エピソード 2ー9
ある日、私はノウリッジの扉を叩いた。ダリオンは商談中だったようで少し待たされたけれど、ほどなくして彼の部屋に通される。天井から降り注ぐ光がテーブルの上に広がり、コーヒーとクッキーの香ばしい香りが漂っている。皇女として暮らしていた私にとって馴染みある光景にふと疑問を抱いた。
「毎回お茶菓子が出てくるけど、もしかしてVIP対応のおもてなしだったりしない?」
「嬢ちゃんは自分がそういう存在だって自覚はないのかよ?」
「将来的にはそうなるかもと思ってるわよ? でも、いまはまだなにも成してないわ」
私が肩をすくめると「じゃあいまから認識をあらためておくんだな」と笑われた。いまの彼は妙に機嫌がいいようにみえる。
「……もしかして、なにかあった?」
「フロスト・ブロッサムの花びらを漬け込んだジャムを取り寄せ、錬金術師に嬢ちゃんのレシピを試させた結果、わずかながら魔力の回復が確認された」
その言葉に、彼はニヤッと笑った。彼の緑色の瞳には喜びが満ちている。
「へぇ、そういう発想はなかったけど、考えたわね。効果が確認されたなら、後は安全を確認して妹さんに使用するだけね」
「……ああ、嬢ちゃんには本当に感謝している」
感謝するのは私の方だよと、心の中で呟いた。それから一息吐き、ダリオンがソファに座り直した。彼はその瞳に強い意志を込めて私を見た。
「ところで、嬢ちゃんは魔力回復薬をどうやって売り出すべきだと思う?」
私は「そうね……」と考えを纏めるためにコーヒーを一口、「貴族を後ろ盾にして、大々的に売り出すのがいいと思うわ」と答えた。
「……その心は?」
「レシピの価値が高すぎるのよ」
「貴族を巻き込まなければ、レシピを取り上げられる、と?」
「そうなる可能性が高いでしょうね。レシピ代くらいはもらえると思うけど」
その場合はレシピを売って終わりだ。それでも纏まったお金は手に入るけれど、最初から貴族と手を組んで、有利な交渉をした方がいい。
「後は……そうね。口の堅い錬金術師を集めることは必須。それに花びらの買い付けを年単位で契約すること。出来れば、フィオナスト地方の土地も押さえるべきね」
なにしろ、フィオナスト地方でしか咲かない桜だ。いまは安く花びらを仕入れられるけれど、将来的には花びらどころか、土地まで高騰するのが目に見えている。
本気を出すなら、桜の農園を作る準備をするべきだ。
「……想像以上に本格的な答えが返って来やがった。嬢ちゃんは六年前から孤児院にいるんだろ? 一体どこで経営の知識を学んだんだ?」
いつか来ると思っていた質問。だからこそ、私はその答えを用意してある。
「もちろん、屋敷にいたころに習ったのよ」
それは回帰するまえ――つまり未来の話。だが、過去のことだと勘違いしたダリオンは、「……それって何歳のころだよ」と呆れるような顔をした。
私は「さあ、もう忘れてしまったわ」とはぐらかす。
「それより、本題に戻りましょうよ」
「あぁ、そうだったな。しかし……貴族か」
「取引してくれそうなあてはある?」
「取引をしてくれるかは分からないが、領主様になら連絡を取る手段はある」
「領主というと、エレナ様のこと?」
「……エレナ様? それは長女だな。領主の名はフィリップ様だ」
その名前を聞いて思い出す。フィリップ・フィオレッティ。私と交流のあったフィオレッティ子爵、エレナの父親だ。この当時は、まだ父親が当主だったようだ。
となると、あの家は少しばかり後継者問題を抱えている。
前妻の娘がエレナで、後妻の娘がカルラ。本来はエレナが後継ぎとなるはずなのだが、後妻は自分の娘を次期当主にしようと画策しているのだ。
回帰前の私はそれを後日談として知ったのだけれど、当時のフィリップはそれを知りながら、決断を下せずに見て見ぬ振りをしていたらしい。愛妻家と言えば聞こえはいいけれど、姉妹に負担を掛けているし、貴族の当主としては落第だ。
だから、数年と経たずに代替わりするフィリップと契約する意味はない。だけど、あの家自体はセイル皇太子殿下を支持する派閥だから取引をして損はない。
「相談するなら、娘の方がいいと思うわ」
「……娘か? たしか、二人いたな。たしか……長女のエレナは優秀で、次女のカルラは自分勝手な性格。ともに次期当主の座を争っている、だったか……?」
それは社交界で流れている噂だ。よく知っているなぁと感心する。さすが情報を扱うギルドのマスターだ。
「ならば、交渉はエレナ様とした方がいい、という訳だな?」
「いえ、交渉はカルラ様としましょう」
「……いや、なんでだよ?」
冷静に突っ込まれた。
ダリオンの言うように、社交界でカルラの評価は低い。だけどそれは周囲を欺くための欺瞞だ。
回帰した私は、エレナとカルラが実は仲がいいと知っている。エレナの窓口はカルラなのだ。その情報を活かせば、有利な取引が出来るはずだ。
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