見てにやにやしていた。





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