第38話


 その日の真夜中。

 ものみな眠る『開拓都市トリステイン』にて、ヴァンは地面を嗅ぎまわっていた。



「あの乳みてぇな匂いは……クソッ、この路地裏から途切れてやがる」



 やっているのは人物探知だ。

 人並外れた嗅覚を使い、昼間に出会った少女『サラ』と呼ばれていた女を探しているのだ。

 目的は当然、復讐と凌辱である。



「オレを散々コケにしやがって……! 人間風情のメスが、わからせてやるぜ」



 穏便に済ませる意思など一切ない。

 人間社会でトラブルを起こせば面倒になるということは学んだが、ならば人知れず夜に事を成せばいいとヴァンは考えた。



「殺してやる。殺し犯しながら泣き喚かせてやるッ!」



 そう猛りながら周囲を探らんとした時だ。


 ざっ、と。



「――そうか。お前、そんなヤツだったのか」



 路地裏をふさぐように、探していた白髪の少女が姿を現す。



「ッ、テメェどこからッ……いや、そんなことはいい」



 出てきてくれたならそれでいい。



「まずは服から剥いてやる」



 ヴァンは両手に力を籠め、その十爪を凶悪に変貌させた。



「さァお楽しみの時間だ。抵抗すると、皮膚まで裂けるぜ?」



 笑みを浮かべて近づくヴァン。

 それに対し、少女はその場に立ち尽くしたままだ。

 背後より照らす月光により、その表情は影で見えない。



「大人しいじゃねえか。いいぞそのまま、」


「あのさぁ」



 とそこで。

 閉ざされていた唇が、一方的に言葉を紡ぐ。



「わたしはな、ある程度のミスは仕方ないと思ってるんだよ」


「あァ?」


「まず最初、お前はギルドで暴れてミスティカも殺そうとしたよな? でもそれは、お前が社会常識を知らないからだった。無知ゆえのミスだ。これで誰かっちまってたら駄目だが、幸い死人は出なかったんだ。だから私はお前を許した」


「テメッ、なにを」



 訝しむヴァン。

 それを無視して彼女は続ける。



「時計塔の上で色々教えたよな。トラブルは起こしちゃいけません、人を襲っちゃいけませんって。さぁこれで無知ゆえのミスはなくなるはずだ。そう思ってたら白昼堂々よりにもよって私を襲いにかかってよ、そんでダチまで傷付けて……」


「なんだテメェッ!? さっきから何をブツクサと!」



 もういい殺そう。

 そう決めてヴァンが踏み込まんとした時だ。

 足が――動かなかった。



「……あ?」



 思わず見る。

 その強靭な足は、なぜか彼の意思に反し、小刻みに震えていた。



「ぁっ、な、なんだこりゃっ、なんでだ!?」


 手で叩くも動かない。

 足が少女に向かおうとしない。



「おいメスッ、テメェがなんかしたのかぁ!?」



 怒り吼えるヴァン。

 そんな彼を見る少女の瞳は、凄絶なまでに冷めきっていた。



「お、おいっ!」


「……本当に呆れるよな。一度はちゃんと教えたのに、それを破って。で、撤退することになって反省するかと思いきや、全然悪びれた様子もない。も流石に見かねちまったよ」


「っ!?」



 変わる一人称。

 そして冷静に思い返せば、『時計塔で色々と教えた』という発言から、まさかと推察する。



「テメェッ……まさか、ジェイドって野郎!?」


「あぁそうだ。でも間違いだよ」



 瞬間、少女から闇が溢れた。

 夜よりも暗き濃密な黒。

 それに彼女は包まれて、陽炎のごとく揺らぎ溶けて同化していく。



「俺は平和が大好きだよ。仲間たちと馬鹿やって、明日の飯どうするかなぁって考えてさ」



 闇の中で姿が変じる。

 幻のように不定形になり、いつか見た男の姿にもなり、やがて名状しがたい闇そのもののようにもなり、そして。



『でも、さ』



 湧き出した闇が、巨大に広がる。



『怒るべき時には怒ろうって決めてるんだよ』


「あっ、あ……!」


『で』



 巨大な闇が巨体を象る。

 巨大な闇が巨爪を象る。

 高らかに生える尾と翼。


 そして最後に、燃える三つの瞳が輝く。



『俺は今、ちょっと本気で怒ってるぞ?』



 その姿に、ヴァンは悲鳴のごとき声で叫んだ。



「お前はッ、 暗 黒 破 壊 龍 ジ ェ ノ サ イ ド ・ ド ラ ゴ ン―― !?」



 それはまさに異端の破壊者。

 魔でありながらヒトに与し、多くの大魔を燃やし尽くしてきた最恐最悪の存在。

 それが、 暗 黒 破 壊 龍 ジ ェ ノ サ イ ド ・ ド ラ ゴ ン。


 同族であるヴァンも畏れる天災であった。



「な、なんでテメェが、人間に化けてこんなところに……!」


『どうでもいいだろう。それよりいいのか、抵抗しなくて』



 暗黒龍は揺らがぬ声音で、当然のごとくヴァンに告げる。



『何もしなけりゃ、お前死ぬぞ?』


「ッ~~~!?」



 その一言に、ヴァンの足がようやく動いた。


 あぁそういうことかと理解する。

 この足は、本能的に敵の強さを知っていたから止まっていたのかと。



「はっ……はは……!」



 まったくもってそれは正しい。

 魔物界の常識だ。

 かの黒龍には決して逆らうことなかれ、というのは。

 だが。



「いいぜェ……何もしなけりゃ死ぬっていうなら……!」



 若きドラゴンは、腑抜けた常識に真っ向から中指を突き立てる。



「ぶっ殺してやるよォッ、クソ先輩がァーーーーーーッ!」



 そして第二の脅威が現る。


 ヴァンは上空まで一足で跳ぶと、その身より巨大な炎に包んだ。



『これがオレの、真の姿だッ!』



 天に具現する次なる天災。

 炎の中で人の姿はゆらぎ掻き消え、赤き龍へと生まれ変わる。



『 灼 熱 破 滅 龍 ヴ ァ ー ミ リ オ ン ・ ド ラ ゴ ン 。このオレが、テメェを倒して最強になってやる!』



 真の姿を現したヴァン。

 彼は大きく大気を飲み込み、肺腑の奥より超熱量の炎を覗かせた。


 かの黒龍を、殺すためにだ。



『第十一階梯魔砲“犯し灼く焔デア・クルセイド”――ッ!』



 そして天から降り注ぐ灼熱。

 魔砲。それは人類を憎み滅ぼす生物兵器『魔物』の上位種に組み込まれた、最悪の概念呪法である。

 かの灼熱龍の炎が持つ概念は『延焼』。火の粉の一片までもが消えない限り、全てを焼き続ける魔の炎である。



『街ごと燃えろやァアアーーッ!』



 吼える赤龍と迫る魔炎。

 それらを前に、黒龍ジェイドは一切焦ることもなく口を開き、



『いい攻撃だ。――だが、終わりだよ』



 その肺腑の奥より、全てを滅ぼす黒き邪炎を覗かせた。



『第十三階梯魔砲――“零に還る焔デア・プロビデンス”』



 終極の火が解き放たれる。

 それは『万死』の概念を持つ最恐最悪の魔炎。

 赤き炎を一瞬にして殺し尽くし、空間ごと黒に染め上げた。



『なぁ――ッ!?』



 かくして迎えた終わりの時。

 死の黒炎は灼熱龍ヴァンまで届くと、天を揺るがす十字の爆発を巻き起こすのだった。



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