食べる地球食べる宇宙 ~七色書房の七色処方~③
PRIZM
第1話 夢の時間は夜の宇宙
眠り。それはひとつの旅である。
音も無くその時間はいつの間にか始まって、そしてしばらくの間続く。帰還した際には記憶にさえ残らないこともある。昼の時間を生きることのみを重視している場合は特にそうだ。夜の宇宙へ旅立つことを当然としている人たちにとっては、むしろ地上生活よりも解放され癒しの力も大きいのが眠りの時間である。それは生命力というエネルギーチャージが行われる時でもある。
夢の時間、それは眠りの時間の中で起きることと言えるだろう。眠りは毎日ほとんどの人に訪れる時間ではあるが、見る夢となると全ての人とは言えなくなる。夢を見ること自体はほとんどの人に起きていることだと言われているが、その夢をまるで覚えていないということの方が当り前の認識や体験なのかもしれない。
また、覚えていたとしても、夢の意味はわからないままということが多い。日常では決して起きようも無い不思議な現象も夢の中でなら何だって起きる。だからこそ「夢」は「夢」だからという言われ方さえある。それは不確かとかあてにならない、現実では無いという意味が常識的な捉え方になっているのだ。
しかし、夢の時間を自由に歩くということ自体をやってのける人たちも実際には昔から居るのだ。インディアンや精神の旅をしている人たち、世界の僧侶たちなどもそうだ。彼らにとって「夢の時間」は現実である。
同じ地球に住んでいながらも文化の違い、常識の違いというものによって私たちはまるで違った世界を生きて居るのかもしれないということになる。
「夢の時間」を生きるのは特別な存在だけでは無い。私たちの日常の中にもある。例えば「瞑想状態」というのも「夢の時間」への入口である。もちろんリラックスすること自体を目的とした瞑想とは違っている。
例えば、奈々恵がNANAとして行っているセラピー(心理療法)やワークの現場で言うなら、誘導瞑想や催眠療法(ヒプノセラピー)など、さらにタロットパスワークというタロットカードを使った瞑想もそうだ。他にも瞑想の入口となるものは色々ある。
これらは瞑想の状態の意識で旅をしていく中で、様々な出会いや気付きを得ていくということを体験するものである。練習していくことで誰もが変性意識の状態で旅をすることが可能になる。特別な才能はいらない。夜に布団に入って眠るという時間だけでは無く、半ば起きながらにして眠りの時間を体験する、ということが可能なのだ。当然だが忘れる部分もあるが、覚えていることも多い。起きながら夢を見ているような状態を経験していくことができる。
この意識の旅は「時間」と「場所」の固定が外されていく。時を越え、場所を越えていつでもどこにでも行くことが出来る。さらに練習によって自分自身の精度を上げていくことでもっともっと旅の可能性は広がっていく。
意識を集中させて、眠りの時間のような状態を段階的に用意して、意識の旅に出かける。この旅の時間を用意することに慣れている人は眠りの時間を待つこと無く、昼夜望んだ時にいつでもその世界へと旅をするだろう。
奈々恵はいつの頃からか、とある地球のとある時代のとある場所でNANAという名前で仕事をしていた。場所はとある地球、東京、渋谷区某所。
忘れもしないが東を目指して旅に出た日があった。
その途中、途中下車して旅をすることになった場所もあった。その土地でのことは想定外だったように思っていたが、後に考えれば想定内、むしろ大きなところから見れば予定通りだったのではないかと思える。
裏から表へ、真逆の所へと移動するということが一体どういうことなのかをそこで身を持って体験したのだ。途中下車の旅は、裏から表へという人生の境目を経験することになった。
表というのが東京での人生であるならば、そこに生まれ出るための前段階の場所が途中下車して立ち寄った場所ということになる。そしてこれまでの北の方での人生が裏ということになるのだ。
旅立つ前に白き山を前にした折に言われたことを思い出す。言われたように感じたということだが、山全体を見ていた時に、大和歌のような歌が自分の中に入ってきたことがあったのだ。意味はわかりやすかった。
「ここまでで私の仕事は終了です。隠してきました。ここからは二度と帰って来ませんように」
その存在は帰っては来るなとハッキリ言ったのだ。いつでも海へと帰ることが出来るよと言わんばかりに背後から抱きしめるアザラシ(牡羊座1度のサビアンシンボル)とはどうもこの存在が言っていることは違うのだ。
隠されてきたとはどういうことなのか、その時点では奈々恵にはわからなかった。ただ、それは保護されていた……ということなのだろうと、その声と出会った時に知った。気が付いてしまったと言った方が近いだろう。
あの大きな白き山並みが自分を何処かから、何かからずっと長い間、静かに隠し続けていてくれたからこそ、今日という大きな旅立ちの日があるということなのだと、わけもわからないままに奈々恵は心の中で手を合わせていた自分のことを時々思い出す。
「ありがとうございます。行って参ります」
そう言ったことを今でもハッキリと覚えている。
その言葉を何年経っても度々思い出すのだった。
これはおそらくは裏から表へ、という人生の転換が起きたということだろう。その後、東へと出る前に立ち寄った途中下車の旅先は、自分が新しく生まれ出るための場所だったのかもしれない。
表の地上へと出るための出生の場所であり、その土地の水は産湯としての貴重なものだったのかもしれない……。後々になるほどそう考えるのだった。その場所に立ち寄ってみることを提案したのは奈々恵が師匠と呼ぶ人だった。
意識の旅には催眠療法(ヒプノ)という種類もあるのだが、それは過去に遡ったり、宇宙を旅したりすることも可能なセラピーのひとつである。入口の目的としてはその催眠療法自体を体験することだった。そこでさらに体験から学習へという道を奈々恵は選んだのだ。この時しばらくの間、催眠療法の神様と呼ばれていた存在の元で滞在することになったという流れがある。
考えてみると、その地にはちゃんと母親のような役割を果たす存在がいた。父親でもあった。悪人でもあった。善人のようでもあり、隠者のようでもあった。この地上への導き手として、迎える側としては適任であったと思われる。その存在もそのことを頭では無く体感のようなところで、どうも知っていたのではないか、と思えるのだった。しかし、その存在も早めに旅立っていった。
おそらくこの旅先での話はまた別の機会に話すことになるだろう。 地上での時間にすると短かい期間だったが、あまりにも多くのことが起きた時期だったのだ。キーワードは「2006」である。確か蠍座にトランシットという現在の空模様の星の動きにおいて「木星」が入っていた年のことだ。
奈々恵は、自分を生きる必要があった。東方で。そのためには昼の地球に「生まれる」必要があった。
七色は、今日も森と街との間、宇宙と地球との間にある七色書房にいた。
夜の宇宙、眠りの時間に。
二人はひとつ。
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