かみしばり
北路 さうす
第1話
木造アパートの薄い壁では、うるさい蝉の声も異常な暑さも防げない。この部屋の住人である僕、佐藤洋太郎は下着姿になってよけい流れる汗をぬぐいながら、薄い背中を丸めてパソコンに向かっている。180㎝を超える身長では、この8畳のワンルームにおける机は何を選んでも小さかった。一番安いものを選んだせいか、打鍵するたびにアンバランスな足がカタカタ言い、それが余計にイラつかせた。
冷蔵庫を開けてよく冷えた麦茶の入ったポットを取り出し、口をつけないように気を付けながら飲む。一人暮らしはいかに家事の手間を省くかが勝負だと、一人暮らし歴4か月の身で悟った。麦茶を飲んでいる間に、開け放したままの冷蔵庫から流れ出る冷気で涼む。エアコンのついていないこの部屋では、唯一の冷気を発するものだ。
のどが潤い麦茶のポットをしまって冷蔵庫を閉める前に、せめてもの抵抗として扉を動かして冷気を部屋に拡散させてみる。無駄なあがきで発生した冷気は、部屋の熱気をかき回す扇風機の運ぶ熱風に簡単に打ち消されてしまった。
溜息を突きながら机に戻ると、見計らったようにスマートフォンが鳴り始めた。課題の提出忘れでもあったかと飛びつくと、表示された見知った名前に安堵して通話ボタンを押す。
「はい、もしもし」
「ようちゃん、お久しぶり。大学生活はどう?」
電話の相手は祖母だった。大学に入学してからは、思いのほか学業が忙しく電話ができていないことを思い出し、少し申し訳ない気分になっていた。
「おばぁちゃん、久しぶり。うん、大学は充実しているよ。なかなか電話できなくてごめんね。おばあちゃんもおじいちゃんも元気?」
パソコンの端に表示された時計をちらりと見る。レポートの提出は明日だ。まだ完成とは言えないが、終わりは見えている。少しくらい祖母の話に付き合っても問題ないだろう。
「便りがないのは元気な証拠よ。こっちも年寄り同士仲良く過ごしているわ。でもね、ちょっと最近動物に畑を荒されるのが大変でねぇ」
祖父母はかなりの田舎に住んでいる。電車は通っておらず、車が必要な地域だ。特産の野菜が人気で、それを売って暮らしている。獣害は一大事だ。
「大変だね。電気柵とか、案山子とかたてないの?」
「うちにはもう年寄りしかいないからね。そうだようちゃん、夏休みに帰ってきて案山子をたててくれないかい?」
「いいよ。僕もそろそろそっちに顔出したいと思っていたんだよね。入学祝のお返しってことで、手伝いに行きますよ」
祖父母の住む田舎は近くに避暑地があり、自然が多いからか都会より涼しかった覚えがある。小学生以来顔を出せていないが、この暑い夏を過ごすにはさぞ快適だろう。僕は二つ返事で承諾した。
「うれしいねぇ。久しぶりに会えるのを楽しみにしているよ」
祖母はうれしそうな声で電話を切った。この地獄の蒸し器のような部屋で、おしゃれな野菜のように蒸し殺されるだけの夏休みになりそうだったが、どうにか涼しいところで過ごせそうだ。
伸びをして、期限間近のレポートに向きなおる。あと3つのレポートと、4つのテストをこなせば、幸せな夏休みが待っている。セミの声も、ガタつく机も気にならなくなった。
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