#37


 美逢みあちゃんが閉めきらずに出ていったドアの隙間から明かりが漏れている。

 茶の間か客間だろうか、耳を澄ますとなにやら三人の会話が漏れ聞こえてくる。


 俺は細心の注意を払いながら書斎を出て、忍び足で廊下を滑るように移動して客間の襖に近付く。

 そこまで進めば、室内で三人が会話している内容がはっきりと聞き取れた。


「見つからなかったんでしょー?」

「それはお前らも同じだろう」

 あずささんの見透かしたような物言いに美逢ちゃんが吐息を含ませながら答えている。

 

「一昨日ずいぶんと丹念に探してたお嬢が見つけられなかったんだから、書斎にはないのかもねー」

「わたくしを盗人みたいに言わないでください、人聞きの悪い。鷲見すみさんこそ熱心に悠誠ゆうせい様の身体中を探り回ってらっしゃったではないですか」


 昨日の夜中に薬で眠らされた俺の身体中を梓さんが物色していたのか。

 身体中とはどこからどこまでだろうか。意識がないことを良いことに、とんでもない辱めを受けていたらしい衝撃にうっかり声が漏れそうになる。


「なんで覗き見してんのよ。盗人じゃなきゃ覗き魔じゃん」

「破廉恥な格好で肌を見せびらかす露出魔に言われたくありません」

「お前ら二人の歪んだ性癖などどうでもいい。そこまで探した上で、いまだにこっちでも探し回っているということは、……見つかってないってことだな?」


 静かな罵声の応酬を美逢ちゃんがばっさりと斬り捨て、核心に触れる質問を飛ばす。

 なるほど、添い寝当番ではない二人は書斎以外の部屋を家捜ししていたのか。


 そういえば梓さんが台所をやけに把握していたし、美逢ちゃんは戸棚にカステラがあることを知っていた。どこかに仕舞っていたうちわまで引っ張り出してもいた。

 どうして疑問に思わなかったんだ。思い当たる節ばかりじゃないか。


「今日いらっしゃった魚住うおずみさんですが、おそらく――」

 当たり前だが愕然とする俺を待つことなどなく、美逢ちゃんの質問には答えずに華詩子かしこさんが話題を変える。

「イヌだろうねー」

 室内の様子はわからないが、話題を変えた華詩子さんの言葉尻を取って梓さんがさらりと言ってのける。


 イヌ。親父が組織犯罪対策課の刑事だったおかげで聞き覚えがあった。

 ヤクザ用語でイヌとは刑事のことを指すはずだ。つまり、三人は魚住さんの職業を見抜いていたのだ。


「なにかを嗅ぎつけて来たのかと思ったが、ゆうせーの知り合いだったみたいだな」

「気が付いてないフリはしましたが、アチラは一目で見抜いていたようですね」

 あの、おしぼりを投げつけるようなふざけた押し問答の最中、三人ともがそこまで考えて動いていたなんて。背筋が薄ら寒くなってしまう。


「……ひとまずさ、情報の共有をしない?」

 室内でどんなにらみ合いが行われたのか、しばしの沈黙の後、大きく息を吐き出してから梓さんが提案を持ち掛けた。


 情報の共有。つまり、三人各々がどこをどれだけ調べて回ったかのカードを出し合おうというものだろう。

 三人が探している重大な情報がどんな形状のものなのかがわからない以上、闇雲に家捜しを繰り返していても効率が悪いと察してに違いない。


「……賛成です。では、鷲見さんからどうぞ」

「は? なんであたしからなのよー? お子ちゃ――、姫から言いなよ?」

「美逢は添い寝が最後だったんだぞ。初日に探したシコシコから言え」

「……本当にそのシコシコと呼ぶの家では止めていただけませんか?」

「だってさ、シコシコは学校だけにしときなー」

「学校でもやめてくださいっ!」

「声がデカいぞ! 夜中に常識を考えろっ」


 情報の共有を図ろうとしたのに、結局のところ誰一人として共有する気なんてない口ぶりで口論へと発展する。

 それはともかく夜中の大声以前に、人の家を夜な夜な家捜ししている状況で常識を語らないでほしい。


琴吹ことぶきさんの声の方が大きいですよ。悠誠様が目を覚ましたらどうするんですか」

「大丈夫だ。朝までぐっすりのはずだぞ」


 明確な単語は聞けなかったが、やはり睡眠薬的なものが仕込まれていたのだろう。

 今後は三人の誰から差し出されたものであっても、安易に口にしてはいけないのかもしれない。


「……とにかく、お嬢も姫もまだ、見つけていないんだよねー?」

 梓さんがやや声音を低くして訊ねる。それに対して二人の返答はなかった。おそらく無言で頷いて返したのだろう。


「これだけ探しても見つからないってなると、そんなもの本当にあるのか疑わしくなるよねー……」

「どのような形状か、それともデータのようなものなのか、それさえもわからないのでは時間がかかるばかりですから……」

「なんだシコシコ? なにか考えでもあるのか?」


 よほど気に入ってしまったのか、美逢ちゃんはごく自然にシコシコ呼びを定着させて何事か言い淀んだ華詩子さんに問い掛ける。


 呆れ果てたのか訂正することに疲れてしまったのか、華詩子さんが小さく息を吐く様子が襖越しに伝わってきた。




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