願いの物語シリーズ【願いを叶える話】

とーふ

第1話『あなたが諦めなくて、本当に良かった』

例えば生涯に受け取れる幸運の量が決まっていたとして、私は今この瞬間にその全ての幸運が訪れたのなら、これからの人生全てが不幸でも構わないと胸を張って言えるだろう。


神様か、悪魔か。もし私の願いを叶えてくれる存在が居るのならば、今すぐこの命を差し出したって良い。


裕太が助かるのなら、今すぐ地獄に落ちたって構わない。


だから、どうか。裕太を助けてください。と私はいるかも分からない超常の存在へと祈った。


ただ祈る事しか出来ない無力なこの身が憎いが、祈ることしか出来ないのなら、祈ろう。


そんな事をしたところで何も変わらないかもしれないけど、それでも、何か変わるかもしれないと、私はただひたすらに両手を合わせた。


しかし、現実には何も変わらず、私はただ一人孤独に、先生が裕太の無事を知らせてくれるのを待つ事しか出来ない。


「貴子!!」


「……っ、あなた」


「裕太は」


「分からない。まだ、何も」


「……そうか」


私の言葉に公人さんは、唇を噛み締めながら閉ざされた扉の向こうを睨みつけた。


見たことのない表情だ。


怒っているか。悲しんでいるのか。


いや、きっと私と同じ、色々な気持ちが混ざって、どうにも言葉に出来ない感情が渦巻いているのだろう。


公人さんは少しの間、そのまま扉を睨みつけていたが、少し冷静になったのか私の横に座り込んで、両手を組みながらそれに額を合わせた。


ただ奇跡を祈る様に。


あの子が、裕太が何事もなく無事に帰ってくる様にと、ただひたすらに祈っている様に見えた。


私も公人さんに寄りかかりながら、目を閉じて、何事もなく、朝の様に笑顔の眩しいあの子が帰ってくると信じて、祈った。




しかし、長い時間が経ち、私たちの前に現れたお医者さんの顔は、あまり良い物では無かった。


言葉にしなくても分かる。


どこか申し訳なさそうな表情をして、口にする言葉を選んでいる様に見えた。


無事ならば。何事もなく助かったのならば、そんな顔はしないだろう。


言葉を選ぶことだってしないはずだ。


しかし、それをするという事は、つまりはそういう事なのだろう。


どこか冷静な頭で私はそんな事を考えながら、それでも何かの間違いかもしれないとお医者さんの言葉を待った。


「……手術は成功しました。命に別状はありません」


「それじゃあ!」


「ただし、命こそ助かりましたが、裕太さんの意識は回復しない可能性があります」


「……どういう、意味ですか」


「眠ったまま起きない可能性があります。という話です」


公人さんが私と同時に息をのんだのが分かった。


なんだ。それは。どういう事だ?


意味が分からない。眠ったまま起きない? なんで。


「……んで、手術は成功したって言ったじゃないか!!」


私は怒りに飲まれたまま目の前に居る男に掴みかかろうとして、公人さんに体を掴まれてしまう。


いつもなら公人さんの方がずっと力持ちなのに、私はそんな公人さんの腕を振り切って、男に詰め寄ろうとしていた。


しかし、そんな私を行かせまいと公人さんは私を押さえつけようとする。


「貴子。落ち着け!」


「落ち着けるわけない!! 落ち着ける訳ないじゃない!! なんで裕太がこんな事になるの!? なんで裕太が起きないのよ!! ハッキリ言いなさいよ!!」


「私共も最善は尽くしました。しかし、こんな形になってしまった事を申し訳なく思います」


「そんなの良いから裕太を戻してよ!! 裕太を返してよ!! まだ十歳なのに! 何が駄目なの!? 教えてよ!!」


私はゆっくりと襲い掛かってきた絶望に、頭の中をめちゃくちゃにされ、両手で顔を覆いながら涙を流し、叫んだ。


もう限界だった。


これが悪い夢なら早く覚めてほしい。


いつものベッドで目を覚まして、こんな怖い夢があったんだと公人さんと話をして、裕太を起こして……。


今朝まであった日常を返してほしい。


どうして裕太がこんな目に遭わなくてはいけなかったの? 何が悪かったの? こんな目に遭わなければいけない様な悪いことをあの子がしたの?


