第4話『もう。大丈夫だ。柚子。もう泣かなくていい』
世界とは大半の物事が己とは関係ないところで過ぎてゆくモノである。
遠く離れた国の戦争であれ、アイドルの起こした転落事故を切っ掛けとして業界の闇に切り込んでいる連日のニュースであれ。
直接関係している人間でなければ、己の人生には何ら変化を与えない物でしかない。
だから、俺は会社の飲み会を終え、二日酔いのまま家に帰り、そのまま床に倒れる様にして寝た翌日、こんな事になるとは思ってもみなかったのである。
「なんだこれは」
寝起きは最悪であった。
とは言っても会社の飲み会があった次の日は大抵最悪の気分で目覚める事になるのだが、この日は普段とは違うアクセントが付いていた。
見知らぬ何かが俺の中に根付いていたのである。
感覚が教えてくれる通りに信じるなら、この力は願いや奇跡を叶える力だそうだ。
ただし、非常に信じがたい事ではある。
この現代社会において、魔法や奇跡の力なんて物は本やテレビの中にしか存在しないものである。
時速五百キロでリニアが走る時代に、そんな訳の分からない力があるなんて誰が信じるというのだろう。
お笑い種である。
しかし、俺が自分でも知らぬ間に、怪しげな薬でも飲まされていない限り、この妙な感覚が突如俺の中に芽生えたのは確かだ。
ならば何かの病気か、妄想か。分からないけれど、こいつの正体を確かめてみる必要があるな。
「と、俺は考え、色々と実験をしてきたんだが、結局よく分からないという結論に至ったという訳だ」
「なるほどねー。で? 具体的にどんな実験したの?」
「まずはあれだ。おそらくこの願いは生涯一度しか叶わないモノなのだが、その回数を増やしたいと願った」
「まぁ、定番の定番だね。で? 結果は?」
「拒否された。願いに意思のような物を感じたな」
「ふーん。まぁズルは許しませんよって感じかぁ」
「次にやったのは、金を貰う事だな。ただし、数百数万ではなく、億という金だ。それが合法的に俺が何もせず手に入る様にと願った」
「合法的に億って難しくない?」
「まぁそうだな。普通に入手する事は困難だ。本人の努力か、もしくは犯罪的な事をする必要があるだろう。それ以外だと宝くじとか、そういう物か、もしくは実家の庭から金銀財宝でも出れば叶うかな。ただ、宝くじは買っていないし、実家の庭から出てもそれは両親の財産だ。俺のではない」
「で? 結果は。って聞くまでもないか」
「そうだな。まぁ結果は不可能だから叶わないという様な意思を感じたな。同じように総理大臣になりたいとも願ったが無理だったぞ」
「いや、アンタ。総理大臣になんてなりたかったの?」
「そういう訳じゃないんだが、試したかったんだ。もし叶っていたらと思うとゾッとするが」
「ホントだよ。あんまり無茶しないでよ? 一人で飲むのも寂しいんだからさ」
「反省している」
俺はノンアルコールのビールを飲みながら、ケラケラと楽しそうに飲んでいる幼馴染を見る。
人の話でここまで盛り上がれるのは、もはや才能だと思う。
俺はそういう他人の事にそこまで興味が持てないから、そんな姿が羨ましくもあるのだ。
「それで? お前の方はどうなんだ。最近は順調か?」
「それがさー! 聞いてよ! 今度の彼氏もひどいんだよー!」
「ほう。弁護士でも用意するか」
「いやー。そこまでは良いかな。もう捨ててやったからね! キヒヒ」
「そうか」
「それがさー。アイツ! デートに誘っといて、店も予約してないし、金も出さないし、ホンット! 最悪!!」
「それにさ。普段から自分の自慢話ばっかりで、誰もお前の話に興味なんかねぇっての!! 空気で察しろよ! 愛想笑いしてんだよ!!」
「あー。もうほんと、信じらんない!! あー。もう、ほんと、なんで、あんなの好きになっちゃったのかな」
俺は黙って飲みながら柚子の話に耳を傾けた。
うつむき、テーブルの上を見つめながら動かなくなった柚子は泣いているのだろうか。
俺は何か言葉を掛けようとして、手を伸ばしたが、その手が柚子に届くことはなく、柚子はテーブルの上に沈めていた上半身を勢いよく起こすとグラスを掲げて叫んだ。
「あー! もう思い出したら腹立ってきた!! お代わり!!」
「あぁ。じゃあ注文するか」
俺は苦笑しながらタッチパネルで先ほど柚子が注文した物と同じ物を注文する。
そして俺もそろそろ酒を飲むかと、なるべく薄めの酒を注文するのだった。
柚子と朝まで飲み、別れた後俺はいつも通りふらつく足で家までたどり着き、玄関で倒れた。
自宅の廊下で冷たい感触を感じながら眠っていた俺は、朝を超え、昼のダルさの中で目覚めるハズであった。
