◯月×日に私は
綿来乙伽|小説と脚本
EP1:扇風機は年代物
昨日は散々だったけど、それでも今日はやって来る。
昨日のうちに「私がどうなろうと明日は来るもんな」と唱えながら眠っていた。
私が「昨日」「今日」「明日」の三つに悩まされているのは、今日就職活動を始めて初めての面接だったからだ。
私がどんなにもやもやと頭を悩ませていても、誰かと関わるという「面接」が控えていては、もやもやも晴れ晴れとしているような顔で世の中と対峙しなくてはならない。
午後一時から始まるオンライン面接に向けて、いつもは夢の中にいる午前十時に起きた。
去年の秋ごろ、おそらく多分きっと出版社の方と面談をしたことがある。
その時から気付いていたのだけれど、私のパソコンはオンライン面談になると相手方に私の音声が届かなくなってしまう。
だが仕事もなく就職活動もしていなかった私にとってはそんなことどうでも良く、繋がらないからやらないでおこうという結果になって理由を追求するのをやめた。
そして月日が経って今日を迎えてしまった。
この文章から大体の察しがつくだろうが、オンライン面接は失敗に終わった。
理由は私のパソコンの不具合である。
朝早くに自分のスマホと面談サイトを繋げて確認もして、他の不具合がないかも確認して、それで、駄目だった。
散々な日は、昨日に飽き足らず今日も居座っているみたいだ。
企業の方が天界から降りてたまたま人間の目線で暮らしているのだろうと思うほど優しい方々で、後日対面での面接にしようと仰ってくれた。
それにきちんと甘えて、謝罪の気持ちを出せるだけ出して絞れるだけ絞り出して電話を切った。
ニートになってもうすぐ一年が経ってしまいそうな今日この頃、何もしない日なんて何度もあったはずなのに、今日は何も出来なかったと落ち込んでしまった。
ここまでしっかりと準備をして何かに取り組んだことが久しぶりだったからだろうか。
疲労感も達成感も無い、ただ「無」の境地に辿り着いた私は、今日がただただ終わることを祈った。
暇な人間ほど、終わりのない悩みごとに自身の身体を弄んでしまう。
目の前は何もない天井を見つめてぼうっとする時間ほど、必要で不必要な時間はない。
昨日が散々で、今日も散々だったのはどうしてだろうと考える。
そもそも散々だったのか、まで考える。
考えるとそうでもない。
私は24年生きているし、その中では昨日今日なんてランクインしないだけたくさんの「散々」を見て来た経験してきた。
その場では嫌だったことも、多分大したことないのだ。
自己完結していく脳内を、何も考えずゆらゆらしている扇風機だけが見つめる。
心なしか「別に昨日も今日も良い日に見えたよ」と言われた気がする。
「だって夏だからね。君の好きな夏だからね」
扇風機は自分が倉庫から出てきた途端、なんでも分かったフリをする。
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