教えて。誰か。私に教えてよ。


「妻が申し訳ございません」


「いえ。こちらこそ力及ばず、申し訳ございません。ただ、こんな時で申し訳ないのですが、今後の事をお話させていただきたく」


「分かりました。では……」


公人さんがお医者さんと話をはじめ、私はゆっくりと、立ち上がり、近くの椅子に座り込んだ。


頭が重い。吐き気がする。気持ちが悪い。


私は最悪な気分の中で、ただ目の前で話している公人さんとお医者さんの話を、遠いテレビの向こうの出来事の様にただ、眺めていた。


あぁ。これが悪い夢なら、よかったのに。


私は暗く重く沈んでいく底なし沼のような世界で、ただ静かにそう思うのだった。




裕太が事故に遭った日から一か月が経った。


しかし変わらず裕太は目覚めていない。


本当にただ眠っているだけの様に、ベッドで目を閉じて眠り続けていた。


あれから一瞬たりとも目を覚ますことは無かった。


私は毎日、面会可能時間になれば裕太の病室に来て、裕太に話しかけ、終わりの時間がくれば公人さんと帰宅する生活を送っていた。


そして面会している間はずっと裕太に話しかけているのだが、裕太に反応は無かった。


お医者さんから話を聞いたという公人さんの言葉では、もしかしたら目覚める事もあるかもしれない。というが、その可能性はかなり薄いらしい。


でも、それでも、可能性が少しでもあるなら、私は裕太に話しかけよう。


そう思うのだった。


「ねぇ。裕太。今日はね。お客さんが来てたのよ? なんとビックリ。あなたが助けた子よ」


「一つ下の女の子で、名前は絵里ちゃんって言うそうよ。とっても可愛い子だったからお母さん驚いちゃったわ」


「でも、裕太が守ってくれたお陰で、ちょっと手を擦りむいただけで、無事だったそうよ。良かったわね」


「裕太はきっとあの子のヒーローになれた。でもね。知ってる? 裕太。一番格好いいヒーローっていうのは、事件を解決した後に家族のところへ帰ってくるのよ」


「笑顔で帰ってきて、お母さんの作ったハンバーグを食べて、お父さんにとびっきりの冒険を話すものなのよ」


「だから。まだ裕太には、やることがあるの。このまま眠ったままじゃあ、お母さんも、お父さんも、裕太の事、よくやった。凄い子だって褒められないでしょう?」


「ねぇ。裕太。だから、目を開けて」


「今起きたら、裕太の大好きなハンバーグだって、スパゲッティだってカレーだって、お母さん全部、全部用意するんだから。毎日だって構わないわ」


「もういらないよー。って裕太が言うまで、好きな物をずっと食べていいのよ?」


「あ。そうだ。起きたら、遊園地に行きましょう。普通の土日じゃあお父さん疲れてるかもしれないけど。きっと一緒に行ってくれるわ」


「ね。楽しみでしょう? 裕太はどんな乗り物に乗りたい? ジェットコースターかな? 観覧車かな」


「お母さんは怖いのはちょっと苦手だから、お父さんと一緒に乗ってもらう事になっちゃうかもしれないけど、代わりに写真をいっぱい取ってあげるね」


「お父さんてば、あぁ見えてお母さんと同じで怖いのが苦手だから、裕太が手を握っててあげればきっと怖くないわ。でも面白い写真が取れちゃうかもね」


「遊園地の他には、どこへ行こうか。温泉とかも良いかもね。でも裕太には少し退屈かな」


「ね。裕太。どうかな?」


私は笑みを浮かべたまま裕太に語り掛けた。


しかし、裕太は変わらず眠り続けたままだ。何も、何も変わらない。


それがただ悲しくて、苦しくて、どうしようもなくて、私は胸の奥がかき回されている様な苦しさを感じながら、裕太の手を取った。


温かい。


