エピソード 2ー1
マグリナが拘束されてから三日が過ぎたある日の朝、エリオが孤児院を尋ねてきた。帳簿を確認していた私は作業を止め、応接間で彼を出迎える。窓から差し込む朝日を浴びた彼の金髪がキラキラと輝いて見えた。
エミリアはまだ戻っていないし、子供達にはほかのお仕事を任せてある。私が自身で紅茶を淹れてローテーブルの上に置くと、彼はそれを一口、捜査が終わったと口にした。
「……ということは、マグリナの罪が確定したんですか?」
「ああ、有罪は確定し、財産はすべて没収だ」
それを聞いた私はほっとしながら、彼の向かいのソファに腰を下ろした。
警備隊はかなり迅速に動いてくれたようだ。マグリナの有罪を確定させ、彼女から没収した財産は孤児院に返還してくれるらしい。
それらの話を聞いた私は一息吐いて紅茶を口にする。ゆらゆらと揺れる湯気を眺めていると、エリオが「ところで――」と姿勢を正した。
「孤児院の院長に名乗り出たそうだな」
「……はい。それを承認するのは警備隊だとうかがっています。承認していただけますか?」
「常識的に考えて、十四歳の子供が孤児院を運営するなんてあり得ない。だが、問題を起こして領主様から睨まれている孤児院の院長になりたがる者がいないのも事実だ。このままでは、ほかの孤児院に吸収されてしまうだろう」
「それなら、私に院長をさせてください!」
エリオに向かって懇願する。彼はしばらく沈黙し、それから大きく息を吐いた。
「嬢ちゃんはノウリッジの見習いだと聞いている。それは間違いないか?」
「……はい、間違いありません」
心の底を見透かすような視線に晒されるけれど、私は決して視線を逸らさない。ほどなく、彼は小さく息を吐き「条件付きでなら認めるという許可が出ている」と口にした。
「……条件、ですか?」
「しばらく、分析官をおまえの補佐に付ける。それで運営能力に問題がないと判断されれば、孤児院の院長として認めよう。それまでは院長代理だ」
「分かりました。それで問題ありません」
どのみち、私はセイル皇太子殿下を助けられるくらい派手に動くつもりだ。自重せずに成果をあげる予定なので、なんの問題もないと応じる。数時間後の私は、軽はずみに応じたこのときの私をぶん殴ってやりたいと思うことになる。
数時間後、エリオのいう分析官とその連れが孤児院へやってきた。エリオと同じように応接間へとお通しして、ローテーブルを挟んで向き合った。
「分析官のアイシャです。エリオ隊長から、貴女の経営手腕を確認するようにと仰せつかって参りました。どうぞ、よろしくお願いします」
赤い髪を後ろで束ねた彼女は、キリッとした表情で言い放つ。私は戸惑いながらも「え、ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」と返した。
アイシャと名乗った女性はまだ若い。というか、今年で十八だったはずだ。
彼女の声はしっかりとしており、その眼差しには強い意志が感じられた。彼女の彩度の高い赤い髪は鮮やかに輝き、彩度の低い赤い瞳は冷静さと情熱を秘めている。
頼りになりそうな女性――というか、非常に優秀な女性であることを私は知っている。だが、問題は彼女じゃない。問題なのは――と、彼女の隣に座る少年に視線を向ける。
「それで、貴方は……?」
「私はセイルです。見習い分析官として、アイシャ先輩のもとで学んでいます。なにかと迷惑を掛けるかも知れませんが、よろしくお願いします」
彼は整った顔に優しい笑みを浮かべた。何気ない所作がとても綺麗だ。ブラウンの髪と青い瞳という組み合わせは決して珍しくないけれど、驚くほど整った顔立ちには思いっきり見覚えがあった。彼のフルネームはセイル・ヴァルディアス。今年で十六歳になる皇太子だ。
――どうしてセイル皇太子殿下がこんなところにいるのよ!?
