小説を書くことは歌を歌う事に似ている。

dede

小説を書くことは歌を歌う事に似ている。


小説を書くことは歌を歌う事に似ている。


音楽を始めるのに演奏は楽器を買ったり、技術を覚えるのに何度も練習が必要で音楽らしくなるのに手間と時間が掛かる。


その点、歌はお手軽である。

声を出すことはだいたい誰だってできる。わたしだってできる。

プレーヤーから流れる歌手の声に合わせて歌えば何となく上手く歌えてる気がする。

案外わたし、上手いんじゃ?って気にもなる。


でもオフボーカルで歌ってみれば、歌詞は分かっていてもうまくフレーズが言えてなかったり音程が合ってない事に気づく。

おまけに追い打ちとして録音した歌を聞いてみれば、だいたいの人はそれほどでもないと気づく。わたしだって気づいた。


とはいえ、中にはそれほどな人もいる。カラオケでも100点近く出しちゃうような人たち。

そんな人たちの中でも、また優劣があるらしい。聞く人が聞けば分かるそうな。


なるほど。分からん。


でも優劣がある、らしい。上澄みの中でも更に上澄みの、プロの歌手として食べていける人たち。

誰でも出来ることを誰にも出来ないレベルで行う人たち。

立川談志師匠のエピソードを思い出す。


「落語家なんて喋ってればいいんだから楽な商売だね」「その通りだよ。あんた、なんでやらないんだい」


ただ、わたしはそれほどでない人たちの中でどれくらい下手で、どれくらい上手なのか未だに知らない。

カラオケの点数は大して高くない。でもカラオケで歌ってるとノッてきてくれるのは友人たちの人が善いからか。

しかしカラオケの点数がさほどでなくても、心地好い歌を聞かせてくれる人がいる事をわたしは経験として知っている。

やはり楽しそうに歌っている人の歌は聞いて楽しいものだし、その場に合った曲を選んでそこそこ歌えるというのもやはり上手いって事なんだろう。


アマチュアならば楽しく歌えていれば上手い必要はない、というのは真理であろうけど

ヘタの横好きだと言ったって、上手く歌えて聞いてくれてる人も楽しんでくれている方が楽しいに決まってる。


ただ、わたしの書く話を評価してくれるカラオケの採点機能みたいな都合の良いものは存在しない。

結局は他人に読んで貰ったり、時間を置いたり、音読してみたりするしかなさそうで。


どの辺にランクインしてるにせよ、結局はたくさん歌ってたくさん音楽を聞いて。人の歌と自分の歌を比べて。

ボイトレの本やら動画を見て、腹筋して、本番前はお酒を控えて、みたいな


ことを出来る範囲でやってくしかないんだろうなぁ、ということの話をまとめずに終わりたいと思います。


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