しかし、そんな日常は激しく着信を告げる携帯によって壊される。
苦しみ、うめき声をあげながら、俺は懐から携帯を取り出した。
そして、通話を押し、スピーカーにしながら廊下に置いた。
「もしもし」
『も、もし、もしもし? 賢二?』
「あぁ、柚子、か。どうした?」
『あのね。あの、おか、お母さんが! お母さんが』
電話の向こうから幼馴染の泣いている様な声が届き、俺は痛む頭をそのままに立ち上がった。
そして電話を手に取りながら、聞く。
頭痛はひどい。しかし、このまま寝ている事など出来なかった。
「今、どこだ」
『た、鷹取病院』
「分かった。すぐに行く」
俺は即座に電話でタクシーを呼びながら、服を脱ぎ、最低限病院に入っても問題ないであろう服に着替えた。
そしてマンションまで迎えに来てくれたタクシーに感謝しつつ、病院へと向かう。
電話の向こうから聞こえた柚子の声は聞いたことが無いほどに弱った声だった。
もしかしたらおばさんが何か大変な目に遭ったのかもしれない。
そんな嫌な予感に俺は体調不良とは違う、ドクドクと煩い心臓をそのままに、早く病院に着くよう祈るのだった。
タクシーに急いで金を払い、下りた俺は病院の入り口で、視線をさ迷わせながら不安そうに自分の体を抱きしめている柚子を見つけた。
そして柚子に駆け寄り、状況を聞く。
「柚子。おばさんは」
「あぁ、賢二。お母さんが、お母さんが」
縋りついて、泣いている柚子に、俺は最悪の事態を想像しながら、おばさんの所まで案内して欲しいと頼む。
柚子は無言のまま頷いて、病院の中に入り、そして一つの病室の中へと入った。
そこには沢山の機械と、それに囲まれて中心で眠っているおばさんが居た。
まだ最悪の事態にはなっていないようだが、楽観できる状態でない事は確かだ。
「おばさんは?」
「朝、家に帰ったら、お母さんが倒れてて、それで、急いで救急車を呼んだら、心臓がっ、もう駄目かもしれないって!」
「そうか」
俺に専門的なことは分からない。
でもこの物々しい雰囲気から、事態が良くない事も分かるし、柚子が聞いたという話も納得せざるを得ない所があった。
慌ただしく病室へ出入りするお医者さんであろう人や看護師さんを見ながら、己の無力を感じる。
しかし、しかしだ。
この危機的状況にあって、俺は一つ大きな忘れ物を思い出していた。
昨晩柚子に話したあの話。そして、ここ数か月俺の中に居座っていた謎の力。
その力の使いどころが分かったのだ。
「そうか。これか」
「けん、じ?」
「柚子。俺は君の幼馴染で良かったと思う。俺でも、出来る事があるんだな」
「何を言ってるの……?」
「もう。大丈夫だ。柚子。もう泣かなくていい」
俺は人の気持ちが分からない。
だからこそ社会の営みの中に入り込めず、ただ自分だけの人生を送り、終わるのだと思っていた。
実際のところ、この場に居ても悲しみや怒りを感じてはいない。ただ、何も出来ないという事実を理解しているだけだ。
しかし、柚子の様な人間と友達でいることが出来た。それが、俺に人間らしさを与えたようにも思う。
そしてこの願いでしか、俺の中に眠る奇跡は叶わないという事も、俺はこの数か月の中でよく理解していた。
この力は俺の本当の願いしか叶えないのだ。上辺だけの思いでは叶わない。
必要なのは心の底から想う、願い。
『柚子のお母さんの病気が、治ります様に。柚子とまた笑いあえます様に。柚子が悲しみません様に』
ただ俺は強く、願う。
ここまで俺を人間らしく、人間の様にしてくれた柚子に、感謝を返す為に。
幼い頃からの、最も大切な友人へ。微かだが、贈り物を。
かくして願いは叶った。
俺の中から奇跡の気配は消え、直後におばさんは目を覚ました。
そして自身が病院に居る事に驚き、医者たちももう目覚めないと思っていたおばさんが起きた事に酷く驚いていた。
まぁ奇跡というのはそういう物なのだろうと思う。
とは言っても、これは誰かに言うような話ではないし。ただおばさんは運が良くて、医者の腕が良くて助かった。
ただそれだけの話だ。
あれから俺の生活は何ら変わらない。
相も変わらず、会社では飲めもしない飲み会に行き、自宅の廊下で倒れ、柚子に誘われ飲みに行き、廊下で倒れている。
いつか何かが変わるのかもしれないが、それは分からない。
しかし、奇跡はもう俺の元には来ないだろう。
その役目を終えたのだから。
残されたこの身は、現実と向き合いながら戦うだけだ。
そう。ただそれだけの話だ。
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