彼を見たとき心臓が止まるかと思った。
ちなみに、アイシャはセイルの家臣の一人だ。それなのに、セイルが見習いって……絶対、アイシャの心中穏やかじゃないよ。ちょっと同情する。
いや、他人に同情してる場合じゃない。
私に孤児院を運営する能力があるか確認するためと言ってるけど、絶対嘘だ。どこの世界に、そんな理由で王太子を送りつけてくる国があるのよ。
という訳で、彼がここにいる理由はほぼ間違いなく、私の素性を疑っているからだ。恐らく、エリオあたりが私の正体に感づいたのだろう。
いつかは再会すると思っていたけど、こんな形で再会するなんて思わないじゃない。こんなに早く私の正体がバレるのは想定外だと不安に襲われる。
いや、大丈夫だ。
潜入捜査という形を取っているあたり、彼らにも確信はないはずだ。なら、仮に『皇女では?』と聞かれても『違います』と答えれば切り抜けられる。この世界には、DNA鑑定みたいに便利な科学はないのだから。
まあ、私が自らぼろを出すのが怖いんだけどね。そこさえ気を付ければ大丈夫と考えながら、「こちらこそ、よろしくお願いします」と答えた。
その後、彼らにはコーヒーとお茶菓子を提供して、私は孤児院の仕事を再開する。
いまやっているのは、昨年の帳簿を付け直すという作業だ。去年の正しい収支が確認できれば、今年や来年の目算も立つと思ったから。そうして帳簿を作り直していると、セイル皇太子殿下が覗き込んできた。
「……なんですか?」
「いえ、その帳簿、ずいぶんと変わった書き方ですね」
「え? あぁ……複式簿記のことですね。この書き方だと財務状況が明確なんです」
余談だけど、複式簿記が元の世界で広まったのは中世の終わり頃だ。回帰前も私が広めるまでは誰も知らなかったので、今回も私が初めて使うはずだ。
「ふむふむ、なるほど。これがこうなって、だから収支が明白、と。……すごい! これは、素晴らしいですね! 貴方が考えたのですか?」
ものすごく食いつかれたけど、想定内だ。私が気を付けなくちゃいけないのは皇女であるとバレることであって、知識的に派手にやらかすことを自重するつもりはない。
「これは、ノウリッジの書庫で読んだ本に書いていたんです」
功績はノウリッジに押しつけて、私は複式簿記の書き方を説明する。
「なるほど……これは収支が一目瞭然ですね。この支払い不明金が、マグリナの裏金、ということでしょうか?」
「そうですね。見落としもあるかも知れませんが、おおよそはそうだと思います」
収支を纏めた帳簿をまえに、私とセイル皇太子殿下が苦笑する。国の支援金を100とするならば、院長先生の横領額は50を優に超えていた。
「でも、悪いことばかりではありませんよ。横領をしなければ、国からの支援金で十分にやっていけることが分かりましたし、マグリナの裏金も一部が残っているみたいですから」
高飛びするために貯めていた資金だろう。回帰前は回収できなかったが、今回は回収することが出来た。孤児院を運営する上でとてもありがたいことだ。
「なるほど。ではアリーシャさんは、そのお金をどう使うべきだと考えますか?」
「そうですね。……いくつか思いつきますが、まずは子供達に聞いてから決めることにします。このお金は、子供達のために送られた支援金ですから」
私が微笑めば、セイル皇太子殿下がふっと笑った。
「貴女はとても子供思いで優しい女性なんですね」
飾りっ気のない優しい表情。回帰前、互いにわだかまりを解消して手を取り合った。第一皇子のクーデーターで殺される直前になってようやく見せてくれた警戒心のない笑顔。
もう二度と見ることが出来ないと思っていたから、少し嬉しい。だから、敬語なのが残念だ。そう思った私は、気付いたら「敬語じゃなくていいですよ」と口にしていた。
「いいのですか?」
「ええ。セイルさんは年上でしょう? どうか、敬語など気にせず話しかけてください」
「……そうか。なら、そうさせてもらおう」
セイル皇太子殿下らしい話し方に懐かしさを覚え、胸の奥がじんわりと熱くなった。
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