まだいる。裕太はここに居る。でも、なら、なぜ起きてくれないのか。なんで裕太がこんな目に遭わなきゃいけないのか。


どうして世界はこんなにも苦しいのか。


私はのたうち回りたくなる様な苦しみを抑えながら、ただ裕太の手を両手で握り、額に当てながら涙を流した。


そして、いつかの時と同じ様に、祈る。


こんな行為に何の意味も無いかもしれないが、それでも奇跡があるのならばと。


裕太が目覚める様な奇跡が舞い降りればと、祈った。


『聞こえますか?』


ふと、暗闇の中で手を伸ばすような私の祈りが通じたのか。はたまた私の頭がいよいよおかしくなったのか。


私と裕太しかいない病室で誰かの声が聞こえた。


いや、聞こえたんじゃない。頭の中に直接投げ込まれたような感覚だ。


「誰!?」


『いえ。名乗る程の者では無いのですが、その、お困りかと思いまして』


困っているかと聞かれ、私は思わず笑ってしまいそうになった。


あぁ。困っている。困っているさ。これ以上の事は無いくらい、困っている。


『あぁ。やっぱりそうなんですね。なら良かった』


その少女の声が聞こえ、意味を理解した瞬間、私は一気に怒りが噴き出した。


裕太が目覚めないのが、よかっただと!? どこの誰か知らないが、なんて事を言うんだ。


「あなた!!」


『あなたが諦めなくて、本当に良かった』


「……え?」


私は少女の声が言っている言葉の意味が分からず、ただ聞き返した。


しかし相手は私の反応など知らぬとばかりに話を進めてゆく。


『えー。ではですね。ご協力いただきたいんですが、良いですか?』


「あなた、何なの?」


『いや、名乗るほどの者じゃないんですが、しいて言うなら、そうですね。奇跡を、届けに来ました』


「き、せき」


『では、今から私も願いますので、奇跡を願ってください。あなたの目の前にある困難が、消え去る様にと、願ってください』


何処からか聞こえてくる声の言っている意味は分からない。


ただ、この声の主がやらせたい事は分かった。


祈れと言っているのだ。奇跡を。裕太が目覚めるという奇跡を祈れと、そう言っている。


信じるか。信じないか。そんな問答など一切行わず、私はすぐに両手で裕太の手を優しく包み、祈った。


もしかしたら嘘かもしれない。でも、試してみたい。


もし、その代償が私の命だとしても、裕太が起きるのなら、それでいい。


どうか。裕太を目覚めさせてください。


元気に笑っていたあの頃の様に。私たちのところへ返してください。


どうか。どうか……!


『あぁ。聞こえましたよ。お母さん。奇跡は、叶う……!』


先ほどよりも遠くなっている様な声が私に届くが、そんな事はもはやどうでも良かった。


だって、私の手の中で裕太の手が微かに動いたから。


驚き、目を開いた先で、裕太の瞼が微かに動き、そして目を開こうとしているから。


「あ、あぁ……あぁ! 裕太! 裕太!! 誰か、誰か! 来て、裕太が!!」


私は必死にナースコールを押しながら、裕太の体に触れ、その名を呼ぶ。


何が何だか分からないのだろう。視線をさ迷わせている裕太に私は必死に声を掛けながら、駆け込んでくるナースさん達に裕太が目覚めた事を伝えた。


奇跡が起きたのだ。あの声の言う通りに。


私は、誰かも分からぬ声に、せめて感謝だけは伝えようと、周囲を見渡したが、もはや何の声も聞こえる事は無かった。


ただ奇跡だけを運び来た声の主に私は感謝を告げながら、今はただ、裕太が目覚めたという喜びの中で泣き、笑うのだった。

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